YOUTH

2年目9月上旬 寄せては消える、泡沫の
主人公side


 二学期がはじまった。
 夏休みが長かったような、あっという間だったような──でも、どこか夢みたいだった日々が、背中からそっと遠ざかっていく気がして。
 だから今日は仕事が終わったあと、意味もなく海へバイクを走らせた。

 久しぶりに被ったフルフェイスの中は、すぐに汗でじっとりする。
 頬に沿うパッドが熱くて、髪がぺたっと張りついて、でもそれすら今は気持ちよかった。

 「……あつ」

 ヘルメットを脱いで、バイクのミラーにひっかける。
 潮風がふわっと額を撫でていった。シャツの前を軽く掴んで、ぱたぱたとあおぐ。
 あたりはすっかり夕方で、浜辺の遊歩道にはもう誰もいない。
 海は遠くの空といっしょに淡く色づいていて、波が柔らかく砂をさらっては返す。

 前に住んでた場所には、海も山もなかった。
 ただ真っすぐな道と、建物ばかりで、季節の匂いなんてほとんどわからなかった。

 でも、この町は──
 空気の粒が大きくて、光がちゃんと陰をつくって。こうして手を広げると、風がシャツの中を通り抜けていく。
 僕は今、ちゃんと生きてるんだなって、そんなふうに思える場所だ。

 「……ふぅ」

 裸足になって、砂浜を歩く。足の裏に感じる砂の粒と、砕けた貝殻。とがった木の枝が、少し痛い。
 深呼吸をして、胸の奥を冷たい風でいっぱいに満たした。

 唐突に、ぶるるる、とポケットで携帯が震える。
 誰だろうと思って画面を見ると、「琉夏君」の文字。

 「……もしもし?」

 『何やってんの、そんなとこで』

 その声に、ほんの一瞬、時が止まった気がした。

 「え……」

 振り返る。
 バイクを停めた歩道の先に、琉夏君が立っていた。
 胸元まで開けた制服のシャツ、海風で少し乱れた前髪と──彼の瞳がまっすぐ僕を見ていた。

 「……来てたの?」

 『うん。偶然。通ったら、バイク見えたから』

 そう言いながら、にこりと笑ってから少し声を落とす。

 『ね、俺もそっち行っていい?』

 「うん……もちろん」

 風が、僕の返事を押し上げていった。
 ふたりの距離が、波の音のリズムに揺られながら、少しずつ縮まっていく。

 「──あっつ」

 潮風に混じって、そんなひと声が聞こえたかと思えば、琉夏君が制服のシャツを脱いでいた。
 少しだけ日焼けした首筋にはうっすら汗が光っていて、こめかみから滴るしずくが、夕陽に透けてきらきら揺れていた。

 「……豪快だな」

 思わず笑ってしまうと、琉夏君はこっちを見て少しだけ口角を上げた。
 でもすぐに、目線はまた海へと戻る。
 ただ海を見ているだけなのに、なんだか胸がいっぱいになって、僕はその静けさに呼吸を合わせた。

 「……俺、ここの海が好きなんだ。一番、綺麗に見える」

 ぽつりとこぼれた言葉。
 それは誰かに向けたというより、自分自身への確認のように聞こえた。

 「そっか。ほんとに、綺麗だね」

 水平線に、夕日がゆっくり沈んでいく。
 輪郭のない光が水面に映って、波のひとつひとつを染めていた。

 「海が好きなんだ。いつ見ても、圧倒される」

 潮風に吹かれた細かい砂が、足の上につもっていく。僕は足をふるって、もう一度砂を踏んだ。

 「自分の過去も今も、あまりにもちっぽけで、取るに足らないことだって、来るたびに教えられる…」

 琉夏君の声は、さらさらとした波音に混じって届いてきた。
 少し遠くを見るような目。だけどその横顔は寂しそうで。

 「琉夏君…僕にできること、ある?なにか、力になれることとか」

 気づいたら、そう声がこぼれていた

 琉夏君は少し驚いたように、目を丸くして僕を見た。
 でもすぐにやさしい目をして言う。

 「ありがとう。でも、もう十分すぎるくらい、力になってるよ」

 「僕が?」

 「うん」

 「えぇ…いつから?」

 「出会ったころから、ずっと。今、この瞬間も」

 風が吹いた。
 琉夏君の前髪がふわりと持ち上がり、光の中で舞う。
 ああ。まただ。
 彼のこの瞳が、実は少し苦手だ。見せたらいけない奥の奥まで、見られている気分になる。

 「……琉夏君」

 呼ぶと、「うん?」と柔らかく返ってくる声。
 じわ、と胸に広がったあたたかいものに、指先が震える。

 「僕は、君に救ってもらったよ。今この瞬間も。君に救われてる」

 言いながら、自分の声がかすかに震えているのがわかった。
 言葉が、喉の奥から押し出されるようにして溢れてくる。

 「だから僕は、君のためならなんでもする。君が僕を救ってくれたみたいに、僕も君を救いたい」

 黙ったままの琉夏君が、少しだけうつむいた。
 そして、息を飲むように小さく笑う。行き場のない思いを、どうにかこらえているみたいな乾いた笑いだった。

 「……はは、カエデ。だめだよオマエ。そんなこと簡単に言ったら」

 「簡単じゃないよ。こんなこと、誰にも言ったことない」

 そう言ったとき、琉夏くんの瞳がふる、と揺らいだ。
 なんでか彼は、こういうとき困った顔をする。人からの好意に慣れていないような、持て余してるような、そんな顔。

 「俺イカれてるから。冗談と本気の区別、つかないよ」

 「いいよ。僕が冗談でこんなこと言わないって、本当はわかってるんでしょ?」

 「……困ったな」

 僕はたまらなくなって、海に向かって走った。

 水位が腰のあたりまで進んだときに、急に腕を掴まれる。振り返ると、焦った顔をした琉夏君が僕の腕をつかんでいた。

 きっとまた、僕が溺れるかもしれないって心配してるんだろう。

 笑いがもれる。
 さっきまで悲しみの底にいる顔をしてたのに、もう今は。その意識の先を、僕に向けてしまっている。

 「やっぱり底抜けに優しいね。琉夏君」

 すっと息を吸い込んで、肺の中を満たす。おなか一杯に力を入れて、底から声を上げた。

 「優しい琉夏君の、心安らげる居場所になれますように!!!!」

 力いっぱい叫んだのに、波の音にあっけないほど飲み込まれる。
 「ふう、すっきりした」って振り返る。唖然としている琉夏君の手を引いて、海から上がった。

 「僕んち行こう」

 下半身をびしゃびしゃにしたまま、僕らはバイクにまたがった。

 「夜ご飯食べて、お湯に浸かって、夜更かしして映画を観ながらお菓子を食べよう。眠くなってきたところで、深夜にラーメンを食べよう。」

 「なんで…」

 「それは幸運にも、僕らが今日も生きているから」

 当たり前じゃない。
 僕も、きっと琉夏君も。今日こうして生きていることは、ただ僕らがラッキーだったからだと知っている。
 
 ぽかんとしていた琉夏君は「そっか」って笑った。
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