YOUTH
2年目3月中旬 チョコレートのお返し
主人公side
「楓。ちょっといいか?」
その言葉を彼から聞いた時、僕はあれ、と思った。
いつもならヤンキーさながらの誘いで「校舎裏だ」と言ってくるのに。
「渡す前からそんな構えんじゃねぇよ…」
ため息を吐きながら、琥一は僕に正方形の箱を差し出した。
「ありがとう。開けていい?」
「どうせダメっつっても開けるんだからいちいち聞くな」
去年と同じようなやり取りをしながら、僕は箱をあけた。
入っていたのは、マグカップだ。
「ふふ…かわいい」
思わず緩む頬を止められず、僕はマグを太陽光に透かした。
ヴィンテージのミルクガラス製で、淡い乳白色のガラスの肌には、粒子が静かに沈殿している。
コーヒーを淹れたりすれば、中の色が透けて見えるんだろう。
「これ、琥一がウエストビーチで使ってるやつの色違い?」
「よく覚えてんな」
意外そうに目を丸くするその顔に、吹き出しそうになって唇を結ぶ。
「ありがとう、本当に嬉しい」
「…お前の趣味じゃねぇだろ」
「わかってないなぁ。だからいいんじゃないか」
怪訝な顔で、「あ?」と琥一は小首をかしげた。
琥一は他人のためにしか生きられない人間だ。
いつだって他人を優先させる彼が唯一、自分の趣味全開でくれるプレゼントが、僕は大好きだ。もらっているのはプレゼントではなく、彼の一面だとすら思ってしまう。
でもそんなことをこのタイミングで言えばきっと、彼は恥ずかしがってやめてしまうから。
僕は黙ったままマグに視線を落とした。
「物好きだなお前」
にやにやしたままマグを見る僕を、琥一はため息交じりに見ていた。
「もしよかったら、今度僕とフリーマーケットに行かない?」
「…脈絡がねぇとこ、ルカに似てきたか?いいけどよ」
きっと彼は、そういう雑多なところで掘り出し物を探すのが好きなタイプだ。その横で、彼が自分の好きなものを好きなように探しているところを見たい。
「…三人で行くんか?」
「んー…いや、二人で行きたい。いいかな?」
「おう。別にいいぞ」
「やった!バイクで現地集合で!」
「あいよ」
いつの間にか琥一は、僕と同じくらいにやにや笑っていた。
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「ちょっとおいで?」
言うが早いか琉夏は僕の手を引いて、屋上までの階段を一気に駆け上がった。
授業の開始を知らせるチャイムが鳴り響いて、生徒の喧噪が消えていく。僕らは静かな昇降口の前に腰を下ろした。
おもむろに、琉夏は僕へ顔を近づけた。
「ん」
目を閉じて、じっと動かない。
「…?」
僕は首を傾げたまま、じっとその整った顔を見る。
金色の髪は今日も柔らかそうに、肩の上で揺れている。日に焼けていない白い肌は信じられないほどきめ細かく、淡い光を反射していた。
形の整った唇が、ほんのわずかに開いている。長いまつげが目を閉じたせいで、頬に長く濃い影を落とした。
「………」
僕は無言のまま、右側に流れていた彼の前髪を耳にかけた。それだけで、隠れていた彼の全顔が現れる。
その瞬間、全身に鳥肌が立った。
息を飲むと同時に、背中を冷たいものが駆け抜けた。美しさに対する感情は、時として恐怖にも近いところにある。それを僕ははっきりと理解した。
じっと覗き込んで、その瞼が開くのを待った。
ゆっくりとまつ毛が上がる。その奥にあったグラスグリーンの瞳と、目が合った。
「…っ」
今度は琉夏が目を見開いて、ひゅっと反射的に顔を引く。
刹那、彼の白い頬に紅がさした。珍しいものを見る気持ちで、僕は食い入るように彼に見とれていた。
「…びっくりした。顔近い」
琉夏はどこか悔しそうな声でそう言った。
「?えっと…何がしたかったの?」
僕が苦笑交じりに尋ねると、彼はバツの悪そうな顔でそっぽを向いた。そのまま、彼の横に置いてあった箱を渡してくる。
「…あげる。」
「ありがとう。怒ってる?」
「怒ってない」
なんだか少し不機嫌な彼を横目で見ながら、僕はラッピングを解いた。
琉夏がくれたホワイトデーの贈り物は、小さなスノードームだった。
透明なガラスの球の中に、白い翼を持った天使が立っていた。目を閉じて、何かを祈っているように見える。沈黙や静寂といった神秘的な何かが、天使の周りに浮いていた。
「わぁ…今年も綺麗なプレゼントをありがとう。僕スノードームもらったの初めてだよ」
そう言うと、琉夏はやっと少しだけ微笑んだ。
彼の笑い方は、時々とても遠くにあるものみたいに見える。寂しそうで、少し悲しそうにも見えたりする。
「今年の天使も可愛いね」
彼の前の母親はクリスチャンだった、と一度だけ聞いたことがある。彼が選ぶものの中には、どこかでその影が落ちている。天使、ガラス、光。それらは彼にとって、おそらく言葉よりもずっと確かな手段なんだろう。
僕はスノードームをそっと振ってみた。
ガラスの中で、雪のような白い粒がゆっくりと舞い上がり、やがて静かに降り積もっていく。
2人で並んで、その雪が落ちていくのを見つめた。何も言わなかったけれど、沈黙はけっして重くない。
僕は、もう一度スノードームを振った。
白い粒子がさっきよりもゆっくりと舞い上がり、球の内側をさまよった。それをじっと見つめていた琉夏の横顔は、いつになく静かで、少し遠くに感じられた。
「スノードームで……浮かぶのは?」
自分でもなぜそんなことを聞いたのか、よくわからなかった。ただ、今なら聞いてもいいような気がした。
そういうタイミングというのが、人生には確かにある。
琉夏は答えない。
けれど、その沈黙は拒絶ではなかった。彼のまつ毛がわずかに震えて、目がほんの少しだけ伏せられた。
「前の母さんが……」
彼がぽつりと言った。
「すごく寒い日に、雪の中で転んだ僕の手を両手で包んでくれたんだ。手袋、忘れてて」
彼の声はまるで、誰かが遠くで奏でている古いピアノの音のようだった。
「それが、スノードームの中みたいな感じなんだ。静かで、白くて、でもあったかくて。なんか……時間が止まってる」
僕は黙って頷いた。
降っていた“雪”は、もう底に積もっていたけれど、なぜかその場には、まだ冷たい空気が少しだけ漂っていた。それは彼の記憶の温度だったのかもしれない。
「じゃあ
僕の言葉に、琉夏は頷いた。
「うん」って掠れた声が、くしゃっと寂しそうに笑った彼の喉奥から洩れる。
僕はもう一度スノードームを振って、その記憶をじっと見た。
