黒と白
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松岡名前は心を掻き乱されることが何よりも嫌いだ。悩んだり、怒ったり、悲しくなったり。一々、感情に振り回されることが、振り回される自分が嫌いで仕方ない。
そんな彼女とは正反対に、──彼だって、感情に振り回されることが好きなわけではないと思うけれど──彼女の双子の兄である松岡凛は、喜怒哀楽がはっきりとしている。
妹の松岡江も、明るく快活である。
顔は、男女の双子にしては似ているが、雰囲気が違いすぎて兄弟だということは、本人達が告白するまで大体誰も気付かない。江と凛が兄妹とは分かるらしいが。
松岡三兄妹は水泳が大好きな長男、そんな長男の影響を受けて育った末妹、そして二人に囲まれているけれど、全く水泳に興味を持たずに生きてきた長女で構成されている。長男である凛は、不意に思い出したかのように己の片割れに言う。「何故、お前は水泳にそんなにも興味がないのか」と。
凛はそれはそれは水泳の才能が素晴らしくあった。当然、大会にも出る。出るのだが、名前は、片割れの勇姿を観るための大会に行った試しがなかった。
そりゃあ、兄が頑張っている姿は眩しくて格好良かったけれど、何だろうか、自分には、応援ということ自体が向いていないらしい。彼女は真剣にそう思っている。
そんな、名前と正反対の凛だが、小学六年生の時、困ったことに困ったことを言い始めた。
「俺、七瀬達がいる学校に転校したい」
「……は?」
「つーか、することにした。だから、お前もしようぜ!」
「……母さんには?」
「言った。許可とった」
「そ。ちなみに、私は転校しないから。凛だけ行ってね。頑張れ」
「はあ!?!?何でだよ!!」
松岡凛大激怒である。
名前は、その返答を予想したので突然の大声に表情一つ変えることなく漢字二文字、音四つで言い切った。
「面倒」
「っーーーー!!!名前の馬鹿!!」
末っ子の江よりかは放置されているが、松岡家の長男は、彼女を含め妹二人に酷く甘い。そして、双子の片割れを、双子だからというのもあるのだろうけれど、どうしてか傍に置きたがる。二人で一つ。多分、彼はそう思っている節がある。それを知っている彼女も彼女で満更ではない。
だから、凛がスイミングスクールに通い始めた時、彼は真っ先に名前をそれはもうしつこく誘った。そして、断った挙句、大会に、応援に行かないと言った彼女にそれはそれは激怒した。きっと、人生最大になるであろう大喧嘩(凛による一方的な無視)になった。
名前があまり笑わないのは、俺がその分まで笑っているからだと凛は言う。名前があまり怒らないのは、俺がその分怒っているからだと彼は言う。
ばっさり振られたことにより、若干涙目になった双子の兄を見て、その手を引いた。自分よりも温かい手を、ぎゅっと握る。
「凛」
「……何だよ」
「お前、留学するんでしょ? 私はそこについていくことは出来ない。理由は分かるだろう? ……私なんて、凛には必要ない。真っ直ぐな凛なら、私が居なくても大丈夫。ね?」
額と額を合わせて、名前は目を瞑った。
喧嘩した時、凛が落ち込んだ日、大会の前日、何かあった時、二人は必ずこれをした。
必ず、名前は目を閉じ、凛は目を開けている。
大切な片割れが、この狭くて小さな世界から抜け出し、夢のために頑張るというのなら、私は兄が帰ってくる場所を、家族を、守るのだ。
彼女はずうっと前から、そう決めていた。
「……私なんてって、いうなって言っただろ」
「……そうだね、ごめん」
「それに、お前は要らなくなんかない。俺の、大事な片割れだ。……ごめん、我儘言って」
「ううん。私も、いつも凛には我儘聞いてもらってるから」
不意に、合わせていた額がずるずるとずれていく。そうして、互いの肩に顔を埋める。ぽつりと、普段では言えないことを言い合うために。
「俺、あそこでなら、最高のチームで泳げると思うんだ」
「そっか」
「おう」
「……その、凛が言う最高のチーム、私も見たい」
「へ」
名前の肩から重みが消えた。
凛が顔を上げたから、なのだが。
あんなに応援には行かないと言っていた名前が行くと遠回しに伝えたのだから驚くのも当たり前だろう。
凛の肩に顔を埋めたままの彼女には兄の顔は見えないけれど、自分と同じ色がキラキラと輝いているのだろうということは予想がつく。
「名前、それって、」
「頑張って。私、頑張ってる凛が大好きだから。負けないように、私も頑張るね」
「! おう、任せとけ! 何たって、俺はお前の兄ちゃんだからな!」
かくして、名前の双子の兄である松岡凛は、小学六年生の冬というよく分からない時期に転校していった。その、最高のチームのメンバーがいる学校へと。
毎日楽しそうに、学校であったことを話してくれる訳だが、この頃の凛は己の片割れと七瀬遙という人物を比較することに忙しいらしい。
「うーん……やっぱり、お前ら似てんだよな」
「知らない人と比べられても困る」
「うーーーん」
「聞いてねえな」
最近の凛の口癖は、「やっぱりお前ら似てんだよな」だ。
なんて、
「何年前の話……?」
とても、懐かしい夢を見た。
将来を背負わない、気楽でいていい年頃の私は、今よりも身軽でいて、身軽すぎてきっと地に足は付いていなかったのだろう。
双子の兄も、多分そうだった。
結局、六年生の大会──凛の最高のチームでの泳ぎ──は、熱を出して行くことが出来なかった。
起きたばかりにしては、はっきりと声が出て自分でも驚きだ。寝起きは、自他共に認めるほど頗る悪いのに。懐かしすぎて、あまりにも鮮明で、吐き出した溜息が過去に吸い込まれていく。
それにしても、眠いったらありゃあしない。枕に重たい頭が吸い寄せられて、睡眠を促し目蓋を重たくさせる悪魔が、大方目を閉じてしまった私を見てニヤニヤと嗤っている気がする。
思考が止まる。
指先が重い。
今日は、幸いにも休日だからこのまま寝てしまおう。
体の力が抜けて、身体が溶解して、布団と一体化した。何か、用事があった気がするけれど、思い出せない。仕方ないか。私は布団なんだから。
完全に閉じた目蓋。
真っ黒な世界が心地よい眠りへと私を突き落とす。
「お姉ちゃん!」
「……」
ばん! と扉が開いて、我が妹の登場に一体化していたはずの重たい身体が少しだけ浮つく。
なに、と口に出した気がするけれど音になっていないこともない気がする。唇が動かない。眠い。
布団と分離し始めた身体は、また逆戻り。したいのだが。
「もう、お姉ちゃん、何やってるの! 早く起きて!」
「……、なに……?」
「お兄ちゃんのお迎えに行くって言ったでしょ!はやく!」
「……んーーー」
布団を取られ、腕を引っ張られ、全く開かない目を指で擦っている間、江は甲斐甲斐しく私の髪の毛をせっせっと梳かしている。
凛のお迎え、かあ。
そんなこと言われたような言われていないような。気を抜くと直ぐに寝入ってしまう。何とか寝ないようにとしているが、いかんせん睡魔があまりにも自分の好みの顔をしているからついて行きそうになる。
「これ、服選んだよ」
「ん」
「んもう!」
そんなこんなで、未だに眠気まなこを携えて一階に降りると、母さんが苦笑を浮かべて、それでもどこか微笑ましそうにするものだから気恥ずかしいったら。
私がしゃきしゃき動かないのが悪いのだが。
「お母さん、はやく行こ! お兄ちゃんが着いちゃう」
「はいはい」
「お姉ちゃんも、早く!」
「んー」
「……さっきから、んーしか言ってないよ?」
「ん」
「はあ……」
高校二年生になる、この春。
私達はもう地に足をつけていた。
地面から生えた手が、足首を掴んで離そうとしない。
顔を掴まれて、無理やり前を向かせられる。
真っ黒な道に、どんな将来を描くのかを考えろと。
……凛は、どうするのだろう。
なんて、愚問か。
空港に着くと、一番に駆け出した江がきょろきょろと兄の姿を探そうと視線をあちらこちらへ遣る。私も探そうと、あちらこちらへ目を向けると、多くの人が行き交う中で、赤い髪の男を見つけた。あの頃とは違う、私と同じくらいだった背丈はぐいぐいと伸びて、硬くしなやかな筋肉がついた。
大きかった目は、鋭くなった。
ぱちりと、目が合う。
こういう時、双子だなあと改めて思う。
近づいて来た凛を、見上げることしかできなくて、小さく開いた口から出てくるその言葉を少しだけ待った。
「……ただいま」
「お帰り、凛」
「お兄ちゃん、おかえりなさい!」
「凛、おかえりなさい」
どんな時でも、私が一番に凛を見つけた。
凛も、私を一番に見つけてくれる。
また目が合って、照れ臭そうにそっぽを向いた凛に、口角が上がった。
今年から、凛は日本にいる。
そんな彼女とは正反対に、──彼だって、感情に振り回されることが好きなわけではないと思うけれど──彼女の双子の兄である松岡凛は、喜怒哀楽がはっきりとしている。
妹の松岡江も、明るく快活である。
顔は、男女の双子にしては似ているが、雰囲気が違いすぎて兄弟だということは、本人達が告白するまで大体誰も気付かない。江と凛が兄妹とは分かるらしいが。
松岡三兄妹は水泳が大好きな長男、そんな長男の影響を受けて育った末妹、そして二人に囲まれているけれど、全く水泳に興味を持たずに生きてきた長女で構成されている。長男である凛は、不意に思い出したかのように己の片割れに言う。「何故、お前は水泳にそんなにも興味がないのか」と。
凛はそれはそれは水泳の才能が素晴らしくあった。当然、大会にも出る。出るのだが、名前は、片割れの勇姿を観るための大会に行った試しがなかった。
そりゃあ、兄が頑張っている姿は眩しくて格好良かったけれど、何だろうか、自分には、応援ということ自体が向いていないらしい。彼女は真剣にそう思っている。
そんな、名前と正反対の凛だが、小学六年生の時、困ったことに困ったことを言い始めた。
「俺、七瀬達がいる学校に転校したい」
「……は?」
「つーか、することにした。だから、お前もしようぜ!」
「……母さんには?」
「言った。許可とった」
「そ。ちなみに、私は転校しないから。凛だけ行ってね。頑張れ」
「はあ!?!?何でだよ!!」
松岡凛大激怒である。
名前は、その返答を予想したので突然の大声に表情一つ変えることなく漢字二文字、音四つで言い切った。
「面倒」
「っーーーー!!!名前の馬鹿!!」
末っ子の江よりかは放置されているが、松岡家の長男は、彼女を含め妹二人に酷く甘い。そして、双子の片割れを、双子だからというのもあるのだろうけれど、どうしてか傍に置きたがる。二人で一つ。多分、彼はそう思っている節がある。それを知っている彼女も彼女で満更ではない。
だから、凛がスイミングスクールに通い始めた時、彼は真っ先に名前をそれはもうしつこく誘った。そして、断った挙句、大会に、応援に行かないと言った彼女にそれはそれは激怒した。きっと、人生最大になるであろう大喧嘩(凛による一方的な無視)になった。
名前があまり笑わないのは、俺がその分まで笑っているからだと凛は言う。名前があまり怒らないのは、俺がその分怒っているからだと彼は言う。
ばっさり振られたことにより、若干涙目になった双子の兄を見て、その手を引いた。自分よりも温かい手を、ぎゅっと握る。
「凛」
「……何だよ」
「お前、留学するんでしょ? 私はそこについていくことは出来ない。理由は分かるだろう? ……私なんて、凛には必要ない。真っ直ぐな凛なら、私が居なくても大丈夫。ね?」
額と額を合わせて、名前は目を瞑った。
喧嘩した時、凛が落ち込んだ日、大会の前日、何かあった時、二人は必ずこれをした。
必ず、名前は目を閉じ、凛は目を開けている。
大切な片割れが、この狭くて小さな世界から抜け出し、夢のために頑張るというのなら、私は兄が帰ってくる場所を、家族を、守るのだ。
彼女はずうっと前から、そう決めていた。
「……私なんてって、いうなって言っただろ」
「……そうだね、ごめん」
「それに、お前は要らなくなんかない。俺の、大事な片割れだ。……ごめん、我儘言って」
「ううん。私も、いつも凛には我儘聞いてもらってるから」
不意に、合わせていた額がずるずるとずれていく。そうして、互いの肩に顔を埋める。ぽつりと、普段では言えないことを言い合うために。
「俺、あそこでなら、最高のチームで泳げると思うんだ」
「そっか」
「おう」
「……その、凛が言う最高のチーム、私も見たい」
「へ」
名前の肩から重みが消えた。
凛が顔を上げたから、なのだが。
あんなに応援には行かないと言っていた名前が行くと遠回しに伝えたのだから驚くのも当たり前だろう。
凛の肩に顔を埋めたままの彼女には兄の顔は見えないけれど、自分と同じ色がキラキラと輝いているのだろうということは予想がつく。
「名前、それって、」
「頑張って。私、頑張ってる凛が大好きだから。負けないように、私も頑張るね」
「! おう、任せとけ! 何たって、俺はお前の兄ちゃんだからな!」
かくして、名前の双子の兄である松岡凛は、小学六年生の冬というよく分からない時期に転校していった。その、最高のチームのメンバーがいる学校へと。
毎日楽しそうに、学校であったことを話してくれる訳だが、この頃の凛は己の片割れと七瀬遙という人物を比較することに忙しいらしい。
「うーん……やっぱり、お前ら似てんだよな」
「知らない人と比べられても困る」
「うーーーん」
「聞いてねえな」
最近の凛の口癖は、「やっぱりお前ら似てんだよな」だ。
なんて、
「何年前の話……?」
とても、懐かしい夢を見た。
将来を背負わない、気楽でいていい年頃の私は、今よりも身軽でいて、身軽すぎてきっと地に足は付いていなかったのだろう。
双子の兄も、多分そうだった。
結局、六年生の大会──凛の最高のチームでの泳ぎ──は、熱を出して行くことが出来なかった。
起きたばかりにしては、はっきりと声が出て自分でも驚きだ。寝起きは、自他共に認めるほど頗る悪いのに。懐かしすぎて、あまりにも鮮明で、吐き出した溜息が過去に吸い込まれていく。
それにしても、眠いったらありゃあしない。枕に重たい頭が吸い寄せられて、睡眠を促し目蓋を重たくさせる悪魔が、大方目を閉じてしまった私を見てニヤニヤと嗤っている気がする。
思考が止まる。
指先が重い。
今日は、幸いにも休日だからこのまま寝てしまおう。
体の力が抜けて、身体が溶解して、布団と一体化した。何か、用事があった気がするけれど、思い出せない。仕方ないか。私は布団なんだから。
完全に閉じた目蓋。
真っ黒な世界が心地よい眠りへと私を突き落とす。
「お姉ちゃん!」
「……」
ばん! と扉が開いて、我が妹の登場に一体化していたはずの重たい身体が少しだけ浮つく。
なに、と口に出した気がするけれど音になっていないこともない気がする。唇が動かない。眠い。
布団と分離し始めた身体は、また逆戻り。したいのだが。
「もう、お姉ちゃん、何やってるの! 早く起きて!」
「……、なに……?」
「お兄ちゃんのお迎えに行くって言ったでしょ!はやく!」
「……んーーー」
布団を取られ、腕を引っ張られ、全く開かない目を指で擦っている間、江は甲斐甲斐しく私の髪の毛をせっせっと梳かしている。
凛のお迎え、かあ。
そんなこと言われたような言われていないような。気を抜くと直ぐに寝入ってしまう。何とか寝ないようにとしているが、いかんせん睡魔があまりにも自分の好みの顔をしているからついて行きそうになる。
「これ、服選んだよ」
「ん」
「んもう!」
そんなこんなで、未だに眠気まなこを携えて一階に降りると、母さんが苦笑を浮かべて、それでもどこか微笑ましそうにするものだから気恥ずかしいったら。
私がしゃきしゃき動かないのが悪いのだが。
「お母さん、はやく行こ! お兄ちゃんが着いちゃう」
「はいはい」
「お姉ちゃんも、早く!」
「んー」
「……さっきから、んーしか言ってないよ?」
「ん」
「はあ……」
高校二年生になる、この春。
私達はもう地に足をつけていた。
地面から生えた手が、足首を掴んで離そうとしない。
顔を掴まれて、無理やり前を向かせられる。
真っ黒な道に、どんな将来を描くのかを考えろと。
……凛は、どうするのだろう。
なんて、愚問か。
空港に着くと、一番に駆け出した江がきょろきょろと兄の姿を探そうと視線をあちらこちらへ遣る。私も探そうと、あちらこちらへ目を向けると、多くの人が行き交う中で、赤い髪の男を見つけた。あの頃とは違う、私と同じくらいだった背丈はぐいぐいと伸びて、硬くしなやかな筋肉がついた。
大きかった目は、鋭くなった。
ぱちりと、目が合う。
こういう時、双子だなあと改めて思う。
近づいて来た凛を、見上げることしかできなくて、小さく開いた口から出てくるその言葉を少しだけ待った。
「……ただいま」
「お帰り、凛」
「お兄ちゃん、おかえりなさい!」
「凛、おかえりなさい」
どんな時でも、私が一番に凛を見つけた。
凛も、私を一番に見つけてくれる。
また目が合って、照れ臭そうにそっぽを向いた凛に、口角が上がった。
今年から、凛は日本にいる。
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