七瀬遙
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高校生の時、遙は何となく、クラスのライングループに入っていた。自分から発言することは勿論無い。だが、担任が伝え忘れていた情報や、自分が聞いていなかった課題のことなどが分かってとてもありがたがった気がする。
卒業式が終わり、わいわいと賑わう中、一際目立っていたのが、彼女達だった。
「ごめん、もう帰るわ。じゃあ、ばいばい」
「え! 帰るの?」
「もう……。ちゃんと連絡してよ?」
「するする。じゃあね」
あまりクラスメイトに興味がなかったせいで名前もうろ覚えだが、彼女、──柊名前は、遙から見てもあまり卒業生のように感じなかった。感動も、三年間過ごしてきた友達との別れへの寂しさも哀しさも感じさせない軽い足取りで、一年間詰め込まれていた箱から何の感情も無しに去って行った。
遙は少しだけ彼女の後ろ姿を見つめ、「はるちゃん!」と呼ぶ、後輩の元へと足を運んだのだった。
その日の夜、何気なく開いたクラスのライングループで、柊名前が退出しましたの文字が見えた。
「……」
自分には、仲間がいる。かけがえのない、仲間が。だが、彼女にはいなかったのだろうか。
そこまで考えて、携帯の画面を落とした。
何故、こんなにも彼女のことが気になるのかが遙は自分自身でも分からなかった。
姉に、お前は潔癖なのだと言われた。
なにも、電車のつり革が持てないだとかドアノブはアルコール除菌しないとさわれないだとか、そう言うことではなくて。
人間関係に、潔癖なのだと。
それって、ようは
「……ただ、友達が少ないって言いたいだけでしょ」
「そういうことじゃなくて。そういうことでもあるけど」
あるのかよ。
「じゃなくて。自分に合わない人、プラスにならない人だと思ったら容赦無く切っていくよねって言いたいの」
「……」
「別に、それが悪いこととは言わないよ。実際、悪くないし。ただ、何だろうな。警戒しすぎって言いたいの。だから友達も少ないし彼氏だってできないんじゃん」
「うるさい」
友達が少なくたって、彼氏がいなくたってどうでもいい。人の多いところは苦手だし、大きな声で騒ぐ人間はもっと苦手だ。毎日顔を合わせるのならその間だけは我慢する。けど、それが必要じゃなくなったとき、切る切らないは私の勝手だ。
結局、面倒なのだ。
他愛もない話も、自分についてあれこれ詮索されるのも。同化した“他人”という波の中から「柊名前」という一個人を引っ張り出されて特定されるのが、私は随分と前から大嫌いだった。
ゴミみたいな父親のせいで、男に対しては余計にそうだった。
「せっかく綺麗な顔してんのに」
「こんなゆるい顔してるから、押せばヤレると思われるんだよ。最悪」
裏表無い方が良いとか、馬鹿みたいだ。
みんなに見せる表面を綺麗に取り繕わなければ、人間関係は円滑にいかない。油を塗りたくったように考えていることと舌を連結させて、私思ってることなんでも言えますみたいな人間はただ空気が読めないだけ。その場の和を乱すだけ乱して何もできないんだから救いようが無い。
偶に、裏も表も無い人はいる。
いるが、全てが全て良い意味での裏表無いとは限らない。
私は、幸運にも綺麗な顔で生まれてきた。母さんが綺麗に産んでくれた。多分、神様も最初から私がこんな性格だってことを知っていたんだと思う。じゃなきゃ、このくらいのハンデがないと私はこの窮屈な世界を生きていくことはできない。だけど、あまりにもゆるい顔をしているせいか、押せばいける、ヤレる、悩みがなさそうだとか、散々だ。私が頭のゆるい女なのがいけないのだろうが。
綺麗なネイルも、くるくると巻く髪の毛も、鮮やかな色にする髪の色も、女を美しくする化粧も、軽い女だと思われる手段になってしまう。
自分を飾りたて、綺麗にすることは大好きだ。だけれども、それをすることで頭も股もゆるい女だと思われかねないので却下。
……今のは完全に被害妄想だが。
「はあ……。母さんから相談されたんだよ。休みの日はずっと家だし、友達と遊びに行くことも滅多にないし、口開けば漫画漫画で化粧っ気のないあんたをどうにかしろって」
「余計なことを……」
「だから、同窓会参加するようにしたから」
「はあ!!!!??」
叫んで、慌てて口を手のひらで抑えた。
滅多に家に帰ってこないくせに、なにをしてくれているのだろうか。というか、要らんことをしてくれやがった母さんも母さんだ。
氷が溶けきっていない水を喉に流し込み、冷静を装い口を開いた。
「待ってよ、確かそれゴミ箱に捨てたはずなんだけど」
「母さんがそれを見つけて保管してたの」
「……」
頭を抱えた。
破いて捨てればよかった。
何で見つけて保管してんだよ。
違う、今は終わったことを嘆いている時ではない。
「同窓会とか、私が最も苦手としているものなんだけど、知ってるよね?」
「うん」
「ならなんで……!!」
「こうでもしないと、あんたその潔癖治んないでしょ?」
「治らなくても、私は困らない」
「それに、いい男と出会えるかもしれないでしょ?」
言いたい放題だ。
なんだ良い男って。
だいたい卒業してまだ二年しか経っていない。
二年の間で良い男になっている筈ないし、そもそも良い男がいたなら在籍中に気づいている。……多分。
酒を飲んで中々に機嫌の良い姉を睨み、唇を噛み締めた。行きたくない。行きたくなさすぎる。
今から憂鬱だ。
「皺できるよ」
「うるさい」
重たい。
気分が、足が、化粧した顔が、アレンジした頭が、大振りのピアスが。
どよよんと溜息をつきそうになり、笑顔の友達がこちらにくるのが見えて飲み込んだ。重たい手を上げて、久しぶりのご対面。
「……久しぶり」
「名前ー!」
「絶対来ないかと思ったー!」
「えー、あんためっちゃ綺麗になってんじゃん」
「はは。私もねー、来るつもりはなかったんだけどさあ」
茶髪や金髪に染めたりするクラスメイトがいる中、名前は珍しく遙と同じで地毛のままだった。
わあ、と湧き上がるのは何も彼女の友達だけではない。遙は、周りの男たちもが小声で騒いでいるのをなんとなしに聞いていた。
高校の頃から、クラスメイトの男子が遠巻きに名前を見て騒ぐのを何となく知っていた。
「……」
たしかに、大学で色んな人に会うが彼女は引けを取らない、いや、ずば抜けて綺麗だ。
あまり人の顔に興味がない遙も、そう思った。
だから、というか、そもそも人と積極的に関わったことがないせいで、こういう時、どうして良いかわからない。
頼みの綱である幼馴染は、急に入った大事な大事な用事で泣く泣くこの同窓会参加を蹴っていた。
「……帰りたい」
友人に漸く解放された名前は、端の端で項垂れていた。遙も、あまり人と話す人間でないため、わいわいと騒ぐ連中から逃げていれば同じところにたどり着くということだ。
腕を枕にして、泣きそうな声で呟く名前に、遙は一層戸惑った。
多分、というか、絶対に彼女は遙に聞かれていると思っていない。そもそも、名前は遙の隣に座っているということさえ気付いていない。
落ち込みに落ち込んでいる人が隣にいるのに、何もしないほど、遙は冷たくなかった。だから、困っていた。
「帰る……無理……」
そんな遙の困惑を知らない名前は陰鬱な気持ちでいっぱいだった。
より涙声が増したところで、遙は堪らず「柊」と彼女を呼んだ。
「っ!」
ばっと顔を上げた名前に、何となく頼んでいた、まだ手の付けていないオレンジジュースを手渡した。やはり、遙の存在には気付いていなかったらしい。
髪は染めていないが、いくつもあいている耳たぶや軟骨がちらりと見えて、意外だなと頭の片隅で呟いた。
「これ。……飲むか?」
「あ、ああ、うん、……ありがとう、七瀬」
「……いや、気にするな」
名前、知ってたのかと胸がざわつくのを抑え、明らかにテンションの低い名前にまた声をかけた。
「来るの、嫌だったのか?」
「あー、……うん。こういう、騒がしいところ苦手で。七瀬こそ、来ているとは思ってなかった。女子が喜んでたよ」
「? 俺は、……真琴がくると思ってたから」
「あー、……えっと、橘だっけ? 仲良いよね」
「幼馴染だからな」
「へえ、知らなかった」
「これ、百パーセント?」と、オレンジジュースの入ったガラスコップを手の中で玩びながら彼女が聞く。ああ、と遙が答えると、僅かに緩めた口元にそれを持っていく。
「好きなのか? それ」
「ん? ……ああ、オレンジジュース? 好きだよ。美味しいし」
「なら、よかった」
「ていうか、ここにいて良いの?」
「……どういう意味だ?」
癖、なのだろうか。
名前は先ほどから自分のピアスを指先でよく弄っている。それを目で追いながら、意図の見えない質問をされて、遙は少しだけ眉に皺を寄せた。
「いや、七瀬って高校の時から結構モテてたから。大学で活躍してるらしいし、そうとなれば尚更それに拍車がかかるでしょう? 凄い目で私のこと見てくるから、あの子たち」
「え」
「まあ、七瀬は興味無さそうだったし、そういうの。今は、どうなのかは知らないけど」
「……よく、知ってるんだな」
「……七瀬の目、綺麗な色だなあって思ってたんだ。それに、こういう話は友達から入ってくるもんなの」
「そういうものか」と遙が言えば、名前は肩をすくめ「そういうもの」と返した。
雨の日の空みたいな、色。彼女は高校生の時に偶々知った、彼の瞳の色が気に入っていた。今、こうして間近で見ることができて、来てよかったかもしれないなんて思っているほどに。
七瀬がくれたオレンジジュースを飲んで、名前はそんなことをぼんやりと思った。
それにしても、存外よく喋るのだな。
遙を横目で見て、彼女は知らなかったクラスメイトの一面に触れたことによる原因不明の高ぶりに、残りのオレンジジュースを全て飲み干した。氷が溶けて、薄まってしまったそれはあまり美味しくない。
「……もう、帰ろうかな」
かさましのために入れられた大量の氷が溶けずに残ったガラスコップを置いて、水滴で濡れた手を手ぬぐいで拭う。
疲れた。やはり、来るものではない。
名前は横に座る遙を見て、その名前を呼んだ。
「七瀬、私帰るから、なんか聞かれたら帰ったって言っておいてくれない?」
「いや、俺もそろそろ帰る」
「……」
「なんだ」
「いや、……今も、興味無いんだなって思っただけ」
何のことだ、と言いかけて苦笑して自分の後ろを見ている名前に、先ほどの会話が蘇る。
肩をすくめてそれとなく肯定すると、名前は後ろを見つめたまま小さく小さく面倒だなあと呟いた。
遙はそれを聴きながら、僅かに残っていた水を飲んだ。
「じゃあ、帰る。喋れて楽しかった。気遣わせてごめんね」
「いや、気にするな。それと、俺も出口まで一緒に行く」
「え」
「なんだ」
「……いいや?」
「……」
なんかあるだろ。
遙は眉を顰めた。
名前は名前で、まさか遙がそんなことを言うとは思ってなかったので、自分の席から離れているところでこちらを恨めしそうに見つめる女子達を見ないふりをした。
「お前はそんなこと言わないタイプだろ」と、俯いた先で名前は今回喋ったのがほぼ初めての遙に毒づく。
そんなことを知らない遙は、動こうとしない名前に帰らないのか? と声をかけた。
「あ、あー、いや、帰るけど」
「じゃあ、行くぞ」
「…………」
だから、お前は、そういうんじゃねえだろ!! いや、お前がどんな奴か知らねえけどよ!!
自他共に認める──他が思っているよりも何倍も何倍も短気で、ついでに口が悪い──短気は、苦手な場所に放り込まれたことによってより短気になっている。名前は、すっかり落ちてしまった安物のリップを塗っていた唇を噛み締めた。
こんなことになったきっかけの姉の顔と、言われたことを思い出して、良いことなんて無かったと吐き捨てる。
いい男なんていなかった。
姉が言う、潔癖も治りそうには無い。
たっけえ金を払っただけだ。
瞳の色が綺麗なクラスメイトが、存外喋ることを知れただけだ。
身体に穴が空きそうな程の女子からの視線に耐え抜き、遙と共に店を出た名前は「じゃあ」とだけ告げ、一生会うことも喋ることも連絡を取ることもないだろう人間にさっさと背中を向ける。
早く帰りたい。
それだけ。
──だというのに。
「近くまで送っていく」
「……はあ?」
涼しい顔をした男を心底嫌そうに振り返って見つめた。意味が、分からない。
東京の大学に行ったらしいよーと、誰かに聞いたようなそうじゃないような、とにかくあまりはっきり覚えていないが、大学に行って性格変わったか?影響受けたんか?
眉に寄せた皺が取れそうにない。
雨空の色が、夕闇に溶けている。
──相変わらず、綺麗な色。
目だけ、だけどな。
相変わらずの口調で、取り繕うこともしない名前を前に、遙も悩んでいた。
心底嫌そうな顔をした名前を見て、遙も遙で何故自分がそんなにも彼女を引き止めようとしているのか分からないのだ。
でも、引っ込みがつかない。
「……いいから、送っていく」
「いい。帰りなよ、自分家に」
「大丈夫だ」
「いや、私こそ送ってもらわなくて大丈夫だから」
姉ちゃんが来てくれるし。
そう、言おうとして口を開いた時。
「名前ー、……あれ?」
「姉ちゃん!」
救世主がきた! もともとお前が悪いんだけどなという心の声を飲み込んで、名前は嬉々として遙に向き直った。
これで、帰れる。
「ということで、七瀬は早く──」
「何言ってんの、名前」
「……は?」
「送ってくれようとしてたんでしょ? 頼んでいいかな?」
「え、……はい」
「じゃあ、頼んだ。ありがとうね」
「いえ」
は?
どこかに車を停めていたのか、さっさと背中を向けて去って行く姉の後ろ姿を見つめ、名前は急展開すぎる──しかもあまりにも意味のわからない展開──現状に、こめかみがひくつくのを感じた。
可愛い妹を、初対面の男に任せる奴がどこの世界にいるんだよ!!!
あまりにも蚊帳の外が過ぎる。
スピーディな会話に、理解が追いつかない。
ただ分かるのは、ふざけた展開ということだけ。
「…………柊、その」
「何」
「……送る」
「はあ……」
怒りの根源がここにいないとなれば、噴きこぼしそうになった怒りがしゅんしゅんと落ち着いていく。
現役の時にほぼ関わったことがないのに、今日は気を遣わせてしまったし迷惑をかけた。それなのにここで当たるのは、違うか。
名前は重い重い空気を吐き切り、一向に譲らないだろう遙を見て頭を下げた。
「じゃあ、ごめん、送ってください」
「いや、俺も悪かった。責任持って、送る」
「七瀬は悪くないよ。本当、今日は迷惑沢山かけてごめんね」
「気にするな。喋れて、楽しかった」
こんなに顔が整って、背だってある。その上将来を嘱望される水泳選手だというのに女に興味がないとはこれいかに。
……なんて、失礼か。セクハラだ。
名前は前に向き直り、静かな空気を吸う。
降りてきた沈黙が、苦痛ではなかった。
「……柊、は、今何をしているのか聞いてもいいか?」
「ふ、何それ。いいよ、別に」
おそるおそると言った風に聞いてくる遙が面白くて、名前は思わず笑った。
すると、ぴたりと立ち止まったのか、横に並んで歩いていたはずの遙が横から消えた。あれ、と名前が気付いて振り返ろうとした時、ぐいっと腕が引かれた。
「っ、え」
「!あ、いや、」
「うん、その、……痛い、かな」
「すまない」
そっと離された腕が、何だか酷く熱い。水に濡れた青、雨空の色から目が離せない。どこかにくるくると思考が飛んでいって、開きっぱなしの唇をゆっくりと閉じる。
女子に騒がれるのが分かる気がする。綺麗な顔。
遙はあまり表情が変わらないと今日喋ってみて思ったが、今は少し困ったように目線を下にして何かを考えている。
「……どうかした?やっぱり、疲れてんじゃないの。ここまででいいよ。というか、逆に送ろうか?」
「いや、大丈夫だ」
「本当?」
「ああ。……話、聞かせてくれないか?」
ぱちくり。
遙の視線を一心に受けて、名前は少しだけ渇いた目に瞬きを落として、二度目の思わず笑うを繰り出した。
なんなんだ、と遙は思ったが、彼女の笑顔を見るとぐっと息が詰まる。そわそわする。
「いいよ。ただし、七瀬の話も聞かせてね」
「……、わかった」
「ん、交渉成立だね」
また、笑うから、心臓が痛い。
名前が歩き始めるのを見て、遙もそれに倣う。
姉のことを思い出すとやはりまだむかつくけれど、来ない方が良かったなんてもう、言えそうにない。
遙をちらりと見て、何故だかこみ上げる笑いを抑えきれそうにない。ぽつりぽつりと、お互いの調子で交わされる会話が、心地よかった。
一方で、横でくすくすと笑う名前のつむじを見下ろし、遙はすぐさま目を逸らした。
どうしてだろう。
この閑寂な時間が、水に入り泳いだ時と同じように感じられて、優しく撫でる風を受け入れた。
卒業式が終わり、わいわいと賑わう中、一際目立っていたのが、彼女達だった。
「ごめん、もう帰るわ。じゃあ、ばいばい」
「え! 帰るの?」
「もう……。ちゃんと連絡してよ?」
「するする。じゃあね」
あまりクラスメイトに興味がなかったせいで名前もうろ覚えだが、彼女、──柊名前は、遙から見てもあまり卒業生のように感じなかった。感動も、三年間過ごしてきた友達との別れへの寂しさも哀しさも感じさせない軽い足取りで、一年間詰め込まれていた箱から何の感情も無しに去って行った。
遙は少しだけ彼女の後ろ姿を見つめ、「はるちゃん!」と呼ぶ、後輩の元へと足を運んだのだった。
その日の夜、何気なく開いたクラスのライングループで、柊名前が退出しましたの文字が見えた。
「……」
自分には、仲間がいる。かけがえのない、仲間が。だが、彼女にはいなかったのだろうか。
そこまで考えて、携帯の画面を落とした。
何故、こんなにも彼女のことが気になるのかが遙は自分自身でも分からなかった。
姉に、お前は潔癖なのだと言われた。
なにも、電車のつり革が持てないだとかドアノブはアルコール除菌しないとさわれないだとか、そう言うことではなくて。
人間関係に、潔癖なのだと。
それって、ようは
「……ただ、友達が少ないって言いたいだけでしょ」
「そういうことじゃなくて。そういうことでもあるけど」
あるのかよ。
「じゃなくて。自分に合わない人、プラスにならない人だと思ったら容赦無く切っていくよねって言いたいの」
「……」
「別に、それが悪いこととは言わないよ。実際、悪くないし。ただ、何だろうな。警戒しすぎって言いたいの。だから友達も少ないし彼氏だってできないんじゃん」
「うるさい」
友達が少なくたって、彼氏がいなくたってどうでもいい。人の多いところは苦手だし、大きな声で騒ぐ人間はもっと苦手だ。毎日顔を合わせるのならその間だけは我慢する。けど、それが必要じゃなくなったとき、切る切らないは私の勝手だ。
結局、面倒なのだ。
他愛もない話も、自分についてあれこれ詮索されるのも。同化した“他人”という波の中から「柊名前」という一個人を引っ張り出されて特定されるのが、私は随分と前から大嫌いだった。
ゴミみたいな父親のせいで、男に対しては余計にそうだった。
「せっかく綺麗な顔してんのに」
「こんなゆるい顔してるから、押せばヤレると思われるんだよ。最悪」
裏表無い方が良いとか、馬鹿みたいだ。
みんなに見せる表面を綺麗に取り繕わなければ、人間関係は円滑にいかない。油を塗りたくったように考えていることと舌を連結させて、私思ってることなんでも言えますみたいな人間はただ空気が読めないだけ。その場の和を乱すだけ乱して何もできないんだから救いようが無い。
偶に、裏も表も無い人はいる。
いるが、全てが全て良い意味での裏表無いとは限らない。
私は、幸運にも綺麗な顔で生まれてきた。母さんが綺麗に産んでくれた。多分、神様も最初から私がこんな性格だってことを知っていたんだと思う。じゃなきゃ、このくらいのハンデがないと私はこの窮屈な世界を生きていくことはできない。だけど、あまりにもゆるい顔をしているせいか、押せばいける、ヤレる、悩みがなさそうだとか、散々だ。私が頭のゆるい女なのがいけないのだろうが。
綺麗なネイルも、くるくると巻く髪の毛も、鮮やかな色にする髪の色も、女を美しくする化粧も、軽い女だと思われる手段になってしまう。
自分を飾りたて、綺麗にすることは大好きだ。だけれども、それをすることで頭も股もゆるい女だと思われかねないので却下。
……今のは完全に被害妄想だが。
「はあ……。母さんから相談されたんだよ。休みの日はずっと家だし、友達と遊びに行くことも滅多にないし、口開けば漫画漫画で化粧っ気のないあんたをどうにかしろって」
「余計なことを……」
「だから、同窓会参加するようにしたから」
「はあ!!!!??」
叫んで、慌てて口を手のひらで抑えた。
滅多に家に帰ってこないくせに、なにをしてくれているのだろうか。というか、要らんことをしてくれやがった母さんも母さんだ。
氷が溶けきっていない水を喉に流し込み、冷静を装い口を開いた。
「待ってよ、確かそれゴミ箱に捨てたはずなんだけど」
「母さんがそれを見つけて保管してたの」
「……」
頭を抱えた。
破いて捨てればよかった。
何で見つけて保管してんだよ。
違う、今は終わったことを嘆いている時ではない。
「同窓会とか、私が最も苦手としているものなんだけど、知ってるよね?」
「うん」
「ならなんで……!!」
「こうでもしないと、あんたその潔癖治んないでしょ?」
「治らなくても、私は困らない」
「それに、いい男と出会えるかもしれないでしょ?」
言いたい放題だ。
なんだ良い男って。
だいたい卒業してまだ二年しか経っていない。
二年の間で良い男になっている筈ないし、そもそも良い男がいたなら在籍中に気づいている。……多分。
酒を飲んで中々に機嫌の良い姉を睨み、唇を噛み締めた。行きたくない。行きたくなさすぎる。
今から憂鬱だ。
「皺できるよ」
「うるさい」
重たい。
気分が、足が、化粧した顔が、アレンジした頭が、大振りのピアスが。
どよよんと溜息をつきそうになり、笑顔の友達がこちらにくるのが見えて飲み込んだ。重たい手を上げて、久しぶりのご対面。
「……久しぶり」
「名前ー!」
「絶対来ないかと思ったー!」
「えー、あんためっちゃ綺麗になってんじゃん」
「はは。私もねー、来るつもりはなかったんだけどさあ」
茶髪や金髪に染めたりするクラスメイトがいる中、名前は珍しく遙と同じで地毛のままだった。
わあ、と湧き上がるのは何も彼女の友達だけではない。遙は、周りの男たちもが小声で騒いでいるのをなんとなしに聞いていた。
高校の頃から、クラスメイトの男子が遠巻きに名前を見て騒ぐのを何となく知っていた。
「……」
たしかに、大学で色んな人に会うが彼女は引けを取らない、いや、ずば抜けて綺麗だ。
あまり人の顔に興味がない遙も、そう思った。
だから、というか、そもそも人と積極的に関わったことがないせいで、こういう時、どうして良いかわからない。
頼みの綱である幼馴染は、急に入った大事な大事な用事で泣く泣くこの同窓会参加を蹴っていた。
「……帰りたい」
友人に漸く解放された名前は、端の端で項垂れていた。遙も、あまり人と話す人間でないため、わいわいと騒ぐ連中から逃げていれば同じところにたどり着くということだ。
腕を枕にして、泣きそうな声で呟く名前に、遙は一層戸惑った。
多分、というか、絶対に彼女は遙に聞かれていると思っていない。そもそも、名前は遙の隣に座っているということさえ気付いていない。
落ち込みに落ち込んでいる人が隣にいるのに、何もしないほど、遙は冷たくなかった。だから、困っていた。
「帰る……無理……」
そんな遙の困惑を知らない名前は陰鬱な気持ちでいっぱいだった。
より涙声が増したところで、遙は堪らず「柊」と彼女を呼んだ。
「っ!」
ばっと顔を上げた名前に、何となく頼んでいた、まだ手の付けていないオレンジジュースを手渡した。やはり、遙の存在には気付いていなかったらしい。
髪は染めていないが、いくつもあいている耳たぶや軟骨がちらりと見えて、意外だなと頭の片隅で呟いた。
「これ。……飲むか?」
「あ、ああ、うん、……ありがとう、七瀬」
「……いや、気にするな」
名前、知ってたのかと胸がざわつくのを抑え、明らかにテンションの低い名前にまた声をかけた。
「来るの、嫌だったのか?」
「あー、……うん。こういう、騒がしいところ苦手で。七瀬こそ、来ているとは思ってなかった。女子が喜んでたよ」
「? 俺は、……真琴がくると思ってたから」
「あー、……えっと、橘だっけ? 仲良いよね」
「幼馴染だからな」
「へえ、知らなかった」
「これ、百パーセント?」と、オレンジジュースの入ったガラスコップを手の中で玩びながら彼女が聞く。ああ、と遙が答えると、僅かに緩めた口元にそれを持っていく。
「好きなのか? それ」
「ん? ……ああ、オレンジジュース? 好きだよ。美味しいし」
「なら、よかった」
「ていうか、ここにいて良いの?」
「……どういう意味だ?」
癖、なのだろうか。
名前は先ほどから自分のピアスを指先でよく弄っている。それを目で追いながら、意図の見えない質問をされて、遙は少しだけ眉に皺を寄せた。
「いや、七瀬って高校の時から結構モテてたから。大学で活躍してるらしいし、そうとなれば尚更それに拍車がかかるでしょう? 凄い目で私のこと見てくるから、あの子たち」
「え」
「まあ、七瀬は興味無さそうだったし、そういうの。今は、どうなのかは知らないけど」
「……よく、知ってるんだな」
「……七瀬の目、綺麗な色だなあって思ってたんだ。それに、こういう話は友達から入ってくるもんなの」
「そういうものか」と遙が言えば、名前は肩をすくめ「そういうもの」と返した。
雨の日の空みたいな、色。彼女は高校生の時に偶々知った、彼の瞳の色が気に入っていた。今、こうして間近で見ることができて、来てよかったかもしれないなんて思っているほどに。
七瀬がくれたオレンジジュースを飲んで、名前はそんなことをぼんやりと思った。
それにしても、存外よく喋るのだな。
遙を横目で見て、彼女は知らなかったクラスメイトの一面に触れたことによる原因不明の高ぶりに、残りのオレンジジュースを全て飲み干した。氷が溶けて、薄まってしまったそれはあまり美味しくない。
「……もう、帰ろうかな」
かさましのために入れられた大量の氷が溶けずに残ったガラスコップを置いて、水滴で濡れた手を手ぬぐいで拭う。
疲れた。やはり、来るものではない。
名前は横に座る遙を見て、その名前を呼んだ。
「七瀬、私帰るから、なんか聞かれたら帰ったって言っておいてくれない?」
「いや、俺もそろそろ帰る」
「……」
「なんだ」
「いや、……今も、興味無いんだなって思っただけ」
何のことだ、と言いかけて苦笑して自分の後ろを見ている名前に、先ほどの会話が蘇る。
肩をすくめてそれとなく肯定すると、名前は後ろを見つめたまま小さく小さく面倒だなあと呟いた。
遙はそれを聴きながら、僅かに残っていた水を飲んだ。
「じゃあ、帰る。喋れて楽しかった。気遣わせてごめんね」
「いや、気にするな。それと、俺も出口まで一緒に行く」
「え」
「なんだ」
「……いいや?」
「……」
なんかあるだろ。
遙は眉を顰めた。
名前は名前で、まさか遙がそんなことを言うとは思ってなかったので、自分の席から離れているところでこちらを恨めしそうに見つめる女子達を見ないふりをした。
「お前はそんなこと言わないタイプだろ」と、俯いた先で名前は今回喋ったのがほぼ初めての遙に毒づく。
そんなことを知らない遙は、動こうとしない名前に帰らないのか? と声をかけた。
「あ、あー、いや、帰るけど」
「じゃあ、行くぞ」
「…………」
だから、お前は、そういうんじゃねえだろ!! いや、お前がどんな奴か知らねえけどよ!!
自他共に認める──他が思っているよりも何倍も何倍も短気で、ついでに口が悪い──短気は、苦手な場所に放り込まれたことによってより短気になっている。名前は、すっかり落ちてしまった安物のリップを塗っていた唇を噛み締めた。
こんなことになったきっかけの姉の顔と、言われたことを思い出して、良いことなんて無かったと吐き捨てる。
いい男なんていなかった。
姉が言う、潔癖も治りそうには無い。
たっけえ金を払っただけだ。
瞳の色が綺麗なクラスメイトが、存外喋ることを知れただけだ。
身体に穴が空きそうな程の女子からの視線に耐え抜き、遙と共に店を出た名前は「じゃあ」とだけ告げ、一生会うことも喋ることも連絡を取ることもないだろう人間にさっさと背中を向ける。
早く帰りたい。
それだけ。
──だというのに。
「近くまで送っていく」
「……はあ?」
涼しい顔をした男を心底嫌そうに振り返って見つめた。意味が、分からない。
東京の大学に行ったらしいよーと、誰かに聞いたようなそうじゃないような、とにかくあまりはっきり覚えていないが、大学に行って性格変わったか?影響受けたんか?
眉に寄せた皺が取れそうにない。
雨空の色が、夕闇に溶けている。
──相変わらず、綺麗な色。
目だけ、だけどな。
相変わらずの口調で、取り繕うこともしない名前を前に、遙も悩んでいた。
心底嫌そうな顔をした名前を見て、遙も遙で何故自分がそんなにも彼女を引き止めようとしているのか分からないのだ。
でも、引っ込みがつかない。
「……いいから、送っていく」
「いい。帰りなよ、自分家に」
「大丈夫だ」
「いや、私こそ送ってもらわなくて大丈夫だから」
姉ちゃんが来てくれるし。
そう、言おうとして口を開いた時。
「名前ー、……あれ?」
「姉ちゃん!」
救世主がきた! もともとお前が悪いんだけどなという心の声を飲み込んで、名前は嬉々として遙に向き直った。
これで、帰れる。
「ということで、七瀬は早く──」
「何言ってんの、名前」
「……は?」
「送ってくれようとしてたんでしょ? 頼んでいいかな?」
「え、……はい」
「じゃあ、頼んだ。ありがとうね」
「いえ」
は?
どこかに車を停めていたのか、さっさと背中を向けて去って行く姉の後ろ姿を見つめ、名前は急展開すぎる──しかもあまりにも意味のわからない展開──現状に、こめかみがひくつくのを感じた。
可愛い妹を、初対面の男に任せる奴がどこの世界にいるんだよ!!!
あまりにも蚊帳の外が過ぎる。
スピーディな会話に、理解が追いつかない。
ただ分かるのは、ふざけた展開ということだけ。
「…………柊、その」
「何」
「……送る」
「はあ……」
怒りの根源がここにいないとなれば、噴きこぼしそうになった怒りがしゅんしゅんと落ち着いていく。
現役の時にほぼ関わったことがないのに、今日は気を遣わせてしまったし迷惑をかけた。それなのにここで当たるのは、違うか。
名前は重い重い空気を吐き切り、一向に譲らないだろう遙を見て頭を下げた。
「じゃあ、ごめん、送ってください」
「いや、俺も悪かった。責任持って、送る」
「七瀬は悪くないよ。本当、今日は迷惑沢山かけてごめんね」
「気にするな。喋れて、楽しかった」
こんなに顔が整って、背だってある。その上将来を嘱望される水泳選手だというのに女に興味がないとはこれいかに。
……なんて、失礼か。セクハラだ。
名前は前に向き直り、静かな空気を吸う。
降りてきた沈黙が、苦痛ではなかった。
「……柊、は、今何をしているのか聞いてもいいか?」
「ふ、何それ。いいよ、別に」
おそるおそると言った風に聞いてくる遙が面白くて、名前は思わず笑った。
すると、ぴたりと立ち止まったのか、横に並んで歩いていたはずの遙が横から消えた。あれ、と名前が気付いて振り返ろうとした時、ぐいっと腕が引かれた。
「っ、え」
「!あ、いや、」
「うん、その、……痛い、かな」
「すまない」
そっと離された腕が、何だか酷く熱い。水に濡れた青、雨空の色から目が離せない。どこかにくるくると思考が飛んでいって、開きっぱなしの唇をゆっくりと閉じる。
女子に騒がれるのが分かる気がする。綺麗な顔。
遙はあまり表情が変わらないと今日喋ってみて思ったが、今は少し困ったように目線を下にして何かを考えている。
「……どうかした?やっぱり、疲れてんじゃないの。ここまででいいよ。というか、逆に送ろうか?」
「いや、大丈夫だ」
「本当?」
「ああ。……話、聞かせてくれないか?」
ぱちくり。
遙の視線を一心に受けて、名前は少しだけ渇いた目に瞬きを落として、二度目の思わず笑うを繰り出した。
なんなんだ、と遙は思ったが、彼女の笑顔を見るとぐっと息が詰まる。そわそわする。
「いいよ。ただし、七瀬の話も聞かせてね」
「……、わかった」
「ん、交渉成立だね」
また、笑うから、心臓が痛い。
名前が歩き始めるのを見て、遙もそれに倣う。
姉のことを思い出すとやはりまだむかつくけれど、来ない方が良かったなんてもう、言えそうにない。
遙をちらりと見て、何故だかこみ上げる笑いを抑えきれそうにない。ぽつりぽつりと、お互いの調子で交わされる会話が、心地よかった。
一方で、横でくすくすと笑う名前のつむじを見下ろし、遙はすぐさま目を逸らした。
どうしてだろう。
この閑寂な時間が、水に入り泳いだ時と同じように感じられて、優しく撫でる風を受け入れた。
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