YOUTH

1年目5月上旬 君の地雷
主人公side


 遠くの山にもやがかかり、空気がゆるやかに濡れている。近所にかかる鯉のぼりがまだ空を泳いでいて、青空にゆるく揺れていた。

 風が心地よくて、昼休みに屋上に上がってくる生徒も増えてきた。僕もいつもの友達と、日当たりのいい隅に腰を下ろしてお弁当の包みをほどいていた。

 そのとき、ふいに視界に影が差した。

 「カッちゃんだ」

 頭上からかけられた声に顔を上げると、背中越しに覗き込んでくる影がひとつ。明るい陽射しを背負って、金色の髪がふわりと揺れる。
 琉夏君だった。
 あいかわらず人懐っこい笑顔を浮かべていて、柔らかい前髪が僕の頬にかかる。少しくすぐったい。

 「琉夏君。どうしたの?」

 「今月ちょっと厳しくてさ」と、彼は気まずそうに笑うでもなく、さらっと言った。

 「おかず、分けてくれない?」

 その瞬間、ぐぅ〜っとお腹の音が鳴り響いた。びっくりするくらい盛大に。
 思わず吹き出してしまったのに、琉夏君はただ肩をすくめた。

 「ほら。俺、超空腹」

 「あはは……じゃあ、これ」

 僕は弁当箱ごと彼に差し出した。

 「あげる。僕、また菓子パン持ってきてるし」

 「え? マジ? ありがとう!」

 言うが早いか、琉夏君はポケットから飴玉を取り出して僕に押し付けた。お返しのつもりなのか。
 躊躇なく隣に座り込んで、お弁当を大事そうに抱えて食べ始める。

 「もしかして…ご飯貰えないか皆に聞いて回ってたの?」

 飴を用意していたし、やけに手馴れている。僕の問いかけに琉夏君は、ご飯を飲み込みながらあっさりと頷いた。

 「うん。カッちゃんがいなかったら、屋上一周チャレンジするとこだった」

 「屋上一周チャレンジ?」

 「そう。おかずかけて、屋上の塀の上を一周すんの」

 塀の上を?
 思わず視線を屋上の縁に向ける。コンクリートの塀はそれなりに高く、そして決して広くはない。踏み外せば、大怪我どころじゃすまない。

 「……普通に危ないと思うけど、なにか秘密の安全策でもあるの?」

 僕の問いかけに、琉夏君はおにぎりを口に運びながら、首を横に振った。

 「ないよ? でも大丈夫。不死身のヒーローだから」

 その瞬間、ほんの一瞬だけ。
 彼の瞳から、光が消えたように見えた。

 「ヒーロー?」

 「うん。ヒーロー」

 「…アイアンマン…みたいな?」

 「……俺は、レッド。どっちかって言うと、ウルトラマンの方。洋物じゃなくて、国産。」

 「国産…」

 風が吹いた。あたたかい風のはずなのに、なぜか鳥肌が立った。
 笑っている彼の表情は変わらない。でも何気ない会話の根本に、僕は返す言葉を探してしまっていた。

 「そっか。でもさ、ふざけ過ぎて、もしものことがあったらどうするの?」

 責めるつもりなんてなかった。ただ、どうしても気になってしまって、口にした。
 琉夏君は、おかずをもぐもぐしていた口を止めて、それを飲み込む。そして、ふと僕をまっすぐ見た。

 「もしものことはさ──」

 声の調子が変わった気がした。さっきより少し、静かで乾いていて。彼の茶色の瞳から、今度こそ光が引いていく。

 「もしものことは、ふざけなくても起きるだろ」

 ぽつりと落とされたその言葉に、ごく、と喉が鳴った。
 心がざらつく。

 「……うん。そうだね」

 これは──踏み込んじゃいけない領域かもしれない。

 笑っていたはずの琉夏君の表情が、どこか遠いところを見ているようだった。その綺麗な顔が、今は曇って見える。
 「…僕みたいなのに言われるの嫌だと思うけど」と僕は前置きする。

 「僕は…せっかくできた友達が危ないことをするのは…嫌かも」

 自分でも少し驚いた。これは絶対に、今言うべき言葉じゃなかった。
 けれど琉夏君はふわりと笑って、目を細めて頷いた。

 「優しいね、カッちゃん」

 「…ねぇ琉夏君。そんな無茶をする理由が、今月キツいからってことなんだったら…僕に言って。お弁当、作ってくるから」

 思わずこぼれた提案は、僕なりの罪悪感の表れだった。
 琉夏君は目をぱちくりさせて、唇を開く。

 「嬉しいけど、俺、マジで金ないよ?」

 「出世払いでいいよ」

 一瞬だけ、綺麗なその顔に驚きが走る。次の瞬間には、形のいい唇が笑っていた。

 「ありがと」

 そう言って、今度は本当に嬉しそうに笑った。
 「ご馳走様」ってあっという間に空になったお弁当箱を返される。ご飯粒ひとつも残さずに、肉についていた甘辛のタレまで綺麗に食べられていた。

 「あっ」

 急に思い出したように、琉夏君は背筋をしゃんと伸ばして立ち上がった。

 「カッちゃん、B組?」

 「うん。よく知ってるね?」

 「コウがさ──B組の桜井コーイチが、19日誕生日なんだよね。お弁当、作ってくんない?飴ちゃんあげるから」

 「桜井君に?わかった。琉夏君の分も持っていくね。」

 「ありがと♡昼時裏庭集合でよろしく」

 最後にさらっとウインクまでされて、なんだか肩の力が抜ける。

 ひらひらと手を振って、屋上を後にする琉夏君の背中を眺める。軽いノリの中に、何かを抱えていそうな、そんな人だと思った。
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