セレフィナスの魔女 -それは、祈りを紡ぐ魔法-
音のないやりとり
朝の陽は、薄布越しにやわらかく差していた。窓の外はまだ静かで、鳥の声もまばらだった。
魔女はベッドに寝そべったまま、ぼんやりと天井を見ている。起きる気配はない。というより、起きたくなさそうだった。そんな姿に苦笑しながら、ラセルはひとつ溜息を吐く。
「相変わらず寝起き悪いなぁ」
「当然だ。眠りは……貴重なのだ」
寝ぼけた声でそう答えると、魔女はくるりと背を向けて、毛布に顔を埋めた。白銀の髪が枕に散っている。朝の光を受けて、糸のようにきらきらと揺れていた。
ラセルはふと思いついて、机の上から櫛を取った。
「髪梳かすよ」
「ん……」
拒む様子もなく、魔女はそのままうずくまっている。ラセルはしゃがみ込み、櫛を軽く通した。絡まりはほとんどなく、髪は驚くほど素直に櫛の歯を滑っていく。
「すごい。さらさらだ。指の間から抜けてく」
「当然だ。私の髪だからな……」
気持ちよさそうに応える声は、どこか遠のいていた。櫛の音に混じって、ラセルが鼻歌をくちずさむ。古い歌。どこで覚えたかも定かじゃないけど、ふと口をついて出てきた。
その穏やかな旋律に揺られるように、魔女の呼吸は次第に深くなる。寝返りを打つ気配。再びうとうとと眠りの中へ沈みかけていた。
ラセルはふと、ぽつりと問いかけた。
「……ね、セレフィナスの魔女って、本名?長くて呼びにくいんだけど。」
「それはただの呼び名だ。」
魔女はわずかに体を揺らしただけで、顔を向けはしなかった。ただ、少しだけ声を落とす。
「誠の名は渡してはいけない。昔から、そう決まっている。」
「そっか」
それ以上は訊かなかった。訊く必要もなかった。ただもう一度、「そっか」と一言残して、ラセルは再び櫛を通した。静けさが戻る。外では風が草を鳴らしていた。
「呼びにくいならセレフィナスでもいいぞ。セレス、と呼んでいた同胞もいた。」
「…僕は今のまま、セレフィナスの魔女か、あんたでいいや。」
「そうか。」
また魔女は黙ってしまった。眠いのか、呼吸もすぐ深くなってしまう。
彼女の意識が完全に落ちる手前、ラセルがぽつりと尋ねた。
「……三つ編み、してもいい?」
「ふむ。やったことはあるのか?」
「まぁ。」
どこか曖昧な返事に、魔女は小さく肩をすくめるだけだった。深くは追及しない。手探りの会話も、今ではもう慣れた。
「では、頼む」
そう言って、彼女はベッド脇の小箱からヘアゴムを取り出して、無言で手渡す。そして、すとんとベッドの上に座り込んだ。ラセルもその隣に腰を下ろす。
彼の指が器用に髪を分ける。一束、一束、白銀の糸を編み込んでいく。魔女はじっとしている。ふたりの間に流れるのは、言葉ではなく、音のないやりとりだけだった。
時折、毛先が肩に触れた。ふいに笑いそうになるのを、どちらもこらえた。
静かな朝だった。
ただそれだけなのに、息をするのが少しだけやさしくなった気がした。