YOUTH
1年目9月下旬 校舎裏の激情
主人公side
昼休みの鐘が鳴ってから、もうずいぶん歩いていた。
「…どこ行ったんだろう、二人とも」
抱える紙袋には、朝早くから仕込んだ三人分のお弁当が保冷材に包まれて眠っている。二人を探して歩き回るうちに、もう昼休憩の時間も終わりそうになっていたみたい。
「はぁ…もう戻ろうかな」
脇道に曲がる。校舎の裏手。夏の名残を引きずる日差しが、砂利を乗せたコンクリートの隅にまだ熱を残している。
「今日は無理か…」
残念そうにつぶやいた、そのときだった。
「……おい、そこの」
背後から声がかかる。
振り向くと、彼の知らない顔の男子が二人歩いてきていた。制服の袖を捲り、ノーネクタイ。
「桜井の知り合いか?弟の方の」
唐突に名前を出されて、一瞬、答えに迷う。
「……そうですけど」
「チッ、やっぱな」
一人が、わざとらしく鼻を鳴らす。
「調子乗ってんだよな、あの兄弟。そろそろうぜぇから、一発シメるわ」
「…僕を?」
ひとりが近づき、乱暴に僕の肩を掴んだ。
「なあ、弁当作ってきたの?アイツらに?」
「……離してください」
言葉にした瞬間、腕が押された。「う」とバランスを崩して手から紙袋が落ちる。
「……あ」
弁当箱が、コンクリートの地面にぶつかる音。
ふたが外れ、中身がばらまかれた。鮮やかな卵焼き、煮物、ご飯の粒が、土の上に散っていく。
「うわー、ぶちまけた。昼メシ台無しかよ」
笑いながら言う声が、周りに響く。
僕は、しばらく言葉を失っていた。何がショックだったのか、自分でもよく分からない。ただ、胸がひどく静かに痛かった。
二人、楽しみにしてただろうに。
ほっぺたに汗が伝った。こぼれたものを拾おうと膝をつく。手を伸ばした瞬間、黒ずんだ靴にその手を踏みつけられた。
「い…っ」
「おい」
目の前に立った上級生が、僕の耳たぶを掴む。
「なんだこれ。てめぇもピアスしてんのか。チャラつきやがって」
「……っ、やめ…」
反射的に身を引こうとしたが遅かった。
ピアスのキャッチがぎりぎりと捻られたかと思うと、ぷつっと皮膚が裂ける感覚が走った。
「うわ、血ィ出てんじゃん。汚ぇ」
そう言って僕のシャツの裾で、上級生は自分の指についた血を拭う。
「痛いんですけ…っ」
言いかけた瞬間、上級生が顔を近づけて言った。
「アイツらといると調子に乗る。目立ってんだよ、お前も」
僕は瞬きをした。
頭の中で何かが、ふっと冷えていくのを感じた。
暴力が怖いわけじゃない。理不尽が、悔しいわけじゃない。
ただ──こんな奴のせいで、二人がご飯を食べられないことが、悔しかった。
「……食べさせてあげたかったのに」
ぽつりと呟いた声は、誰にも届かなかった。
「……謝れよ」
低い声が、自分の喉から落ちた。
上級生が拳を振り上げる。けれど僕の体はもう、動いていた。
タイミングに合わせて腰を屈める。拳が空を裂き、相手のバランスが崩れた。勢いそのまま、巨体が地面に手をついた。
「は?」
彼は、意味がわからないというように顔をしかめる。しかしすぐに、手についた砂払いながら立ち上がった。
「謝ってください」
「……は、あ?」
一歩前に出る。
制服の胸元にはまだ血が滲んでいる。左耳から伝う赤が、ピアスのシルバーを染めていた。
「なんだてめぇコラ!スカしてんじゃ」
「カッちゃんに絡んでんじゃねーよ、テメェら……!」
重たい何かをぶつけたような鈍い音。
「な──」
声を上げかけたもうひとりの上級生に、琉夏君の飛び蹴りが容赦なく入った。彼の白いスニーカーが相手の肩口を打ち抜いて、背中から倒れる。
「ルカッ、落ち着け」
いつの間にか立っていた琥一君が低く声をかける。だがその表情はまるで冷えていた。
怒っているのではない。もっと静かな、底のない侮蔑の色が宿っている。
琥一君は僕の前に歩み寄ると、肩についた土を払うように制服の裾を直し、手早くピアスの状態を確認した。僕の耳元を見た瞬間、彼の眉間の筋肉がぴくりと揺れる。
「チッ……」
ほんの小さな舌打ち。けれど、それが何よりも苛立ちの深さを物語っている。
彼は僕のそばに立つ上級生の襟元を片手でつかんで、そのまま地面に打ち付けた。
「ぐっ」
その横で琉夏君が、蹴っ飛ばした奴の胸倉をつかんで言った。
「……自分のやったことわかってんのか?」
琉夏君の声色は明るい。でもその目は笑っていない。上級生が怯えたように顔を逸らす。
その瞬間。
琥一君に倒された奴が、急に動いた。下から蹴り上げられる足。
それを視界に捉えた瞬間また、僕の体が動く。
半歩だけ下がる。琥一君を庇うように手で制して。
何も考えていなかった。ただ、
空を切った足が琥一君と僕の間を抜け、バランスを崩した上級生は勢いのまま横倒しに倒れ込む。
ドサッ──
乾いた音。埃が舞い、沈黙が降りる。
なんだかもう我慢の限界だった。一切の反省の色も見せなければ、彼らが反省したところで僕のお弁当は戻ってこない。
そんな現状に、やりきれなさで唇が震えた。
「……謝れ」
うめき声を上げるそれを見下ろして、心の底からそう思った。
その横に手をついて、膝をついて、上に跨る。
「謝れって」
同じ調子で、同じ言葉を繰り返す。淡々と。
「謝れって言っているだろう」
琥一君が何かを言いかけた──その時。
「カッちゃん、こっちおいで」
優しい声が、背中から届いた。
わきに差し込まれる琉夏君の腕。次の瞬間には、視界を彼の白いシャツが覆っている。
柔らかな匂いに、力が抜けた。
「もう大丈夫だから」
そう言って、背中を撫でられる。鼓動が、少しずつ落ち着いていく。何も言えなかった。
そのくらい、琉夏君の胸の中はちゃんと温かくて。
「じゃ、先行ってんぞ、コウ」
琉夏君はそれだけ言うと、僕の肩を抱いたまま静かに校舎裏を後にした。
僕らが角を曲がるまで、誰も何も言わなかった。
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そして残ったのは、琥一と、地面に転がる上級生二人だけ。
琥一は、黙って地に落ちたお弁当箱を拾った。
ぐちゃぐちゃになった中身を見て、そっと蓋を閉じる。
そして──
上級生の頭を掴み、髪を乱暴に引き上げた。
「……次はねぇぞ」
ドスのきいた低い声だった。
けれどその声には、寸分の感情も混じっていなかった。
上級生が反射的にびくりと肩を揺らす。
「次、アイツに手ェ出したら、もうここじゃ済まねえから」
冷たく静かな瞳が、すぐ間近にある。
「……覚えとけ」
髪を放すと、上級生はその場にぺたりと座り込んだ。
琥一は何も見なかったかのように踵を返す。
その背中は、ずっと前からこの場にいるのが面倒だったというような雰囲気すら纏っていた。
