セレフィナスの魔女 -それは、祈りを紡ぐ魔法-
未来の予定表
風が抜ける。薬草の匂いと柔らかい土の香りを運びながら、広い庭をすり抜けていく。
裏庭のテラスには、小さなテーブルと椅子。ふたり分の紅茶が、まだ熱を保っていた。誰も来ない。音もない。遠くに見える雪山と、緑に溢れた庭だけが、確かにこの場所の時を刻んでいた。
ラセルはふと、この光景を「綺麗だ」と思った。
「ねぇ。セレフィナスの魔女が消えたら、ここはどうなるの。」
その問いに、セレフィナスの魔女はひと口紅茶を飲んだ。
今朝になって初めて、魔女は彼女の魔法を説明した。魔法を使うたびに、膨大な魔力と一部の記憶をなくしていく。もうほとんど生きてきた記憶はなくなっており、魔力もじきに底を尽きるとのことだった。魔力のなくなった魔女は役目を終え消えてしまうとのことらしい。
突然の告白に、ラセルは困惑気味にまだその事実を咀嚼していた。
「さぁな。君の墓場にでもしたら良いんじゃないか。好きな薬を使っていいぞ。」
冗談のようで、本気の言い回しだった。
「……本当に、あんたはいなくなるの?」
「あぁ。」
「あと、どのくらいで?」
「さぁな。そんなの、誰にもわからない。」
あまりにも他人事のような口ぶりに、ラセルはじわりと苛立ちを覚えた。でも、それを責めるにはあまりにも彼女は、静かで美しかった。どうも人間らしくない。
本を閉じて、テーブルに置く。そしてゆっくりと問いを継いだ。
「なんで、魔法を使うたびに記憶が消えちゃうの?あんたみたいな強そうな魔女って、とことん最強が定石じゃん。」
「一度に魔力を使いすぎてしまうからな。記憶を代償にしているんだ。」
「消えちゃうくらいなら辞めたらいいじゃん。」
「やめられない。私は、それでしか人を救えない魔女だからな。魔女は人のためにいる。」
言い切るその声に、何の迷いもなかった。そこが怖かった。
「……よくわかんない。」
「そうだろうな。」
雲が切れて、テラスに陽が差す。
「なんでそんな飄々としていられるの…」
鳥の声がひときわ高く響いた。テラスの欄干で羽を休めて、すぐに飛び去っていく。その音を追うように、魔女は顔をあげて「あぁ」と声を漏らした。
「もしよければ、そこの花壇に水をやってくれ。植えたばかりなんだ」
「……スプリンクラーがあるじゃん。」
「届かない場所なんだ。」
「もう消えるのに? 花を植えたの?」
ラセルの投げた言葉に、彼女は眉ひとつ動かさず微笑んだ。
嫌味として受け取られないのが、かえって悔しかった。それでもラセルは立ち上がって、じょうろに水を汲んだ。
「消えるその日まで、私は明日の予定を立て、来年のために野菜を植える。数年後のために薪を割って、そうやって過ごすんだ。」
「……そういうものなの?」
「そういうものだ。」
花壇に注ぐ水は、まだ芽も出ていない柔らかな土にじわじわと吸い込まれていく。少し泥が跳ねた。その小さな変化に妙な現実味を覚えて、ラセルは俯いたまま唇を結ぶ。
「君も、何か予定を立てるか?」
魔女がふいに立ち上がった。風が彼女の長い髪をふわりと揺らす。光を帯びた銀の流れが、風の中でほどけていく。
「……僕が? ここで?」
思わず聞き返したラセルに、彼女はにっこり笑って答えた。
「それが、生きるということだ。」
風に舞うその髪だけを、ラセルは目で追った。何かを言いかけて、飲み込む。その代わりに、短く問うように見上げた。
「そういえば君と出会ったのは屋上だったな。」
そう言って、彼女はじょうろを受け取る。ラセルは何も言わず、それを手放した。
「準備ができたら、いつでも声をかけてくれ。……痛くはないぞ」
“何のことか”なんて聞かなくても、わかっていた。むしろ聞きたくなかった。ラセルは長いまつ毛を伏せ、静かに目を閉じる。影が頬をなぞって、白い肌に沈むように落ちる。しばらくの間、風の音だけがあった。
やがてラセルは顔を上げる。
「……わかった」
「よし」
それだけで、セレフィナスの魔女は満足そうに微笑んだ。
ラセルは、黙ってカップに紅茶を注ぐ。ぽたり、ぽたりと音がして、やがて湯気がふたたび立ち上る。
「ありがとう、ラセル」
その声に、彼は少しだけ視線を上げて、何も言わずに頷いた。