YOUTH

3年目1月下旬 ゲレンデではしゃいで
主人公side


 雪が、音もなく降っていた。
 見上げれば、空は薄曇り。雪雲の切れ間から少しだけ光が差して、ゲレンデ全体が淡く白銀に包まれている。

 僕はと言えば、転ばないように立っているだけで精一杯だった。足元のスノーボードは、まるで僕の意思をまったく聞き入れない暴れ馬みたいで、ちょっと気を抜けば簡単にバランスを崩す。
 何度目かの深いため息をつきながら顔を上げた瞬間――

 風を切る音が、すぐ近くから聞こえた。

 琥一が、風そのもののようなスピードで僕の横を駆け抜けていった。
 背筋をまっすぐに伸ばし、身体を低く構えた姿勢で斜面を滑るその様は、まるで猛禽類のように研ぎ澄まされていて、気づけば目で追っていた。
 黒と赤のウェアが、雪の白さに映えてやけに映える。雪煙を巻き上げて、一度も止まることなく、滑りながら軽く片手を上げて振り返る。

 「ついて来い」

 言葉なんてなくても、そんな声が聞こえた気がして、身体がびくっとした。

 そのすぐ後を、琉夏が追う。
 彼は、もっと自由だ。重力を味方につけているような身のこなし。リフトの影をかすめながら、雪面を跳ねるように飛び、柔らかく着地する。
 リズムに乗るように斜面を滑っていく。道民の血は伊達じゃない。

 琥一が岩を避けながら鋭くカーブを切り、琉夏がその横を一瞬、逆手でターンして交差する。
 二人とも、手を抜いてる様子なんてひとつもないのに、表情はどこか涼やかで楽しそうで――。

 「惚れ惚れするって、こういうことを言うんだろうな。」

 隣で初心者用コースを滑っていた小学生くらいの子が、「あの二人すげぇ!」と叫ぶのが聞こえた。
 うん、ほんとにそう思う。すごい、じゃ足りないくらい。
 そのかっこいい背中を、ほんの少しでも追いかけたくて。

 「……よし」

 ゆっくりと腰を落とし、僕は慎重にボードを踏んだ。どんなに離れても、同じ雪の上に立っているかぎり、きっとまた、追いつける。













 滑ってるつもりだった。ちゃんと、曲がったはずだった。
 でも、次の瞬間にはもう景色が上下に入れ替わっていて、足が宙を切っていた。

 「……わっ」

 情けない声が風にさらわれて、ふわっと背中に衝撃が走る。
 そのまま斜面を転がる。雪の感触が服の隙間に入り込む冷たさすら、どうでもよかった。

 ボードが滑って、コースを外れていく。

 呼吸を整える前に、音がした。
 シュッ、という風を切る音。何かが近づく音。

 すぐに見覚えのある影が、勢いのままに僕の隣へ飛び込んできた。

 「カエデ!」

 間一髪で受け止められる。琉夏の腕が僕を起こして、支えて、そのまま勢い余って彼まで雪の中に沈む。

 柔らかい雪に、二人して倒れこむ格好になった。
 僕の頭をかばうように抱き込むその腕の中、ふわりとあたたかい匂いがした。琉夏の髪が、僕の頬に触れる。

 赤い指先が、頬に触れた。
 体がびくっと小さく跳ねる。
 耳のあたりがじんわり熱い。まぶたがうっすら、震える。

 「大丈夫!?怪我無い!?」

 とても近くで、その声が降ってきた。
 見上げた視界に、真剣な目があった。さっきまで雪煙を切っていた男の子の、まっすぐな目だ。
 雪がその髪の上に、音もなく積もっていく。

 僕はうなずいた。
 呼吸を整えるまで少し時間がかかったけど、喉を潤して、ようやく答える。

 「大丈夫。ありがとう」

 その言葉に、琉夏はふっと眉間をゆるめる。

 そのままためらいなく、鼻と目のあいだ、眉の真上に。
 柔らかい唇が、そっと触れた。

 心臓が跳ねた。
 指先が震える。手袋の中で、指がすこしだけ丸まる。
 琉夏の呼吸が、顔のすぐ近くでふわりと触れた。

 「はぁ…焦った。カエデ、すごい勢いで横に滑ってくから…」

 「ご、ごめん。転がる方が得意なんだ」

 「笑いごとじゃない」

 琉夏は口を尖らせてかぶせるように言った。「ごめん」って僕はもう一度謝る。琉夏は拗ねたような顔をしながら、触れるだけのキスをした。

 「え」

 驚いたまま固まった僕を見て、琉夏はふっと笑った。
 角度を変えて、もう一度口づけられる。冷えた雪の感触が、頭の後ろにじんわりと伝わってきた。

 「ん…る…っ」

 琉夏の熱い舌が、僕の舌を絡めて吸う。喉奥から洩れた声に、琉夏がふって息を吐いた。
 薄く開いたグラスグリーンの瞳と目があった瞬間、ぶるっと腰が震える。琉夏の瞳が笑んで、口の端から垂れそうになった唾液を舐めてから離れた。

 驚いたままの僕に、琉夏は満足そうに笑った。

 「よし。じゃあとりあえず下まで一緒に滑ろ。手伝ってやるから」

 あまりにも何事もなかったみたいに言うから。白昼夢でも見たのかと、僕は目を瞬かせてから立ち上がる。

 「あ…りがとう?」

 雪の中、沈むように。
 鼓動の音が、外の音を全部、吸い込んでいった。

 僕らは追いかけてきた琥一と一緒に、練習しながら下っていった。














 「よし!次はチューチュートレインだ!」

 琉夏が、勢いよくこちらに滑り降りてきた。雪面を蹴って立ち止まったかと思えば、肩で息をしながら僕らの前でぴたりと止まった。頬を赤くして、目をきらきらさせている。

 「……チューチュー……何?」

 僕が言うより早く、琥一が「はぁ?」と怪訝な顔で眉をひそめる。琉夏は「ん?」と僕ら二人を振り返った。

 「チューチュートレイン。わかんない?一列になって滑るやつだよ。俺が先頭!」

 「え、じゃあ僕ここで待ってるから、二人で――」

 言いかけた言葉を、琉夏が指先でひらりとつかまえた。正確には、僕の手をつかんで、ぐいと引き寄せる。

 「平気。一番後ろにつかまってな。俺が先頭でコウが真ん中な」

 そのままリフトの方へ引っ張っていく。スノーブーツが雪を噛んで、僕の体も自然に連れて行かれる。

 「ちょっとよ、こっぱずかしくねぇか?」

 琥一はまだ顔をしかめている。
 琉夏は振り返りもせず、にかっと笑った。

 「恥ずかしくない!行こう!ときめきを運ぶぜ!」

 懐かしさの滲むその台詞に、心が揺れた。

 あの時もたしか、そんな風に言ってた。
 バイクを買ったばかりの初夏の日。
 誰もいない海沿いを風を切って走りながら、あの日も僕たちはときめきを運んでいた。

 雪山に沈む夕陽が、僕らの影を長く伸ばしている。
 青春、なんて言葉を使うにはいささかこっぱずかしいけれど。
 でも、こういう瞬間をきっと、青春と呼ぶのだと思う。

 だから――恥ずかしくない。むしろ、誇らしいくらいだ。

 リフトに乗ると、冷たい風が頬を撫でていく。

 一列になって滑り降りる雪の道。
 信じられないスピードで、でも不思議と怖さはなかった。

 流れていく景色に、胸がいっぱいになって泣きそうになる。

 昔の自分に、教えてあげたい。
 大丈夫、今は死んでしまいたくても。どんなにあがいても未来が見えなくても。
 君の進む道には、こんなに尊い景色が待っているんだから。

 「最高だったろ?」

 ゴーグルを外して笑った二人に、僕は満面の笑みで頷いた。
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