YOUTH
2年目1月中旬 余多門
琉夏side
ガラス越しに射し込む日差しが、店内の花々を照らしていた。
冬の朝の斜めの光は、白いユリの花びらを透かし、テーブルの上に淡い影を落とす。
「いらっしゃいませ──」
振り向いたその先に、楓がいた。
マフラーを首元でふわりと巻いたまま、戸口に立っている。あの静かな瞳が俺を見つけて、少しだけ笑った。
「カエデ。どうしたの?」
「お見舞い用の花を買いたくて。このくらいのサイズの花瓶はあるから、それに入れられるように作ってくれないかな」
「うん、もちろん。予算は?」
「三千円くらいで」
「かしこまりました♪」
思わず、店で使う丁寧な言葉が口をついて出る。
それがなんだか可笑しくて、俺たちは目を見合わせてふっと笑った。
花を選びながら、さりげなく振り返る。楓は店内の花をゆっくりと見渡していた。まるで誰かの気持ちを、一つひとつ丁寧に拾い上げるように。
「誰のお見舞い?」
「おばあちゃんが腰痛めて。検査入院で数日いるみたいだから。念の為」
「そっか。お大事にって伝えて」
そう答えながら、俺はパステルカラーのストックに手を伸ばす。
春を先取りするような明るい色の花たち。においが強くなりすぎないように、調整しながら。
おばあちゃんが少しでも笑ってくれますように──そんな願いを込めて。
「これ、どうかな。淡い色をベースにして、香りのいい花を中心に…ガーベラも少し入れてみた」
「わぁ、綺麗……」
楓の声が本当に嬉しそうで、俺の胸のどこかがあたたかくなる。
「ありがとう、琉夏」
「礼なんていらないよ」
仕上げにリボンを結ぶ。受け取って出ていく楓は、なんだか少しだけ柔らかくなって見えた。
店のドアが開くと、冷たい外気が花の香りをさらっていった。
「気をつけてね」
「うん。またね」
楓の後ろ姿が去っていく。
マフラーの端が、風に揺れていた。
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シャッターを下ろして、店の灯りを落とした。花の匂いがまだ袖に残るまま、バイクのエンジンをかける。
冬の夜気が頬を刺して、目が冴える。
街灯がまだらに照らす帰り道。ひとけの少ない通学路沿いの角──見覚えのあるシルエットが目に入った。
「……またかよ」
ヨタカドの二人。
いつものように誰かに絡んでる。それだけ横目でみて、そのまま前を向いた。
でも絡まれていた"誰か"を見て、ブレーキをかける。
コウと、カエデ。
瞬間、喉の奥に舌打ちが落ちた。
ハンドルを切って、バイクを縁に寄せる。
ジャケットの裾を払って歩き出す。靴音が冷たいアスファルトに鳴った。
「……何やってんだよ」
低く問いかけた俺に、ヨタカドの一人が笑って振り向く。
その目は人の痛みなんか、冗談のネタにしかしてこなかった目だ。
「お前らの“世話係”がいたからよ。ちょっと遊ぼうと思ったら、コウイチがもう絡むなってすごみやがって」
「ムシの良い話だよなぁ!?」
口角を上げたまま、こいつらは楽しそうに言葉を重ねる。話の芯に毒があると知ってて、それでも笑う人間の声。
「……お前ら、またこいつに絡んだのか」
声が乾く。
前も、カエデに絡んで──
一発も拳を当てられなかったくせに。
"勝つまでやめない"
それがこいつらのポリシーだってことは知ってる。
でもここ数ヶ月。直接俺らに絡まずに、カエデを通すようになった。
「コイツは一度だって、お前らを殴ってねぇだろうが」
「だからなんだ?」
すっと冷える空気。
その刹那、二人の視線がそろってカエデに向いた。
「おい、なんだその目は」
「なめてんのかコラ」
カエデは一言も発さない。
けれどその目だけはブレることなく、ただまっすぐにヨタカドの二人を”見つめて”いた。
いや──"眺めて"いる、というのが正しい。
まるで自分には関係のないものを観察するような、そんな目で。
「……」
コウが一歩、前に出ようとする。
だけどその腕を、カエデが静かに制した。手のひらが、確かにコウの胸元に触れている。
その仕草には、言葉より強い意思があった。
白い吐息が混ざる空気のなか、静かで、けれど確実に火種のにおいがする夜だった。
「もうやめよう」
夜の底に沈むような、静かな声だった。
そこに立つカエデが、まるで別の誰かになったみたいに見えた。
「なんだてめぇは!」
金髪のヨタカドが怒鳴って、カエデの胸倉をつかんだ。大きく振りかぶられる太い右腕。
やばい、と思った瞬間。
胸倉をつかむ手を上から押さえつけて、カエデは自分から
勢いを利用して重心をずらし、あろうことか金髪の身体ごとひねる。
「うおっ!?」と驚く声が上がり、金髪の拳は空を切った。最後の意地か、金髪は足を強く踏ん張ってカエデごと体制を立て直す。
「──拳が届かなくなったら、どうする?」
金髪の手を抑えたまま、カエデがまるで恋人に囁くみたいに顔を寄せた。
「…あ? 何言ってんだ、お前…」
金髪が気圧されているのが分かる。
こっちも、何を見てるのかわからなくなってきた。
「拳が届かなくなったら、次は足。でもそれも届かないことがわかったら?」
パッと手を離す。
重力を取り戻した金髪は、もう一度カエデの胸倉を掴む。でも。その手にはさっきまでの勢いがない。
「その次は、“得物”。リーチも長くて、拳よりはるかに殺傷能力が高い」
断言する声だった。
抑えた口調のくせに、妙に通る。妙に響く。
「一度も得物を使っているのを見たことないけど……なんで?」
「な、なんだお前…気持ち悪ぃな…」
金髪が乱暴に手を離した。カエデはシャツの襟元を直す。
「何が欲しいの?どうしたら琥一と琉夏に絡むの、やめてくれる?」
姿勢ばかり低い問いかけなのに、交渉の余地などなさそうな響きがある。
「コラ」
そこでようやく、コウが口を開いた。カエデの目を手で覆って、自分の方へ引き寄せる。
それは止めるためでもあり、そのまま突っ走ってしまうこいつを"人間に戻す"ための動作に見えた。
ヨタカドの二人は固まっている。まじまじと、なにか奇妙なものでも見ているような顔で。
敵意も、侮蔑もない。ただ、理解できないものを見るときの視線。
「ここはおさめろ」
コウが言った。
どちらからともなく舌打ちをして、奴らは背を向けた。
肩がぶつかる音、足音が遠ざかる。
張りつめた緊張が、やや遅れて弛んだときだった。
「楓」
コウの手が、カエデの頬に添えられていた。大きな手のひらで包み込むように。力づくでも、なにかを戻そうとするように。
「俺たちは、得物は使わねぇ」
呟く声は、かすれて低いのに、やけに優しかった。
「得物はだめだ。あぶねぇだろ」
俺も深くうなずいた。
それが“ルール”だった。
自分たちの作った小さな檻の中で、誰に教わるでもない、でも確かな暗黙の了解。
「そうか。得物はダメか。一度でも命を奪う淵に立てば、改めてくれると思ったんだけど」
カエデの声が、ぽつりと落ちた。
「カエデ」
名前を呼ぶ声が、震えていたかもしれない。
「俺、オマエのその考え方……嫌だ」
荒治療でも、もしかしたら一理あるのかもしれなかった。
でもそんな“正しさ”すら──こいつには持っていて欲しくない。
「大切にしてよ。もっと、自分を」
冬の冷えた風が、街灯の下を抜けていった。
「……琉夏」
カエデの目がわずかに揺れる。
けどまだ、あいつの芯は戻ってこない。
「俺、苦しいよ。自分を大切にしないお前を見るの」
吐く息が白く伸びて、カエデの頬をかすめた。
カエデが、どんなに俺やコウを守りたくても。
カエデ自身が壊れたら意味がない。
厄介事からオマエを守りたい俺が、厄介事自体を避けるみたいに。
俺が厄介事を連れてきたら、意味がない。
「ごめんね。琉夏」とカエデは言った。
この時俺は、自分の中に一つ、答えを決めた。
カエデが俺らの“身代わり”になろうとするなら。
俺とコウで、殴られるくらいの痛みは代わりに背負ってやる。それで終わるなら──そのほうが、よっぽどマシだ。
きっとコウも、同じ事を考えている。
俺達は無言のまま顔を見合わせ、ゆっくりと頷いた。
