時透無一郎
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胸糞・ちょいグロ表現あり
違う、ほら、偶にはこういうこともあるよ。鬼殺隊だから。
だから、指が無くなることだってあるよね。
分かる。
「お前、鬼殺やめ」
「ません」
「……三本目だぞォ、分かってんのか。それで、満足に刀が握れるとでも思ってんのか?」
「握れます。私は、この命が尽きるまで、腕が無くなろうが足が飛ぼうが、刀を握り続けます」
「はあああ……。過酷な任務だってことは知ってる、他の隊士を庇ったことも知ってる。……よく、帰ってきてくれたなァ、名前」
指を三本無くした。
一本目は、そりゃあ痛かった。
何かをする度に、欠けた指が戻らないことを突き付けられ、こうして自分は死んでいくのだとくるまった布団の中で死ぬということを真剣に考えた。
入隊して、師範の継子になって指が無くなるまで、これと言った大きな怪我をしたことが無かったのだ。
だから、指が目の前で自分から離れていった時、情け無くも動揺してしまった。刀が、握れなくなる。そうしたら、継子を解消される。
そりゃあ、痛かった。
けれど、指が無くなることによって簡単に揺らぐ人生に酷く腹が立ったことを今でも思い出す。
二本目を失ったが、私は動揺しなかった。指が一本無くなっても刀が握れることを知ったから。
残りの指で、刀を握る力がより強くなる。痛みはなく、あるのは、あの日くるまった布団の中で目を合わせた死の存在だった。
頭を撫でてくださる師範の固く分厚い掌を感じ、まだ私は生きていたのだと気が付いた。稽古中に飛ばす怒声とは違う、優しく温もりのある声は、私に生きていることを教えてくださった。
「師範、何故でしょうか。全く、痛くないのです。それよりも、むしろ、指を無くすことによって自分がより強くなっている気がします」
「……」
「私は、同期のように師範のように、人のため、誰かが幸せに生きる為にと刀を握っている訳ではありません。ですが、庇ってしまうのです。あの日から、初めて指を落としたあの時から」
生きているか死んでいるかも分からない状態の私が、死に近づくということを知ったあの時から。
師範は、重く溜息を吐くと、「時透が来てる」とだけ告げて私の頭に乗せていた手と共に部屋から退出なさった。答えは、貰えなかった。
私は、言葉が足りないらしい。
困った顔で「冨岡さんに似ていますね」と笑う胡蝶様を思い出した。
足りないことは、無いと思う。冨岡様は確かに言葉足らずだが、私はその点では誰かに何かを言われたことはない。一度も。
ただ、自分が欠陥だらけだということは知っている。
患部に大袈裟に巻かれた白い布を見下ろし、巻かれていない方の、二つ指の足りない手を畳について立ち上がる。
こうして、いつも任務が終わり時透様に時間があれば会うようになった。きっかけはよく覚えていない。会う理由もよく覚えていない。最近になって記憶が戻り忘れなくなったというが、戻る前は大変だった。
自分から言い出したくせに、忘れるから。
「師範、少し行って参ります」
「ああ。俺はもう少し経ったら任務に行ってくるからなァ、気を付けていけよォ」
「はい。御武運を」
欠陥だらけだと、よく言われる。
家族なのかそうではないのか、よく分からない繋がりの人間に囲まれて、飯を食い働き寝ることを繰り返していたあの頃は、言われたことのない言葉だが。
母なのか、違うのか。父なのか、他人なのか。あれは弟でそっちは妹?確かめることはせず、例え家族であったとしてもこの淀んだ空間に何の喜びを見出すことはできまい。家族ではないということが、そう思うことがこの生活を我慢できる理由だった。
汚い着物に、全員が髪を短くして人の名前が一切出てこない会話の中で、怒号と「おい」や「なあ」の呼びかけが、狭苦しい何畳かの畳に座り込む人間の意識を浮かび上がらせる唯一の手段だった。
一週間にいっぺんかにへんほどの頻度で宛てがわれる男に、「お兄ちゃんと呼べ」「お父様と呼べ」「ご主人様と呼べ」と言いつけられ、それと同時に与えられるいつも違う名前が、自分の知らない自分の名前には当てはまらないなと、知らないくせにそんなことを思っていた。
初めて与えられた名は、雨宮夕子だった。あの時は小鳥遊千代子。はるだったり、キヨだったり、私は何人もの、いるのかいないのかも知らない人間になった。
師範に深く一礼し、屋敷から出た。
時透様は、記憶が戻られてから、待ち合わせ場所になっているところに私が行くと、もう既にその場所にいらっしゃるようになった。柱に失礼だと、私がいくら早く行こうとも彼の方より早く行くことができないのだ。
「時透様、お待たせしてしまって申し訳ございません」
「気にしないで。名前は任務終えたばかりなんでしょ?俺は非番だったから」
ああ、ほら、今日も。
「名前、また指失くしたの?」
「はい、私の不注意です。まだ、刀は握れるので問題はありません」
「そう。……ねえ、名前の昔の話聞かせてよ」
「つまらないと思うのですが」
「良い。いいから、ね?」
「……分かりました」
時透様は、こうして決して愉快ではない話を聞きたがる。
私は、名前を与えられる度に、その人の人生を思い描いた。もしかしたら、いるのかもしれないし、いないのかもしれない人間の人生の断片を。
雨宮夕子は、刀を握ることのできないか弱い女の子。「お父様」に身体を暴かれ、その果てに死んでいった女の子。
小鳥遊千代子は、頭の良い美しい女性。「先生」に脅され、死ぬまで苦しみ抜いた美しい女性。
仙崎はるは、天真爛漫な女の子。「お兄ちゃん」に植え付けられた笑顔により自分が狂っていく様を日記に書き記した女の子。
何故、彼らは私に名を与え、その名に執着しているのか。全てが終わると、男にくしゃくしゃの紙幣を握らされ、歩いている最中にそんなことばかりを考えていた。
「どうしてだと思いますか?私、偶に思い出すのですけれど、どうしても分からないのです」
「うーん……」
私が好んで食べる三色団子を、この時は時透様もよく食べる。普段どんなものを召し上がっているのか知らないけれど。
三色団子の一番上の色を口にお入れになると、時透様は「よく分かんない」と仰った。
時透様は、いつも通り、そう仰った。
特段、返事を期待していた訳ではないため、またいつも通りの為、私もいつも通り「そうですか」と頷いて三色団子の二番目の色を食べた。
茶を飲もうとして、がちゃんと溢してしまった。見ると、大袈裟に巻かれた白い布が茶飲みを倒していて、指が無いことに気が付いた。こういった時、不便だと感じる。
「すみません、お茶を溢してしまったので、何か拭くものはありませんか?」
「あ、ちょっと待っていてください、すぐ持ってきます」
「僕がやるよ。着物、濡れなくて良かった」
「……」
「持ってきました!どうぞ、使ってください」
「ありがとうございます」
てきぱきと、溢れた茶を拭く時透様を見つめながら、私が最後に頂いた名前の女の子の人生は、どんなものなのだろうかと考えた。
お館様から頂いた、下無敷名前という名の女の子は、
「名前、ねえ、名前?」
「は、時透様……?」
「ぼーっとしてたんだけど、大丈夫?」
「ああ、はい、大丈夫です。すみません、片付けてくださったのに……ありがとうございます」
「気にしないで、やりたくてやっただけだから」
特異なお方だな、と思う。
鬼殺隊に入り師範の継子になるまでの間、欠陥だらけの人間だと何度も言われてきた私と、こうして会話をして会おうとすることは、誰の目から見ても異様に見えることだろう。
ばしゃり。
突然顔に熱い液体が掛かり、状況を確認する為に顔へ伸ばした指先がぬるついた。見ると、赤い赤い色が三本の指と掌にこびりついている。
「ありがとうございます、おにさま。ようやくしぬことができる、なんとうれしいことでしょう」
「いたい、いたい。これが、いたみ。やっとしねる。しねる」
カビの臭いが鼻をつく。
「名前!あんた、何してるの?」
「こいつ、人間じゃないんだぜ?そんな奴といたら、お前にも移っちまうよ。早く離れな」
「……」
「目、見えてる?名前のどこが人間じゃないの?」
聞こえる、聞こえる。
思い出す、思い出す。
狭苦しい空間に、溢れ返る血の臭い。
びちゃりと顔に掛かる、生暖かく生臭い液体。
言葉では形容し難い音が目の前に広がる。
そう、あの時気が付いたことがあった。
何だったか、そんなに難しい事ではない。
もう一度手を見ると、赤い色は無く、そこで掛けられたのはお茶だったのかと知った。私を見下す男の顔を見たが、知らない顔、知らない人。
「時透様、お気になさらず。お茶を掛けられただけです。行きましょうか」
「ちっ、本当に気味が悪い」
「……分かった、行こう」
私のことを、私と一緒にいたあの人達のことを知っている人とこうして会うことがある。それに、人は噂が大好きだ。私達のことを知っている人が誰かに話し、またその誰かが違う人に話す。そうやって、興味本位で私を見て憂さ晴らしをする。
小さな小さな村では、少し違うだけでも白い目で見られるのだ。
店を出て歩いていると、時透様が「ねえ」と仰った。ゆったりと艶を含む綺麗な髪は、きらきらと輝いて見える。
「はい」
「今日、僕のところに泊まりに来ない?」
「?それは、」
「遠方任務で長いこと帰らないんだ。だから、その分の埋め合わせ」
「師範は今日から任務なので大丈夫だと思われますが、お邪魔して良いのですか?」
「うん。誘ってるのは僕だし、そこは気にしなくていいよ」
「それでは、お邪魔します」
頭を下げた私が、顔を上げて一番に見たのは、時透様の嬉しそうな笑顔だった。
料理は嗜んでいるため、彼の好物だというふろふき大根を作り、ご飯を食べて風呂に入ると、布団を並べてお話をした。
静かな時間。
広く心地いいこの空間は、月が綺麗に見えた。
そう、あの日々が終わったのは私が暁清子の名を与えられ、「お父様と呼べ」と言われた日のことだ。いつも通り、いや、いつもよりも綺麗な紙幣を握らされ夜道を歩いた。扉を開けると、仰向けに転がる人間の上に跨り、一心不乱に口を汚す男がいた。
あちこちが血で汚れているし、一人多いけれど、それらを除けばいつも通りの狭苦しい空間だった。
端に寄せられた男と女は、首を切られているだけだったから、子供が好きなのだろうと予測した。柔らかくて張りのある、艶々とした臓器を口に含んで噛み締める音は、水分を多く含ませた餅か何かを汚らしく咀嚼しているように聞こえる。
腹を割られ、臓物を引き摺り出されているというのにまだ生きているのだろう。自分より幾らか幼い少女と少年が、途絶え途絶えに何かをずっと喋っている。
「あり、がどうございま、す、ゔ…は、にんげんに、もど、れだ、…おにさま、あり、がどう、」
「いだい、しぬ、あ''ぁ、やっど、じねる…ありがどう、あり、がどう」
粘っこい音が、二人の声を所々掻き消す。小さな声だったが、聞いたことのない明るい声音で、あんなにも二人が喋っているのを見るのは初めてだった。
満足げにもぐもぐと口に運ぶ鬼を、鬼殺の隊士が来るまでの間ずっと見つめていた。あまりにも、美味しそうに食べるから、二人が食べ終わったら自分の番かしらなんてそう思いながら。
しかし、結局、私が食べられることは無かった。
朝日を迎える前に、隊士が鬼の頸を刎ねて終わった。
「君の家族かい?」
「分かりません」
「君の名前は?」
「名前……。今日は暁清子でしたが、特定のものというのなら、ありません」
「何か当てはあるかい?親戚とか、」
「いいえ」
「ここいらで幼い少女を買っていたという噂があるんだけど、君のこと?」
「買う?よく分かりませんが、名前を与えられて子作りの真似事をしているのは私です。仕事だったのですが、いけないことでしたか?」
「……私と、来ないかい?これからどうするかを決めよう」
「名前はどうされますか?何とお呼びしたら?」
「名前、……お館様に決めてもらおう。私は磯貝有政だ」
何というか、これが人なのかと思った。
哀れな小娘に救いの手を差し出すことを惜しみもしない。面倒だとおくびにもださない。
名乗ると同時に差し出された、男の指が足らないことを知りながら、鬼に人間にしてもらった二人の投げ出された手足をちらりと見てその手を取った。
同情かしら。
揃わない指の感覚を、握って知る。
私が下無敷名前という名前を与えられた日に、磯貝有政さんが死んだ。首を失ったらしい。
「時透様、おはようございます」
「ん、おはよう、名前」
「朝御飯準備出来ていますよ。召し上がられますか?」
「食べる……。その前に顔洗ってくるから、先に座ってて」
「分かりました」
太陽が眩しい。
日の光が室内に入り込み、暖かく明るい。
調子に乗って作ったふろふき大根を、時透様は優しい笑顔で「美味しい」と仰った。二人で手を合わせて言う「いただきます」と「ごちそうさま」は、とても嬉しいと思った。
やはり美しい時透様の髪の毛に櫛を入れ、二人で屋敷を出た。
「お世話になりました」
「ううん。此方こそ、ご飯作ってもらったし、美味しかった。ありがとう」
「いえ、普段お世話になっていますし」
「それでも、だよ。また、遊びに来てね」
「はい。時透様が良ければ、いつでも」
「じゃあ、行ってくるね」
「はい。どうか、ご無事で」
遠方任務だという時透様は、朝から出立なさった。その背中を見つめ、師範の屋敷へと足を向ける。
師範は弟君のため。名前は知らないけれど、あの人は家族の仇。あの人は妹の幸せのため。あの人は他の誰かが悲しい想いをしないため。あの人は皆が幸せになってほしいため。
辛い訓練も修行も任務も、仲間と肩を叩き合い励まし合い、こなす。
家族を知らず、狭苦しい畳の上で宛てがわれた名前の人生を考えていた私は、指をなくしてやっと生きていることに気が付いた私は、せいぜい髪の毛を結ぶことしかできなかった。
違う、ほら、偶にはこういうこともあるよ。鬼殺隊だから。
だから、指が無くなることだってあるよね。
分かる。
「お前、鬼殺やめ」
「ません」
「……三本目だぞォ、分かってんのか。それで、満足に刀が握れるとでも思ってんのか?」
「握れます。私は、この命が尽きるまで、腕が無くなろうが足が飛ぼうが、刀を握り続けます」
「はあああ……。過酷な任務だってことは知ってる、他の隊士を庇ったことも知ってる。……よく、帰ってきてくれたなァ、名前」
指を三本無くした。
一本目は、そりゃあ痛かった。
何かをする度に、欠けた指が戻らないことを突き付けられ、こうして自分は死んでいくのだとくるまった布団の中で死ぬということを真剣に考えた。
入隊して、師範の継子になって指が無くなるまで、これと言った大きな怪我をしたことが無かったのだ。
だから、指が目の前で自分から離れていった時、情け無くも動揺してしまった。刀が、握れなくなる。そうしたら、継子を解消される。
そりゃあ、痛かった。
けれど、指が無くなることによって簡単に揺らぐ人生に酷く腹が立ったことを今でも思い出す。
二本目を失ったが、私は動揺しなかった。指が一本無くなっても刀が握れることを知ったから。
残りの指で、刀を握る力がより強くなる。痛みはなく、あるのは、あの日くるまった布団の中で目を合わせた死の存在だった。
頭を撫でてくださる師範の固く分厚い掌を感じ、まだ私は生きていたのだと気が付いた。稽古中に飛ばす怒声とは違う、優しく温もりのある声は、私に生きていることを教えてくださった。
「師範、何故でしょうか。全く、痛くないのです。それよりも、むしろ、指を無くすことによって自分がより強くなっている気がします」
「……」
「私は、同期のように師範のように、人のため、誰かが幸せに生きる為にと刀を握っている訳ではありません。ですが、庇ってしまうのです。あの日から、初めて指を落としたあの時から」
生きているか死んでいるかも分からない状態の私が、死に近づくということを知ったあの時から。
師範は、重く溜息を吐くと、「時透が来てる」とだけ告げて私の頭に乗せていた手と共に部屋から退出なさった。答えは、貰えなかった。
私は、言葉が足りないらしい。
困った顔で「冨岡さんに似ていますね」と笑う胡蝶様を思い出した。
足りないことは、無いと思う。冨岡様は確かに言葉足らずだが、私はその点では誰かに何かを言われたことはない。一度も。
ただ、自分が欠陥だらけだということは知っている。
患部に大袈裟に巻かれた白い布を見下ろし、巻かれていない方の、二つ指の足りない手を畳について立ち上がる。
こうして、いつも任務が終わり時透様に時間があれば会うようになった。きっかけはよく覚えていない。会う理由もよく覚えていない。最近になって記憶が戻り忘れなくなったというが、戻る前は大変だった。
自分から言い出したくせに、忘れるから。
「師範、少し行って参ります」
「ああ。俺はもう少し経ったら任務に行ってくるからなァ、気を付けていけよォ」
「はい。御武運を」
欠陥だらけだと、よく言われる。
家族なのかそうではないのか、よく分からない繋がりの人間に囲まれて、飯を食い働き寝ることを繰り返していたあの頃は、言われたことのない言葉だが。
母なのか、違うのか。父なのか、他人なのか。あれは弟でそっちは妹?確かめることはせず、例え家族であったとしてもこの淀んだ空間に何の喜びを見出すことはできまい。家族ではないということが、そう思うことがこの生活を我慢できる理由だった。
汚い着物に、全員が髪を短くして人の名前が一切出てこない会話の中で、怒号と「おい」や「なあ」の呼びかけが、狭苦しい何畳かの畳に座り込む人間の意識を浮かび上がらせる唯一の手段だった。
一週間にいっぺんかにへんほどの頻度で宛てがわれる男に、「お兄ちゃんと呼べ」「お父様と呼べ」「ご主人様と呼べ」と言いつけられ、それと同時に与えられるいつも違う名前が、自分の知らない自分の名前には当てはまらないなと、知らないくせにそんなことを思っていた。
初めて与えられた名は、雨宮夕子だった。あの時は小鳥遊千代子。はるだったり、キヨだったり、私は何人もの、いるのかいないのかも知らない人間になった。
師範に深く一礼し、屋敷から出た。
時透様は、記憶が戻られてから、待ち合わせ場所になっているところに私が行くと、もう既にその場所にいらっしゃるようになった。柱に失礼だと、私がいくら早く行こうとも彼の方より早く行くことができないのだ。
「時透様、お待たせしてしまって申し訳ございません」
「気にしないで。名前は任務終えたばかりなんでしょ?俺は非番だったから」
ああ、ほら、今日も。
「名前、また指失くしたの?」
「はい、私の不注意です。まだ、刀は握れるので問題はありません」
「そう。……ねえ、名前の昔の話聞かせてよ」
「つまらないと思うのですが」
「良い。いいから、ね?」
「……分かりました」
時透様は、こうして決して愉快ではない話を聞きたがる。
私は、名前を与えられる度に、その人の人生を思い描いた。もしかしたら、いるのかもしれないし、いないのかもしれない人間の人生の断片を。
雨宮夕子は、刀を握ることのできないか弱い女の子。「お父様」に身体を暴かれ、その果てに死んでいった女の子。
小鳥遊千代子は、頭の良い美しい女性。「先生」に脅され、死ぬまで苦しみ抜いた美しい女性。
仙崎はるは、天真爛漫な女の子。「お兄ちゃん」に植え付けられた笑顔により自分が狂っていく様を日記に書き記した女の子。
何故、彼らは私に名を与え、その名に執着しているのか。全てが終わると、男にくしゃくしゃの紙幣を握らされ、歩いている最中にそんなことばかりを考えていた。
「どうしてだと思いますか?私、偶に思い出すのですけれど、どうしても分からないのです」
「うーん……」
私が好んで食べる三色団子を、この時は時透様もよく食べる。普段どんなものを召し上がっているのか知らないけれど。
三色団子の一番上の色を口にお入れになると、時透様は「よく分かんない」と仰った。
時透様は、いつも通り、そう仰った。
特段、返事を期待していた訳ではないため、またいつも通りの為、私もいつも通り「そうですか」と頷いて三色団子の二番目の色を食べた。
茶を飲もうとして、がちゃんと溢してしまった。見ると、大袈裟に巻かれた白い布が茶飲みを倒していて、指が無いことに気が付いた。こういった時、不便だと感じる。
「すみません、お茶を溢してしまったので、何か拭くものはありませんか?」
「あ、ちょっと待っていてください、すぐ持ってきます」
「僕がやるよ。着物、濡れなくて良かった」
「……」
「持ってきました!どうぞ、使ってください」
「ありがとうございます」
てきぱきと、溢れた茶を拭く時透様を見つめながら、私が最後に頂いた名前の女の子の人生は、どんなものなのだろうかと考えた。
お館様から頂いた、下無敷名前という名の女の子は、
「名前、ねえ、名前?」
「は、時透様……?」
「ぼーっとしてたんだけど、大丈夫?」
「ああ、はい、大丈夫です。すみません、片付けてくださったのに……ありがとうございます」
「気にしないで、やりたくてやっただけだから」
特異なお方だな、と思う。
鬼殺隊に入り師範の継子になるまでの間、欠陥だらけの人間だと何度も言われてきた私と、こうして会話をして会おうとすることは、誰の目から見ても異様に見えることだろう。
ばしゃり。
突然顔に熱い液体が掛かり、状況を確認する為に顔へ伸ばした指先がぬるついた。見ると、赤い赤い色が三本の指と掌にこびりついている。
「ありがとうございます、おにさま。ようやくしぬことができる、なんとうれしいことでしょう」
「いたい、いたい。これが、いたみ。やっとしねる。しねる」
カビの臭いが鼻をつく。
「名前!あんた、何してるの?」
「こいつ、人間じゃないんだぜ?そんな奴といたら、お前にも移っちまうよ。早く離れな」
「……」
「目、見えてる?名前のどこが人間じゃないの?」
聞こえる、聞こえる。
思い出す、思い出す。
狭苦しい空間に、溢れ返る血の臭い。
びちゃりと顔に掛かる、生暖かく生臭い液体。
言葉では形容し難い音が目の前に広がる。
そう、あの時気が付いたことがあった。
何だったか、そんなに難しい事ではない。
もう一度手を見ると、赤い色は無く、そこで掛けられたのはお茶だったのかと知った。私を見下す男の顔を見たが、知らない顔、知らない人。
「時透様、お気になさらず。お茶を掛けられただけです。行きましょうか」
「ちっ、本当に気味が悪い」
「……分かった、行こう」
私のことを、私と一緒にいたあの人達のことを知っている人とこうして会うことがある。それに、人は噂が大好きだ。私達のことを知っている人が誰かに話し、またその誰かが違う人に話す。そうやって、興味本位で私を見て憂さ晴らしをする。
小さな小さな村では、少し違うだけでも白い目で見られるのだ。
店を出て歩いていると、時透様が「ねえ」と仰った。ゆったりと艶を含む綺麗な髪は、きらきらと輝いて見える。
「はい」
「今日、僕のところに泊まりに来ない?」
「?それは、」
「遠方任務で長いこと帰らないんだ。だから、その分の埋め合わせ」
「師範は今日から任務なので大丈夫だと思われますが、お邪魔して良いのですか?」
「うん。誘ってるのは僕だし、そこは気にしなくていいよ」
「それでは、お邪魔します」
頭を下げた私が、顔を上げて一番に見たのは、時透様の嬉しそうな笑顔だった。
料理は嗜んでいるため、彼の好物だというふろふき大根を作り、ご飯を食べて風呂に入ると、布団を並べてお話をした。
静かな時間。
広く心地いいこの空間は、月が綺麗に見えた。
そう、あの日々が終わったのは私が暁清子の名を与えられ、「お父様と呼べ」と言われた日のことだ。いつも通り、いや、いつもよりも綺麗な紙幣を握らされ夜道を歩いた。扉を開けると、仰向けに転がる人間の上に跨り、一心不乱に口を汚す男がいた。
あちこちが血で汚れているし、一人多いけれど、それらを除けばいつも通りの狭苦しい空間だった。
端に寄せられた男と女は、首を切られているだけだったから、子供が好きなのだろうと予測した。柔らかくて張りのある、艶々とした臓器を口に含んで噛み締める音は、水分を多く含ませた餅か何かを汚らしく咀嚼しているように聞こえる。
腹を割られ、臓物を引き摺り出されているというのにまだ生きているのだろう。自分より幾らか幼い少女と少年が、途絶え途絶えに何かをずっと喋っている。
「あり、がどうございま、す、ゔ…は、にんげんに、もど、れだ、…おにさま、あり、がどう、」
「いだい、しぬ、あ''ぁ、やっど、じねる…ありがどう、あり、がどう」
粘っこい音が、二人の声を所々掻き消す。小さな声だったが、聞いたことのない明るい声音で、あんなにも二人が喋っているのを見るのは初めてだった。
満足げにもぐもぐと口に運ぶ鬼を、鬼殺の隊士が来るまでの間ずっと見つめていた。あまりにも、美味しそうに食べるから、二人が食べ終わったら自分の番かしらなんてそう思いながら。
しかし、結局、私が食べられることは無かった。
朝日を迎える前に、隊士が鬼の頸を刎ねて終わった。
「君の家族かい?」
「分かりません」
「君の名前は?」
「名前……。今日は暁清子でしたが、特定のものというのなら、ありません」
「何か当てはあるかい?親戚とか、」
「いいえ」
「ここいらで幼い少女を買っていたという噂があるんだけど、君のこと?」
「買う?よく分かりませんが、名前を与えられて子作りの真似事をしているのは私です。仕事だったのですが、いけないことでしたか?」
「……私と、来ないかい?これからどうするかを決めよう」
「名前はどうされますか?何とお呼びしたら?」
「名前、……お館様に決めてもらおう。私は磯貝有政だ」
何というか、これが人なのかと思った。
哀れな小娘に救いの手を差し出すことを惜しみもしない。面倒だとおくびにもださない。
名乗ると同時に差し出された、男の指が足らないことを知りながら、鬼に人間にしてもらった二人の投げ出された手足をちらりと見てその手を取った。
同情かしら。
揃わない指の感覚を、握って知る。
私が下無敷名前という名前を与えられた日に、磯貝有政さんが死んだ。首を失ったらしい。
「時透様、おはようございます」
「ん、おはよう、名前」
「朝御飯準備出来ていますよ。召し上がられますか?」
「食べる……。その前に顔洗ってくるから、先に座ってて」
「分かりました」
太陽が眩しい。
日の光が室内に入り込み、暖かく明るい。
調子に乗って作ったふろふき大根を、時透様は優しい笑顔で「美味しい」と仰った。二人で手を合わせて言う「いただきます」と「ごちそうさま」は、とても嬉しいと思った。
やはり美しい時透様の髪の毛に櫛を入れ、二人で屋敷を出た。
「お世話になりました」
「ううん。此方こそ、ご飯作ってもらったし、美味しかった。ありがとう」
「いえ、普段お世話になっていますし」
「それでも、だよ。また、遊びに来てね」
「はい。時透様が良ければ、いつでも」
「じゃあ、行ってくるね」
「はい。どうか、ご無事で」
遠方任務だという時透様は、朝から出立なさった。その背中を見つめ、師範の屋敷へと足を向ける。
師範は弟君のため。名前は知らないけれど、あの人は家族の仇。あの人は妹の幸せのため。あの人は他の誰かが悲しい想いをしないため。あの人は皆が幸せになってほしいため。
辛い訓練も修行も任務も、仲間と肩を叩き合い励まし合い、こなす。
家族を知らず、狭苦しい畳の上で宛てがわれた名前の人生を考えていた私は、指をなくしてやっと生きていることに気が付いた私は、せいぜい髪の毛を結ぶことしかできなかった。
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