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セレフィナスの魔女 -それは、祈りを紡ぐ魔法-

矛盾の中で生きている


癒しの光がまた一つ、人の胸の痛みをさらっていった。けれどそこに残る残滓は、いつもと違っていた。柔らかな光は重たく滞り、空気の中に溶けずただ沈んでいる。
風が止まり、音が遠のき、世界から一瞬、命の気配が消えたようだった。
ラセルはその場にいた。何かが壊れる音もなく、ぽっかりと抜け落ちたことを肌で感じた。

「……セレフィナスの魔女?」

彼女はたった今旅立った遺体に手を差し出したまま、動けなくなっていた。肩が震え、指先が宙を彷徨っている。
ラセルはゆっくり近づき、彼女の手を取った。その手は、震えていた。

「今……何が、抜けた?」

問いかけながら、手の内側の自分の震えにも気づく。ついさっきまでそこにいた彼女が、遠くへ行ってしまった気がして、恐ろしい。
魔法は、記憶を削る。それは知っていた。何度も見てきた。でも今回は違った。
何か“軸”のようなものが確かに失われていた。彼女の内側にぽっかり空いた空洞が、言葉よりも先に伝わってくる。

「どうして……どうして、それでも生きてこられたの?」

喉の奥で擦れたその声は、ラセルが初めて“自分のために”ぶつけた問いだった。セレフィナスの魔女は、まぶたを静かに下ろす。

「私の記憶など、価値はない。」

淡々と告げられたその一言に、動きが止まった。痛みを感じていないようなその口ぶりに、胸が詰まる。
同時に、自分との記憶にも価値がないと言われたようで、足元が揺らいだ。これまでの日々が、音もなく崩れ落ちていく感覚。呼吸が、どこかへ逃げていく。

「で、でもあんたが看取った人たちは、忘れていい存在じゃないでしょ?」

自分を隠すために、もっとも嫌いな“綺麗事”が口をついて出る。それが正論であることに、余計に苛立ちすら覚えた。
魔女はゆっくりとラセルを振り返る。
不思議そうな、そしてどこかあたたかな目で、問い返す。

「他でもない君が、そんな綺麗事を私に吐くのか。」

その一言で、胸を抉られた。
初めて出会ったあの日、自分が吐き捨てた言葉が、彼女の口からこぼれる。

「君ならば、他人など正直どうでもいい、くらい言ってのけると思っていたのだがな」

 あぁ。

ラセルは息を呑む。
彼女は、あの日のことすら覚えていない。
そのことに気づいた瞬間、彼の中に何かが音を立てて崩れた。

――彼女の記憶から、自分の一部が抜け落ちた。

それは、再び“見捨てられた”ような、あの頃に似た気分だった。悲しくて、気分が沈む。けれど同時に、もう一度自分の心を見つめ直すように、ふと過去へと思いが向く。

思い出したくもない過去。でも、そこにある。
「たいして大事でもない。忘れても困らない」
そう思っていたはずだった。だけど――だからこそ、手放せなかった。

壊れた過去を持っている自分を、ずっと支えにしてきた。
未来よりも、過去の方がましだと思っていた。苦しくても、確かだから。

矛盾している。そんなこと、自分でもわかってる。
でも自分を生かしているのがその矛盾なら、それもまた命のかたちなんじゃないか――そんな気がしていた。

セレフィナスの魔女は、今日も静かに一人を送っていく。
ラセルはその姿を、ただ見つめていた。言葉にはしない。何を言えばいいのかも、まだわからない。
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