YOUTH
3年目12月下旬 大掃除と年越し
琥一side
窓の桟を拭いていた雑巾の手が、止まった。
「……実は、僕の誕生日、明日なんだ」
その一言に、俺とルカ、揃って動きを止めた。
視線だけじゃ足りなくて、体ごと振り返る。
「……は?」
間の抜けた声が、俺の口から漏れた。
楓は雑巾を手にしたまま、至って普通の顔で立っていた。
ごくごく自然な話題みたいに言ったが、こっちは全然自然に受け止められなかった。
明日って……元旦じゃねぇか。
「ちょ、待て……明日って、なに、もう何も用意できねぇじゃねぇか……!」
思わず文句みたいに口に出す。
そう言いながらも、胸の奥の方がじんわりと熱くなっているのがわかった。
何年も頑なに教えてくれなかったくせに、なんで今。
なんでこのタイミングでそんな顔して、さらっと言うんだよ。
「……」
ルカは何も言わなかった。
ただ楓のことをじっと見つめたまま、完全に固まっている。
ああ、たぶんこいつ――言葉が追いついてない。
用意ができないってことよりも、やっと教えてもらえたことのほうがデカすぎて。
その証拠に、次の瞬間にはもう、ルカが楓のことをがしっと抱きしめていた。
「うえっ」
不意を突かれた楓の情けない声が聞こえる。
ルカはその肩口に顔を埋めたまま、小さく、何かうめいてた。
「教えてくれて、ありがとう」
くぐもった声だった。
けど、しっかり聞こえた。
楓はちょっと困ったような、それでもどこか嬉しそうな顔で、軽くルカの背中を叩いた。
その光景を見ながら、俺はまた雑巾を握り直す。
はぁ、とため息が出た。
「ったく……もう、しょうがねぇな」
なんも用意できてねぇけど。
明日は、全力で祝ってやる。
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台所は、出汁の匂いと醤油の香りで満ちていた。
コンロの上では、お雑煮用の鍋がことことと音を立て、ばあちゃんは年季の入った小柄な背中で煮物に味を染み込ませている。
「ばあちゃん」
俺の声に、ばあちゃんがぴくりと肩を揺らす。
「うん?」
味見用の小皿を差し出しながら、小首をかしげた。俺はそれを受け取って味をみてから「うまい」って小皿をシンクに戻す。
ばあちゃんはじっと俺をみたまま、言葉の続きを待っていた。
「……楓が、誕生日、明日って」
口に出してすぐ、俺はそれ以上の言葉が続けられなくなった。
ばあちゃんはふうっとため息のように息を吐いて、「ああ」とうなずいた。
その顔に、長く深い時間が刻まれているような気がした。
「琥ちゃん」
そう呼ばれて、俺はしゃがみこみ、ばあちゃんの目線に顔を合わせた。
赤くにじんだ瞳が、笑っていた。
やさしく、すこし寂しそうに。
「かえちゃんはね、お誕生日を祝われたことがなくてね」
ぽつりと落とされたその言葉に、胸の奥がきゅっと縮まった。
ばあちゃんの声が、詰まりそうになるのがわかった。
たぶんそれは、ばあちゃんの中にある悔いのようなもので。
ばあちゃんの息子――楓の父親が、孫に何をしてきたか、何をしなかったか。
「ずっと、誕生日は、生まれなきゃ、よかった……て――」
その重みが、しわだらけの手ににじんでいた。言葉を詰まらせて、ばあちゃんは途中で言うのをやめたみたいだった。
「ばあちゃん」
俺はそっと、その手からお玉を受け取り、台に置いた。
「今年からは、俺とルカが、あいつの誕生日祝うから。ばあちゃんも、一緒に」
ばあちゃんは小さく唇を震わせて、それからぱっと笑った。
心底嬉しそうな、転びそうなほどの笑顔だった。
その瞬間。
「いって!!」
風呂場のほうから、ルカのでかい声が響いてきた。
「琥一!!!ちょっと!!!!」
楓の声だ。怒ってるけど、笑ってる声。
ばあちゃんは手を叩いて笑って、「元気だねぇ」と呟いた。
俺は立ち上がって、台拭きで手を拭きながら返事する。
「……だからばあちゃん、長生きしてください」
そう言いながら、俺は風呂場に向かって歩き出す。
今年の大晦日は、なんか、すげぇいい匂いがした。
醤油と、出汁と、家族の匂い。
