YOUTH
2年目9月下旬 破壊力
主人公side
「あのさ、単発でバイト探してたりしない?」
数日前、僕は琥一君にそう声をかけた。
会場のお客さんの誘導をする単発バイト。「やる」って即答した琥一君は”僕と働くこと”に少し神聖そうな顔をしていた。
けれど。
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夏の終わりみたいな風が、会場の中の熱気を押し流していく。
サイン会と講演会。名前だけを並べるとちょっと仰々しいけれど、要するに、普段レシピ本を買ってくれている人と直接会える数少ない機会だ。
「はい、次の方ー!」
元気よく案内するスタッフの声に混じって、琥一君の「この列、あと三分で締めます」という低音が響いた。
白シャツに黒パンツ、胸元にはしっかり「STAFF」のネームタグ。
思ったよりも、ずっとしっかりと、スタッフとして立ってくれている。
案内の動線が崩れそうになると、さりげなく体を入れてフォローする。
元が目立つ顔立ちのせいもあるのか、列に並んでいる女性たちがこっそり彼にカメラを向けていた。だけど琥一君は全く気にも留めないまま、ずっと僕のそばにいてくれていた。
「……ほんと、助かる……」
サインを書きながらぽつりと呟くと「おう、こっちは仕事だからよ。なんでも言え」とやっと笑った。
口調こそいつも通りだけど、目線はきっちりと人の流れを追っていた。
「……俺が隣にいんの、イヤじゃねぇか?」
ふいに、合間にぼそっと聞かれた言葉に、思わず目を瞬いた。
「なんで?」
「ほら、お前今日仕事モードだしよ、俺がいたらやりにくくねぇか?」
笑顔でお客さんに手を振りながら、「なわけないじゃん」と振り返る。
「来てくれて助かってるし、むしろ心強いよ」
「…んならいい」
ふっと笑った琥一君につられて僕も笑う。
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「手間だけかければいいと思ってんのか!」
怒鳴り声が響いたのは、ちょうど列が一区切りついて、次の一団が整理されようとしていたタイミングだった。
突拍子もない音が、イベント会場の穏やかなざわめきを裂いた。ほんの一瞬だけど、空気がびりっと緊張する。
「高校生のくせに、スカしてんじゃねぇぞガキ!」
叫んでいるその男の人は、何かを手にしたまま、僕に向かって早足で詰め寄ってきた。批判なんてものはいくらでも受けてきたけど、こういう会場に現れたのは初めてで。
少しぎょっとして肩が跳ねた。「ちっ」って琥一君が舌打ちを漏らして、迷いなく歩いていく。
「すいません、お客さん」
低く、けれどどこか穏やかな声で、琥一君が男の肩を抱いた。
そしてそのまま、まるで自然な流れのように、彼を会場の外へ導いていった。
大げさな声もなく、揉める気配もない。
彼がいなくなると、空気がすっと落ち着いた。
ほんの三分ほどだっただろうか。
琥一君は何事もなかったかのように戻ってきて、また僕のそばに立った。
「なぁ、あれってどんくらいシメていいんだ?」
真顔でそんなことを言うから、僕は思わず声を上げて笑ってしまう。
「んな笑うとこか?」
「シメなくていいよ。他の人に継いでくれたんだよね?」
「あぁ、別のスタッフの兄ちゃんが引き継いだ。出禁リストに入ったってさ。」
「じゃあ、それで大丈夫だよ。スムーズに収めてくれて、ありがと」
僕がそう言うと、琥一君は「おう」と言いながら、つまらなそうにネームタグを弄った。
その後約1時間に及ぶ講演会は、何事もなく幕を閉じた。
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イベント会場の片付けも終わり、人気のなくなった控室には、紙コップに注がれたぬるいお茶の匂いがほのかに残っていた。
僕と琥一君は並んで壁にもたれて、静かに息をついている。
「……はぁー、疲れた」
そう言いながら首を回す琥一君が、ぽつりとこぼす。
「俺ん顔怖ぇか?」
「ん?顔?」
「ガソスタのバイト先でも、接客んとき顔がこえぇって、よく言われんだよな……今日の客にもビビられたし…」
眉をひそめて、ちょっとだけ視線を下げた。目を閉じるとわかる長いまつげが、頬に影を落としている。
普段は強くて頼れる琥一君が、こんな風に話してくれるのが、正直少し嬉しい。
「普段そんな怖い感じしないけどね。…笑ってみて?」
促すと、琥一君は眉間にシワを寄せて「……こうか?」と、頑張って口角を上げる。
うーん笑ってる。笑顔ではあるけど、でも、なんだろう。めっちゃ険しい。
僕は笑って肩をすくめる。
「ちょっとぎこちないね、こういう感じ。……ほらっ」
にぱっと自分でお手本のように笑ってみせると、琥一君は一瞬ぽかんとして、それから力が抜けたみたいに肩を落とした。
「……俺には向いてねぇ」
「なんで。僕、琥一君の笑顔、結構好きだよ?」
琥一君は、目を瞬かせたまま「んだそれ」って固まった。
「だって本当のことだし。男らしくて頼りがいあって、笑顔が素敵っていいことじゃん。僕なんて、『顔が女みたい』ってずっと言われてきたし、男らしさの欠片もないよ」
「顔が女みたいに関しては君にも言われたしね」と付け加える。
何処かバツの悪そうな彼から、「それは悪ぃ」と低い声で言った。
「お前の場合は、言葉遣いもあるんじゃねぇか?」
「言葉遣い?女の人みたいってこと?」
「いや…ん…試しに俺みたいに喋ってみろよ。“ナメてんのかコラ”、って。ほら」
「えぇ……。な、ナメてんのか……こら」
「全っ然だめだ。語尾が優しすぎんだよ、」
「そっかぁ……。ナメてんのか、コラっ」
「違ぇって」
肩を揺らしながら、くしゃっと笑った琥一君は「お前にゃ向いてねぇか」ってお茶を一口のむ。
その言葉に、僕の中の何かがふいに跳ねた。
琥一君の胸元を両手でつかんで、「んなこと言ってっけど」と顔を近づける。驚いた彼の瞳が、ぱちりと揺れる。
「…そんな僕が好きなんだろ?琥一」
自分の口から出た言葉に、緊張と違和感で指先が震えた。
でも彼の、撃ち抜かれたみたいな表情を見たとたん、逆に僕が面食らう。
「……やっぱ僕には、あんまり合わないのかも」
襟元からそっと手を放しながら、誤魔化すみたいに肩をすくめる。
さっきまでのやり取りで軽口を叩いていたくせに、急に恥ずかしくなってきた。
「バカエデ」って言われると思って、彼の襟元を直しながらその言葉を待っているのに。 彼からは、何も返ってこない。
ふと目線を上げると、琥一君が無言のまま、じっと僕を見ていた。
さっきまでの笑いはどこかに消えていて、まるで何かを測るような目だ。
「……な、なに?」
問いかけると、彼は苦笑する。
「問題なのはしゃべり方じゃねぇのかもな」
「え、そんなだめだった?」
思わず問い返した僕に、琥一君は視線をそらすでもなく、軽く唇の端を吊り上げた。
「……内緒だ」
ぽつりと落とされた声に、僕の鼓動が一拍跳ねる。
ほんの少しだけ間を置いて、琥一君はくるりと背を向けた。
なんでもないふうに見えて、どこか逃げるみたいなその背中。
「教えてよ」
笑いながらつぶやいた声が、彼に届いたかどうかはわからなかった。
「今日からお前のこと、楓って呼ぶわ」
唐突な切り出しに、僕は勢いのまま「わかった」と頷く。
「帰んぞ、楓」
なんだか上機嫌な彼は、鼻歌交じりに扉を開けた。
