セレフィナスの魔女 -それは、祈りを紡ぐ魔法-
来ることのない来年
指先に、土の感触が馴染んでくる。さらさらと乾いた粒。柔らかく、少しだけ温かい。
陽射しは穏やかで、風は涼しい。ラセルは一人、裏庭の畑でしゃがみこんでいた。小さな芽が顔を出している。昨日よりも、確かに伸びている。
「……こんなに、一日で伸びるんだね」
ぽつりと、誰に聞かせるでもない声がこぼれた。彼女がこれを見たら、なんと言うだろう。葉の形を撫でて、育ちすぎたら少し摘んで、「美味そうだな」なんて笑ってくれるかもしれない。
先日、一緒に作った料理のことを思い出す。切った野菜の手触り。スープの香り。食卓の向こうで、魔女が「うまいな」と言って微笑んだ顔。それが、何度も脳裏に蘇る。
誰かと一緒にご飯を食べたい。
ただそれだけの、当たり前のような願いが胸に芽吹く。
気づけば、もう「死にたい」なんて気持ちは、とっくに水と一緒に、この土の奥へ吸い込まれていた。
ラセルはふと、あの日の言葉を思い出す。
『消えるその日まで、私は明日の予定をたて、来年の為に野菜を植える。数年後のために薪を割る』
それを聞いたとき、自分はただ頷いていただけだった。けれど今、その意味がひどく重たくのしかかる。
……来年は、ないのかもしれない。
魔力の代償に失われていく記憶。少しずつ少しずつ、彼女の輪郭が削れていく。その果てに何が待っているかなんて、考えるまでもない。
果樹の列を見る。幹の太さからして、何年も、あるいは十年以上前からこの庭にあったのだろう。彼女は、ずっとそうして生きてきた。来年を見つめながら、来ないかもしれない明日に、手を伸ばしていた。
その姿を思っただけで、ラセルの喉の奥が詰まる。
「……っ」
指が、土の中に沈む。肩が、小さく震える。泣きたくなんてなかった。でも堰を切ったように、涙が流れた。
来年も、彼女の隣で野菜を食べたい。
明日じゃない。今日でもない。来年。何でもない日常のなかで、笑いながら一緒に食卓につきたい。
叶わないことは、もうわかっている。それでも手を伸ばしたいと思ってしまった。
「……生きたい」
ぽつんと、土に落ちる声。その言葉が、自分のものだと気づいたとき、ラセルは胸を押さえた。
痛いほどの悲しみと、どうしようもない願いが、心の奥で暴れていた。
「あんたと…生きたいよ…」
来ることのない未来に手を伸ばすことが、こんなにも切ないなんて。空は、晴れていた。彼女の植えた野菜の芽が、風に揺れていた。