YOUTH
2年目12月下旬 クリスマス
主人公side
ウェストビーチは、冬の海風に軋む音を立てながら、それでもどこか穏やかだった。
テーブルの上に、琥一の手作りのクリスマスツリーが置かれている。
錆びた針金を器用に曲げて、小さな星までつけたそのツリーは、ぽつんとロウソクの灯りに照らされて、意外とロマンチックだった。
僕らの目の前には、何段にも重ねたホットケーキのタワー。
そのてっぺんには苺がひとつ、まるで誰が食べるかで小競り合いが起きるのを待っているみたいに座っていた。
「胸焼けしてきた…」
琥一がうんざりした顔でフォークを置いた。額にほんのり汗をかいていて、ちょっと笑ってしまう。
「だから言ったのに。ホットケーキ20枚は多すぎだって」
そう言いながら、僕は胃をさする。バターとメープルの香りがもはや拷問に近い。
けれど琉夏は──何故かまだ、平然とフォークを動かしていた。
口の端にクリームをつけながら、いたずらっ子みたいな顔で僕を見ている。
「…あれだけ食べたいって言ってたのに、もうギブ?」
唇の端がほんの少し、得意げに上がっている。
「結構食べたよ…」
「俺はまだいける」
誇らしげにそう言って、またひとくちホットケーキを頬張るその姿に、なんだか笑いがこみあげた。
針金ツリーの影が、三人の食器に伸びる。
冬の海の向こうに、月が浮かんでいた。こういう夜が、あと何回あるんだろう。
こんな風に、なんでもない顔で笑い合って、同じものを食べて、肩を並べて。
琥一は「腹パンだ」と言ってソファに倒れ込み、琉夏はもぐもぐしている。
「まさか最後に苺だけ食べようとしてる?」
僕が言うと、琉夏は肩をすくめた。
「当然でしょ。美味しいものは最後にとっとくタイプ」
それもまた彼らしくて、僕は黙って笑った。
「前までは真っ先に食ってたろうが」と琥一がお腹を擦りながら言う。
「今は最後のタイプだ。好きなものは、なるべく長く見てたいからな」
「なんだか哲学的だね」
へらっと笑った僕らを、琥一は変なのを見るみたいな目で眺めている。
この瞬間を、胸に留めたくて。
その光景ごと、きゅっと心に焼きつけた。
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「送ってく」
そう言って、琉夏は僕を後ろに乗せてバイクを走らせた。
エンジンの音が、夜の街をくぐっていく。
彼の背中は意外なほど温かくて、寒さの中でもほっとする場所だった。
でも、着いたのは僕の家じゃなかった。
はばたき学園の敷地内。教会のそばだった。
「クリスマスだからね。ちょっと、イエス様に挨拶」
「オルゴールくれたときも思ったけど、琉夏はクリスチャンなの?」
「どうだろ。小さい時はクリスマスに家族でミサに行ったよ。
「…そっか」
教会の扉は閉まっていたけど、ステンドグラス越しのわずかな灯りが、雪のように柔らかかった。
琉夏は教会前の階段に腰を下ろして、僕を手招きする。隣に腰を下ろすと、琉夏は静かになった。
彼はたまに、こういうことがある。
何かを考えるみたいに黙って、その間はどこか別の場所にいるみたいな目をする。そういう時は、黙って横にいるのがいい。
むしろ、それしか僕にはできない。
しばらくして、琉夏は「俺さ」と切り出した。
「前の父さんとお母さん、事故で死んじゃって」
「うん」
「コウの家に引き取られたんだ」
「…うん」
ほんの少しだけ間があって、琉夏はうつむきながら続けた。
「黙ってて、ごめん」
「……謝る必要なんてないよ」
僕の声は、自然と静かな音になっていた。
ここでは、大きな声を出すことすら憚られる気がして。
「もう昔のことだ。最近じゃ、写真を見ないと2人の顔も忘れそうになる。」
それは僕もよくわかった。僕も母さんの顔はもう覚えていない。
「時間って不思議だ。子供の頃はさ、いつも2人のことを考えてて、思い出すたびに、重たい石みたいな塊がこみ上げて、苦しかった」
彼の声が少しずつ震えているのがわかった。でも、それを止めようとは思わなかった。
「今もその石はなくならないけど、いつか自分の一部になって、ちゃんと胸の奥にしまえるんだと思う」
そう言った琉夏の冷たい手が、僕の手をそっと握る。
しっかりと、確かめるように。
「…どうしてだろうな。オマエが笑うのを見るたび、そんな気がするんだ」
その言葉に、胸がきゅっと鳴った。
白い息が、呼吸のたびに二人のあいだに広がっては消えていく。
僕はおもむろに、自分のつけていたマフラーを取る。そのまま琉夏の首に巻き付けた。
あったかくなりますように、なんて願いながら。
「…あげる」
「俺に?」
「道民だけど、寒いのは嫌いなんでしょう?」
「……」
言葉の代わりに、琉夏は笑った。
それは、子どもみたいな──でもどこか、大人びた、どこかやさしい笑みだった。
僕の中に、何かが静かに落ちた。
「僕がいるよ」
ほんの少しだけ、震えた声だったかもしれない。
でもそれは、ちゃんと彼に届いたみたいで。
琉夏はポケットから小さな本を出した。
色あせたカバーの、賛美歌の歌集。
薄い藍色の布張りの表紙はところどころ擦り切れていて、背表紙の金色の文字は『讃』の字だけが奇妙にくっきりと残っていた。
まるでほかの言葉がこの世から消えてしまって、「讃える」という行為だけが取り残されたようで。
「メリークリスマス。これ、やる」
「…これ」
「俺の、前の母さんの」
僕はそれを受け取って、手の中でゆっくり開いた。ページをめくると、少し乾いた古紙のにおいが立ち上る。それは僕が今まで知っているどの匂いとも違っていた。
薄く残る鉛筆の跡は、大人の筆跡。そっとなぞっただけで、何かがこみ上げそうになる。
琉夏を見た。これは、彼のご両親の
「カエデに持っててほしい」
それを僕に渡す意味が、わからないわけがない。
僕は讃美歌集をそっと閉じ、しばらくその重さを両手に感じていた。
それはまるで、彼の記憶そのものみたいだった。教えられなければそこにあることにも気づけないが、確かに彼の中にある記憶。
たまに開いて見返したくなる記憶で、それは彼の底で静かに横たわっている。
「僕が、持ってるよ」
「うん」
「ずっと、
「…うん」
教会の前に立つ僕たちの影が、月明かりに細く伸びていた。
夜の静けさに、心だけがそっと寄り添っていた。
