セレフィナスの魔女 -それは、祈りを紡ぐ魔法-
本当の気持ち
夜の底で、静かに魔力が満ちる。
セレフィナスの魔女は、自身の回路を開いていた。
もともとラセルに残しておいた魔力だった。
しかし彼女は、それを自分自身に使うことに決めた。他でもない彼に、そう勧められたからだった。
「結局消えることには変わらないんだ。」
「……本当に、消えちゃうの。」
ラセルの声はどこまでも静かで、諦めに近かった。
「ああ。」
魔女は見つめながら頷いた。
ぐっとラセルは唇を噛んだ。
「消えたくないって、本当に思ったりしないの?」
「思わないな。未練はないと言っただろう」
「……僕は?」
「確かに私は君を大層気に入っていたようだが…」
ラセルは少しだけ目を伏せた。
握り締めた服の裾が、しわくちゃになっても握るのをやめられなかった。セレフィナスの魔女は柔らかく笑って、彼の髪を撫でた。
「だって君はもう、死にたいとは思っていないじゃないか。」
「わかる…?」
「ああ。私はセレフィナスの魔女だからな。」
「…確かに、僕は生きたいと思ってるよ。」
その一言と共に、空気が震えた。
ふっと彼女の周りが和らいだ。笑ったのだとラセルはハッとする。光がまたたき、魔法が発動した。
「待って!!!」
ラセルの手が、彼女の腕を掴んだ。
一瞬、魔女の青い瞳に焦燥が灯る。ばちばちと発火するような熱が弾けた。
「う”」とラセルは瞳を顰める。次の瞬間、足元の魔方陣から炎が上がった。二人の身体が炎に包まれる。
「僕は生きたい!!!」
「離せラセル!!!君まで」
「あんたと!!!二人で!!!!!」
それはただの願いだった。
彼が初めて発した、心からの願いだった。
「……っ!」
魔女の眉間にシワが寄る。きゅっと結んだ唇から、赤が滴った。
ごうごうと燃え上がる業火の中で、魔女はラセルの身体を抱き寄せた。
「…―――、―――」
小さな、けれど確かな声で彼女が何かを唱える。
魔法の回路がねじれ、制御を失いかけた世界を、再び抱きとめるように。
炎が光に変わった。
優しく、淡く、瞼の裏に残るような光だった。
それは、祈りを紡ぐ魔法。
“生きたい”と願う、ただそれだけの祈り。
魔法はほどけ、花びらのように宙を舞い、
やがて静かに空気へと溶けた
「……やってくれたな、ラセル。」
腕の中の彼に、セレフィナスの魔女は笑いかけた。
その表情には、怒りも悲しみもなかった。
ただ呆れたように、そしてどこか嬉しそうに。
「詠唱中に魔女に触れるなんて、なんて危ない真似を。」
ラセルは気まずそうに、けれど真っ直ぐに彼女を見た。
その顔に、もう火傷のあとはない。
「……ごめんなさい。大丈夫?」
「大丈夫なものか」
彼女はふ、と息を吐く。
「おかげで回路はねじれ、魔力を使い切ることもできず、魔法すら使えなくなった。出口がふさがれたようなものだ。」
そして、ぽつりと。
「魔女でない私など、消えて然るべきなのに。」
どこか吹っ切れたような顔をして、彼女は乾いた笑いを漏らした。その言葉に、ラセルは首を振る。
「ごめんなさい。でもそれは間違ってる。」
その声は低く、けれど揺るがなかった。魔女だった者は、瞳だけで問い返した。ラセルは彼女の両手を包み、そして真っすぐその瞳を見据えた。
「魔法でしか人を救えないってあんたは言ってたけど……僕を救ったのはあんただよ。魔法じゃなくて、あんた自身。」
「…私自身か。」
その言葉が、彼女の胸の奥まで深く届いた。
セレフィナスの魔女の“魔法”ではなく、“存在そのもの”を望んだ言葉。
どこかでずっと聞きたかったもの。
ラセルは懐から一枚の手紙を取り出した。
「それは……?」
「あんたが“終わりの日の自分”に手紙を書いたとき、僕も書いたんだ。終わるはずだった今日、渡せればいいって思ってた。」
彼女が受け取った手紙を開く。
そこには、たった一文だけが綴られていた。
”願わくば、あんたの失いたくない記憶になりたい。”
ぽつんと、涙が頬を伝った。
与えられた生き方に、疑問を抱くことなどなかった。ただ生きているから。力があるから。だから魔女として生きてきた。
魔力と共に記憶を使うのも、そこに価値を見出したことなどなかったからだ。
だけど今、彼の言葉が、その運命に光を灯した。
魔女だった者は、困ったように微笑む。それはまるで、初めて知る感情に、戸惑うような笑みだった。
ラセルはもう一度、彼女の手を取る。ためらいなく、しっかりと。
「僕を、あんたの未練にしてよ。」
魔女だった者は、泣きながら笑った。
「困ったな。とんだ人間を拾ったものだ。」
「いいでしょ、新鮮で。。」
ラセルは大きな瞳を開き、彼女を見た。
「もうあんたは、セレフィナスの魔女じゃない。」
「あぁ。」
「…名前、聞いてもいい?」
彼女はゆっくり瞬きをした。形のいい唇が、そっとその名前を紡ぐ。
「リュミエールだ。」
「リュミエール。勝手な僕を、許してくれる?」
「いいだろう。私は君が嫌いではないからな。」
「僕もだよ。」
ラセルは笑った。それはリュミエールが見てきた、どんな彼の笑顔よりも幸せそうにほころんだ。