YOUTH

2年目3月下旬 フリーマーケット
主人公side


 フリーマーケットの匂いはいつも少し雑だ。
 埃と古着と、屋台の油と、乾いた紙の束。見えない人々の記憶がそこかしこに溶けて、空気の中で静かに沈殿している。
 そんな場所が、彼は好きだった。

 「ちょっとあっち、見てくる」

 そう言って琥一は、誰も気にとめていないような年季の入ったレコード箱の山に向かって歩いていった。

 彼はレコードを漁るとき、世界からすっと切り離されたみたいになる。
 薄い紙ジャケットを一枚一枚めくる手は丁寧で、その指先に宿っているのは、他人の感情じゃない。彼にしては珍しいことだ。

 普段の琥一は、自己犠牲の塊みたいな人間だ。
 誰かに必要とされている彼である、、、、、、、、、、、、、、、ことからでしか、自分を肯定できない。それは献身的とも呼べるが、ある意味呪いのようなものでもあると思う。

 だから僕は、こうして自分のためだけに何かに没頭している彼を見ると安心する。レコードの箱の前にいる琥一は、誰の期待にも応えていない。そこでようやく、彼が“誰かのためじゃない自分”を少しずつ取り戻しているように見えるから。

 俺は少しだけ後ろに立って、暫く彼を眺めていた。風が吹いて、埃っぽい紙の匂いが鼻に届く。彼の横顔はどこか無防備で、そして少しだけ、楽しそうだった。

 買うかどうか迷ってるのか、彼が同じレコードを三回手に取った。
 俺は口を開かなかい。意見を求められたら答えるけど、そうじゃないときは、何も言わないのがいい。そういう沈黙は、たぶん彼にとってひとつの居場所なんだと思う。














 「おい、こっちは見つけたぞ」

 琥一の声が、雑踏のざわめきのなかで不意に耳に入った。僕が振り向くと、彼はレコードを一枚、慎重に両手で持ち上げていた。ジャケットはすこしくすんだベージュで、角に小さな折れ目があった。
 だけど、彼の目はまるで新品の宝石でも見つけたみたいに光っていた。

 「レア盤だから、ちょっと高えけどな。チクショー、飯抜くか……」

 そう言って、彼は小さく笑った。冗談みたいな口ぶりだったけど、目の奥では本気で計算しているのがわかる。

 「お金、貸そうか?」

 僕は自然とそう言っていた。別に深く考えたわけじゃない。
 でも彼はレコードから目を離さずに、低く静かに言った。

 「やめろ」

 その声には、なんとも言えない重さがあって。僕は一瞬目を丸くした。
 琥一は目が合うとちょっと気まずそうにしてから、ため息を吐く。

 「お前、バイトで必死に貯めたんだろうが。そんな金、使えねえよ」

 俺は黙ってしまう。
 たぶん何を言っても、琥一のなかでは結論が出ている。そういう時の彼に、誰かが言葉を差しはさむ意味はあまりない。

 「いいって。またどっかで見つけたら、買うことにするわ」

 琥一はレコードをそっと棚に戻した。
 その手つきには惜しむような迷いがあったけれど、潔さもある。

 なんだか少し残念な気持ちでそれを見ている僕に気づいて、琥一は苦笑した。
 少し間をおいてから「んなことより」と切り出した。

 「お前、今日何しにフリーマーケットまで来てんだ?俺のことばっかり見てただろ」

 図星を突かれて、言葉に詰まる。気づかれていたという驚きと、そこまで気を配る余裕のある彼に感心してしまった。

 「えっと…まぁ、正解です」

 「あ”?どういう意味だ」

 「琥一を見に来たんだ」

 意味が分からないという風に、琥一は小首をかしげた。僕はなんだか妙に気恥ずかしくなって、彼の首あたりに視線を下ろす。

 「俺ならいつも見てんじゃねえか」

 訝し気な琥一の頭の上に、大きなクエスチョンマークが見えた気がした。
 笑いそうになって、すっと咄嗟に息を吸う。これはもしかしたら、いい機会なのかもしれなかった。
 僕は腹をくくって、「確かに毎日見てるんだけど」と背筋を伸ばす。

 「連れ出さないと、見られない君もいるでしょ。琉夏のそばにいれば、君はどうしても”兄貴面”するし。学校にいればやんちゃな”桜井兄弟の兄”だ」

 琥一はわずかに眉を顰めた。きっと否定的に聞こえているのかもしれない。「そんな君も、もちろん好きだよ」と付け加えてから、「でも」とさらに続ける。

 「僕は、たまには”君自身”がみたい。ヴィンテージとか好きなものに触れてる琥一は、誰のためにも生きてない。少なくとも、その瞬間だけは」

 「そんな君が見たいっていう”下心”で、君をここに誘ったんだ」と僕は消え入りそうな声で言った。話してて、なんだかすごく恥ずかしくなった。
 
 ほんの一拍の沈黙のあとで、彼はぽつりとつぶやいた。

 「お前は、底抜けにいい奴だな。……俺みたいなのには、もったいねぇかもな」

 それは笑いながら言うような言葉だったけど、彼の声は少しだけ震えている。冗談にしてしまうには、あまりにも素直すぎる響きがあった。
 琥一は苦笑いして、僕のピアスにそっと触れた。
 それは、前まで撫でてくれていた髪を、僕がセットするようになって変わった彼の触れ方だった。

 「…んなのが見てぇなら、いくらだって一緒に来てやるよ」

 「ふふ…君だって底抜けに良い奴だ」

 ただ風が吹いて、棚の角に立てかけられたレコードのビニールが小さくカサリと鳴った。
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