呪術
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気づいたのは、偶然だった。
何か落ちている、程度にしか思わなかった。
それなのに。
「……食べれるかな」
口に含んだソレは、食べ物のように簡単には食いちぎれなくて、ばりばりとプラスチックのように砕けて粉々になったまとまりのないそれらを無理矢理飲み込んだせいで、喉に詰まらせて当分の間むせた。記憶に懐かしい出来事。
またある日、ころん、と久しぶりに買った野菜のビニル袋の中に入っていたソレは、「人魚の鱗みたい」と、そうやって呟いた時から時間をあけて私の視界に、見えやすいところに、気づいて欲しそうに落ちている。
何故あの時、食べたのかはわからない。
でも、なぜか口に運んでいた。
「あおいろだ」
ソレは、いろんな色になる。
固定されていない色は、多くの角度から見た人魚の鱗が、光の反射で、受ける角度で見えてくる色が変わってくるみたいに、キラキラとホログラムのようだと思った。
シャワーを浴びている際に見つけた、排水溝に落ちた深い深い青色のソレ。
流石に、汚くて食べたくはなかった。
そろ、と二つ拾い上げ、あらと思った。
いつもより、薄っぺらい。
これは、鱗じゃない、のかな。
首を捻り、やっぱりこれは鱗じゃないなと排水溝の元あった場所へ手首を振って捨てると、なんだか突然汚いものを触ったかのような思えてボディシャンプーに手を伸ばした。
「ああ、それ。私の」
「へ?」
「爪、この前塗ったんだけど。ほら、先週一緒に買い物に行った時にこの青色いいねって言ったマニキュア。あれ、塗ってすぐにお風呂入ったんだけど、取れちゃったんだよね。綺麗に、こう、ずるって」
「へえ」
「ちゃんと乾かしたと思ってたんだけど、ダメみたい。せっかく塗ったのに」
「どのくらい乾かしてたの?」
「十分くらい?」
「あー、そりゃ短すぎるわ」
そうか、やっぱりあれは違ったのか。
よかった、食べなくて。
心の底からホッとしていると、妹が筋トレをしながら「老けたくないなあ」とこぼした。
しわくちゃになるのは、怖い。
今は、肌がピチピチで、首元も手も皺なんてないけどあと十年したら変わっていってしまう。怖い。若さが少しずつなくなっていくのが怖い。
老けたくない。
それは、私と妹の共通の願いであった。
「きみ、呪われてるね」
「へ?」
真っ黒の目隠し。真っ黒の服。
真っ白な髪。
長い背丈。
目線をよいしょと持ち上げなければ、その人と目が合うことはない。
「あの、誰ですか?ていうか、のろわれ、?」
「呪われてる。何か変なものでも食べた?面白いことになってるけど」
「ええ……?」
真っ黒の人は、何が面白いのか分からないけれどにんまりと桜色の唇を吊り上げて高い位置にある腰を折り曲げた。
あ、唇ぷるぷるだ。なんのリップ使ってるんだろ。
「ふうん?ねえ、名前は?」
「え、あの」
「ああ、ごめんね。僕は五条悟っていうんだ。高専の教師をしていてね、生徒たちの青春を守っているんだけど……ねえ、きみは、一体何者だい?」
あれ。『五条悟』?聞いたことがある。
どこで?
こんな人、見たことない。
会ったこともない。
だってこんな、『あおいろ』の目を持った人なんて、忘れるわけがない。
「新号名前です。その、ただの高校2年生で、何者かと言われてもただの一般人としかお答えできませんが……」
「困らせちゃったかな?ごめんね。きみ、最近変なもの食べてるでしょ」
「え」
「当たりだ。それ、僕の探し物なんだけど」
「えっ」
ころころと、頭の中で思い浮かぶのはいろんな色をする人魚の鱗、のようなもの。先日、間違えて食べそうになった妹のマネキュアの残骸ではなくて。
なんでそれを、妹ですら知らないことを知っているのだろう。見える?……『見える』?なんで、見えると思ったのだろう?
よいしょ、と持ち直したビニル袋が音を立てる。指に食い込むのが痛くて、そういえば買い物帰りだったなあとそんなことを思い出した。
「あの、探し物を食べてしまってすみません……」
「いやあ、まさか食べる人がいるとは思ってなかったからびっくりしちゃったよ」
「そうですよね、私もなんで食べたのか自分でもわからなくて……」
「アレを食べる人、僕、見たことなかったら面白いし良い良い!大丈夫」
「なら、」
「あでも、死刑になるかな」
「へ」
かくんと落ちた意識。
ごしゃと買い物袋が落ちる。
端っこの意識が、訳もわからず男を捉えた。
あ、綺麗な色。なんで隠してるんだろ。
きれいなあおいろ。
ばちん。暗転。
「……えっと?」
「あ、おはよう〜」
「おはよう、ございます……?」
「あら、あんまり混乱してないんだね?」
「そう、ですね」
「へえ、ここにきた人は大抵発狂寸前になるんだけど。……ねえ、何か思い出した?」
「なにか?」
「そう、なんでもいいんだけど」
一つの間。
なにか、思い出すこと。
「老けたくない」と言った妹の顔。
いま、何してるんだろ。
「あの、妹って今、」
「妹さん?君、妹がいるの?」
本気で驚いた顔は、なぜか私が一人っ子であることを確信していたみたいに見える。
この人は、誰なのだろう。
なんで、私をこんなところに連れてきているのだろう。
思い出すことって、なに?
「はい。3つ離れた妹で、2人暮らしをしててその、そろそろ家に帰らないと私、」
「んー、端的に言うけど君は家に帰れない」
「え」
「それと、生きることも難しい」
「え」
目隠しをした男の人は、顎に指をかけて「ん〜」と首を捻る。
「本当に覚えてない?」
「何をですか?」
「自分のこと」
「私、のこと?」
「そう、君自身のこと」
「思い出すも何も、何も忘れていません」
「本当に?」
「本当に」
「新号なんて珍しい苗字、由来は調べてみなかった?」
「逆に自分の苗字の由来調べている人の方が少ないと思いますよ」
「そうなのかな?」
「はい」
新号。たしかに、珍しい苗字だと思う。
進級した時、進学した時、授業で先生が変わる時、名簿で名前を呼ばれるたびに先生は珍しい苗字だと必ず言う。
新しい友達も然り。
でも、生まれた時からその苗字だったのだ。今更、何かを思うこともない。
木の椅子に後ろ手で縛り付けられ、少し腕が麻痺してくる。
早く帰りたいなあ。
「死刑、って言ってましたよね」
「言ったね」
「なんで、ですか」
「なんでって、君が呪物食べちゃったからだよ」
「呪物」
「そう、呪物」
「あの、人魚の鱗みたいなやつですか」
「あれ、君にはそう見えるんだ?」
「え、そう見えるってことは五条さんは違うんですか?」
「うん。僕にはね、」
にんまり。
意地悪く笑っているのが、よく見える。
「目に見える」
「目、ですか」
「そう、目」
「目……。なんで見え方が違うんでしょうか?」
「あれ、あんまり驚かないね?」
「見え方が違うだけですよね。私には人魚の鱗のように見えたので、そこまで驚くことでもないかと思います」
「ふうん?あ、それでなんで、だったよね」
「はい」
「なんで、か。んー、僕が持ってる呪力と君の呪力が違うからだと思う」
「呪力」
「そう、呪力。持っている価値観が違うと見えてくる世界も違う。僕はもともとこういう家系に生まれて育ってきたけど、君は違う。呪術なんて関係のない世界で生まれ育ち、そうしてふとした瞬間に交わった異物を見た。ある人には青が緑に見えるように、君に人魚の鱗に見えたものが僕には目に見えた。それだけさ」
「……明確な理由はわからない、ってことですか」
「そうそう」
じゃあ
「五条さんがその綺麗な目を隠してる理由はなんですか」
ば、と腕を縛っていた何かが取れた。
見ると、初めて目にするお札がばらばらと下に舞っている。それらは、壁一面に貼り付けられたものと酷似しているように思う。
「あらら、取れちゃったね」
「取れましたね。あー、腕疲れた」
「普通、取れないんだけど……ま、いいか」
「普通取れないんですね」
「うん。……それで、目を隠してる理由だっけ?」
「はい」
「僕の術式の関係で目が疲れちゃうんだよね、ずっと色んなもの見てると」
「術式」
「そう、術式」
「不便ですね」
「慣れるとそうでもないよ」
「へえ、そんなものですか」
「そうだね、そんなもんだよ」
それでさあ。
「思い出した?」
「何をですか?」
「自分のこと」
「私のこと?」
「そう、君自身のこと」
「思い出すも何も、何も忘れていません」
「本当に?」
「本当に。あ、でも」
「でも?」
「新号の由来、昔に調べたことあったなあって」
「へえ?」
色んなものを見ないための、隠れたままのあおい目は、きゅうと細まり楽しげに笑う。
私にわざわざ聞かなくとも、新号の由来なんて五条さんは知っているのだろうとなんとなく思う。
落ちた札の一つを拾い、端と端を合わせて折り込んだ。
妹、何してんだろ。心配だな。
「号って漢字が、生き埋めにされた人の姿らしいですね。口を大きく開いて、泣いて、かがみ込んだ状態を表していて、……私の家は生き埋めにされる家系だった」
「ふうん」
「罰を犯したとき、その処罰方法はお天道様が決めます。切腹、斬首、拷問、様々な方法で生死を操り罰を律し正しい道へと戻す。死刑は悪いことをすればこんな酷い死に方をするんだという他への教えであり、更生の余地がない人間が二度と他を傷つけることがないようにする守りでした。そこで、一定の罪人が必要だった国は私の家系に目をつけた。それは、多くの民が道を踏み外さないようにするための轍であり、国の娯楽であり、貧しい財政を立て直すための口減らしでした。昔からの罪人の家系とは一定数存在しており、昔に決定した身分が覆ることは決してない。そうして、いくつかのお家は踏んではいけない轍として、娯楽として、口減らしとして成り立っています。新しく加わった生き埋め担当。それがこの苗字の由来です」
「ふうん、よく知ってるね」
「……そうですね、なんでか思い出しました」
「ほかに思い出したことは?」
「うーん、ないですね。五条さんの目が本当に綺麗だなあってこと以外は」
「口説いてる?」
「まさか」
「はは、だよね」
小さく小さく折りたたんだお札。
「普通はそんなに折りたためないんだけどなあ」と五条さんがため息を吐きながら項垂れる。
「普通は折りたためないんですか」
「そう、折りたためないの。普通はね」
「ふうん。……それで、五条さんは私に何を思い出して欲しいんですか」
「うーん、色々かな」
「色々」
「君、色々忘れてるんだよねえ」
「忘れてる」
「うん、もうそれはたくさんのことを」
一つ、妹の顔を思い出した。
父親似の私と違い、母親似の妹とは私はいつだって友達と間違えられる。姉妹だと言われたことはない。姉妹だと言うと驚かれることの方が多い。
二つ、母と父を思い出した。
私と妹の顔の元。生まれてくる原因。仲が良かったように思うが、どうであろうか。仲が良かったと私が思ったところで比較対象はなく、友人の父と母の仲を深部まで覗いたわけではないからして仲が良かったと一概に言い切ってしまっていいのであろうかと少し悩む。
三つ、友人を思い出した。
多いとも少ないとも言えない数であろうが、会話を楽しみ、一緒にいる時間を楽しみ、感情を共有した。分け与えてくれる一部を真似て、また自分の一部を与えた。
思い出せることはそのくらい。
忘れていることを数えるよりも簡単。
忘れていることとは、果たして一体私に存在するのだろうか。
存在するとするならば、私はいくつ忘れているのだろう。
「五条さんすみません、どうしても思い出せそうにありません」
「そうなの?」
「はい」
「でもさっきは思い出せたよね」
「うーん、偶然かと思います」
「偶然でも、思い出せたじゃん」
「まあ、そうですね」
「全部思い出さなきゃ家に帰れないよ」
「え、全部思い出したら帰れるんですか?」
「まさか。妹にさよならの言葉を伝えて君は死ななくちゃならない」
「なるほど、そういうことですね」
「死ぬって言われて動転しないけど、君はそれでいいの?」
「え?なんでそんなこと聞くんですか?」
「大半の人間は死ぬことが怖いからさ」
「大半の人間?」
「そう、大半の人間」
やだなあ
「私は死にませんよ」
人魚の鱗が腹の中を泳ぐ。
ぱちりと目を見開いたあおいろを見つめ、にっこり笑った。
「あれ?人間じゃないってこと、思い出したの?」
「うーん、五条さんの誘導がうまいからですかねえ。それに、妹に会いたいんです」
「君、思い出した割には普通だね」
「普通ですか」
「うん。知らない記憶があるともう少し、動揺するもんだよ」
「ふうん」
「まあ、いいか。それで、妹に会いたいんだっけ?」
「はい」
「多分無理じゃないかな。君が接触することで、あの子も人間ではなくなってしまう可能性があるし、全ての目──君からする鱗を取り込んでないから良かったけど」
「どうしてもですか?」
「叶えてあげれないこともないけど、……本当の妹じゃないでしょ?なんでそこまで会いたいの?情が湧いた?」
「失礼ですね、本当の妹ですよ。新号名前はワタシです。新号名前の妹はあの子ただ一人。妹を大切に思うのは珍しくないでしょう」
父親似の私と違い、母親似の妹と私はいつだって友達と間違えられる。姉妹だと言われたことはない。姉妹だと言うと驚かれることの方が多い。
でも、喋り方や声は似ているらしい。
外見だけの違いなんて当てにならない。
妹、今何をしてるんだろ。
サボりがちの学校に、今日は行っただろうか。
「へえ」
二文字の嘲笑。
器用に片方だけ上がった眉、長い背丈から見下ろされる圧、ちっとも面白くないと伝えてくる目、吊り上る口の端。
妹を大切に思うのは、普通ではないのだろうか。
「五条さん」
「なあに?」
「それで、私に思い出して欲しいことは他に何があるのでしょう」
「だーかーら、沢山だって」
「一つ一つ、詳細に言ってもらわないと私は思い出せそうにありません」
「さっきみたいに?」
「さっきみたいに」
「えー、君自身が自分で思い出さなきゃあんまり意味がないんだけど」
「それは無理ですね」
「ふうん」
じゃあさ
「死ぬしかないよね」
思い出す前に、死んでもいいのだろうか。
まあ、私が自分で言わずともこの人は目で『見える』。
それなら、なぜわざわざ私に言わせたがるのか。
「死ぬしかない、ですか」
「うん」
「別に、ご自由にどうぞ。でも、やっぱり死ぬ前に妹に会いたいんですが」
「だから、なんで?」
「だから、大切だからですよ」
「うーん、それがさあ、わっかんねえんだよな。君が妹を大切に思う理由は?ていうか、何度も言うけど妹じゃないよね」
「私のたった一人の妹を大切に思うのに理由なんて要りますか?あと、何度も言いますが、私の妹です」
「はあ〜〜。じゃあ、仮にそういうことにしておくとしよう」
「仮にじゃありませんけど、まあいいでしょう」
「いちいちムカつくなあ。まあ、いいか。それで、仮に、あの子が新号名前の妹だとすればどこから生まれた?両親は?」
「どこから?五条さん、人間の誕生の過程をご存じではないのですか」
「は?知ってるけど。君は、ソレに当てはまらないでしょ」
「当てはまりますよ」
「なんで」
「私、人間の体から生まれた人間の子供ですから」
「へえ?」
二文字の嫌悪。
何が知りたいのか、どこまで把握しているのか、理解していない部分はどこなのか。
この体は、間違いなく人間の誕生の過程を正しくなぞらえた産生物だ。
「呪物を取り込んで起こる受肉ではない」
「そうですね」
「それならば、元々の体がソウであると考えたんだけど」
「正解です」
「なら、やっぱり君は人間じゃない」
「いいえ。この体は正しく人間であり両親も妹も人間です。私の血の通った家族です」
「だから、それがおかしいんだよ」
「いいえ。いいえ、五条さん。この世に何一つおかしなことなんてないんですよ」
「は?」
「非呪術師に呪霊が見えない。だから、彼らに呪霊のことやあなた達の力のことを話したところでまるで相手にされない。あなた達には本当のことで、事実で真実で生きている世界でも、彼らからしてみれば漫画のような紙の上の空想の世界になってしまう。それならば、あなた達が知らない世界があってもなんらおかしなことはないでしょう。呪霊ではない、術式も呪力でもない違う力、呪術界とは違う世界があってもおかしなことなど一つもないと、そう思いませんか」
「……じゃあ、君は僕たちとは違うナニカってこと?」
「厳密には違います。例え話ですよ。あまりにも五条さんが私の話を否定するから」
軽薄そうな空気がズルズルと薄れていく。
今あるのは、警戒と嫌悪。
未知のものを見る目は、非呪術師と何ら変わりのないもの。
知らないものは誰だって恐れる。
細く薄まる綺麗なあおいろは、輝きを失わない。
『五条悟』?どこかで聞いた名前。
でも、思い出せない。
どこで?
こんな人、見たことない。
会ったこともない。
だってこんな、『あおいろ』の目を持った人なんて、忘れるわけがない。
「はあーーー、めんどくさいな。じゃあ、整理するよ」
「はい」
「君は、新号の由来、そして自分自身が人間であることを知ってる。でも、自分自身が人間ではないということも知っている。合ってる?」
「そうですね、合ってます」
「人間だけど人間じゃないって自覚してるの、なかなかおかしなことだと思うんだけど、そこはどういうふうに捉えてるわけ?」
「私のこの体は人間です。紛れもなく、どうしようも無くどこまでいっても人間です。私自身が人間ではないということは自覚していますが、私はどう足掻いても人間でしかない」
「ふざけてる?」
「いいえ全く」
「僕さあ、暇じゃないんだよ。簡潔に言ってくれる?」
「あなた達と同じです」
「は?僕たちと?」
「ええ。非呪術師からしてみれば、私とあなたは同じ。同類。未知の力を使って自分たちに見えないものを見る」
「それで?」
「非呪術師と術師、何が違うのでしょうか。脳?体?生まれてくる過程?受精する過程?どこの違いで呪力を持つ者と持たない者、術式を持つ者と持たない者、扱う術式の違いは一体どこから?そう考えたら、術師は一体人間なのでしょうか?そもそも、人間とは一体何なのか。二足歩行で2本の腕を使い食物連鎖の頂点に立ち、言語を扱い、同種で争い合う。感情を操り、操られ、食べる方法も寝方も生活様式も多種多様。しかし、自分の体一つで闘えるのは人間であるか否か。指先から何かしらの力を放つことができるのは人間であるのか否か。大半の人間に見えないものが見えるのは、人間であるのか否か。果たして、どうなのでしょうか。もし、あなた方を人間だと仮定すれば、そこにワタシという存在も人間にカテゴライズされると、そうは思いませんか?」
人魚の鱗を食べた。
気づいたのは、偶然だった。
何か落ちている、程度にしか思わなかった。
それなのに。
「……食べれるかな」
口に含んだソレは、食べ物のように簡単には食いちぎれなくて、ばりばりとプラスチックのように砕けて粉々になったまとまりのないそれらを無理矢理飲み込んだせいで、喉に詰まらせて当分の間むせた。記憶に懐かしい出来事。
またある日、ころん、と久しぶりに買った野菜のビニル袋の中に入っていたソレは、「人魚の鱗みたい」と、そうやって呟いた時から時間をあけて私の視界に、見えやすいところに、気づいて欲しそうに落ちている。
何故あの時、食べたのかはわからない。
でも、なぜか口に運んでいた。
「あおいろだ」
ソレは、いろんな色になる。
固定されていない色は、多くの角度から見た人魚の鱗が、光の反射で、受ける角度で見えてくる色が変わってくるみたいに、キラキラとホログラムのようだと思った。
私は人間だ。
どう足掻いても人間だ。
心臓を刺されれば死ぬし、心臓でなくとも、例えば脳。脳を破壊されたら死ぬ。例えば首。首と四肢を切断されたら死ぬ。例えば体。上半身と下半身を分断されたら死ぬ。例えば呼吸。呼吸ができなくなれば死ぬ。
人間ではないというのなら、一体それがどこから該当するのかを私は知らなければならない。
それでもきっと、『わたし』は死なない。
「じゃあ君は、受肉したモノは人間って思う?」
「ええ。中身が違うだけ。本来の持ち主では無くなったけれど、人間ではないと言い切る材料にはならない」
「わかったよ、人間の定義はまた今度語り合おう。それで、君は何者かな?」
「ああ、思い出して欲しいことですね。私は何者か。うーん、難しい質問ですね」
「難しい?難しいことではないでしょ」
「いいえ、難しいです。ただの人間にわざわざ何者であるかと尋ねるのなら、やはり私はただの人間ではない可能性があるということではないのですか?」
「君さあ、すっごいめんどくさい性格してるって言われたことない?」
「面倒な性格?いいえ、ないです」
「えー、絶対嘘だ。こんなにめんどくさくてイライラするのに?」
「五条さんは本当に失礼な方ですね」
「君ほどでもないよ」
ただの人間。
人間にしかなり得ない。
人魚の鱗を食べただけの人間。
人の間に立つ私は、では一体人とナニの間に立っているのか。
「人魚の鱗を、──私のものであったモノを食べただけの人間ですよ。何者でもありません」
「私のものであったモノ?あ、思い出したの?」
「うーん、僅かにですかね」
「そっか」
「それで、私は妹に会えないまま死んでいくんですか」
「そうだね、残念ながら。これ以上ここにいても、君、何も思い出せなさそうだし」
「そうですね。たしかに。私、これ以上何も思い出せそうにありません」
「だよね。申し訳ないんだけど、死んでもらうしかないんだよね」
「死ぬしかないんですね、わかりました。……ああ、もう一つ」
「もう一つ?何か思い出したの?」
「人魚の肉、食えば不老不死になると言われているのを、知っていますか」
「当然」
「あれ、迷信ですよ」
「……へえ?」
二文字の嘲笑。
「人魚自身からそんな話が聞けるなんて、貴重な体験だ」
「そうですね、貴重な体験になりますね」
「それで?続きは?」
「人魚の肉は確かに不老不死になり得る可能性を秘めていますが、疑問に思ったことはありませんか?どのくらい食べればいいのか、一口ポッキリで本当に人間の体を、人間の寿命を根本から変えてしまうことができるのかということを」
話はこうです。
確かに不老不死にはなる。
だがしかし、条件がある。
ある一定の年齢を達している人魚の肉では意味がないこと。
肉ではなく、心臓を食べること。
何故人魚の肉が不老不死になるのか、それは人魚それ自体が不老不死であり、その人魚の命を貰うことで体が作り替えられる。酸素や栄養を運ぶ血を、すべて人魚の血にしてしまう必要がある。そうしなければただの人間のまま。
血を変えるためには、血を送る心臓を人魚のものにしなければならない。
人魚の肉を食べる?ちがう、そんなことをしてもせいぜい歳を取るのが遅れるだけ。永遠の命が欲しければ、心臓を取り出し、動いているうちに全部食べてしまえ。
「当然ながら、私が知る限り命の受け渡しを行ったモノはいません。あまりにも非現実的で、自分の命を差し出してもいいと思える人間と出会うことすらなかったからです。たまに、血や小指などを分け与える人魚はいましたが、不老不死になったのか、それは不明です」
だけど。
「いたんだ?」
「はい」
「きみ、じゃあないよね」
「……五条さん、本当に失礼ですよね」
「君ほどではないかな」
「はあ。……まあ、いいです。私の知り合いにいたんです。といっても、人間は心臓を食べることはできず約束は果たされませんでしたが」
「約束?」
「少し話を戻しますね。もう言う必要もないと思いますが、私は人魚だったけれど現在は人間です。新号名前という人間です」
「……それで?」
「新号、という家系は昔からありました。それこそきっと、ものすごく古い時から。私はいつも見ていました。新号という、罪人の血を体に溜め込んだ轍であり、娯楽であり、口減らしの一家を。ある一定の期間を置き、年齢はバラバラで、罪状もバラバラの、けれども処刑方法は等しく皆同じの人間が一人一人少なくなっていく様を。ずっとずっと見ていました」
ある日、一人の人魚が恋をした。
陳腐な話だね。そう言った後、五条さんが鼻で笑った。
私も、そう思う。
もうずいぶん前の話になるというのにはっきりと覚えているのだから、不思議なモノだ。
ゆらゆらと、私の鱗が腹の中を泳ぐ。
もう一つの心臓を服の上から撫で、私はまた妹のことを思った。
「新号の男の一人を生かしたいと、あれだけ多くの新号の人間を見殺しにしておきながら、たった一人の好いた男を助けたいとそう望むんです。聞きました。どうするのかと。彼女は言いました。私の命をあげるのと」
また、五条さんが笑う。
「方法は知っているのかと、私は問いました。知っていると、彼女は私の目を見て言いました。本気なのだと、そこで私は漸く彼女の決意を思い知ったのです。不老不死を他に与える心臓の有効である期限がありますが、彼女の心臓は有効でした。彼女は、私に自らの心臓が動いているうちに男に持って行って欲しいとそう望みました。私はその男を知っています。顔を知っています。声を知っています。簡単なことでした」
「持っていけたの?」
「ふふ、ええ。ですが、目の前で私が食べちゃいました」
「は?」
「私は彼女の心臓を誰にもあげるつもりはハナからありませんでしたから。彼女は私が彼女の心臓を丸ごと平らげて、戻った時にはもうすでに死んでいました」
「なんで、食べたの?」
「理由は特に。人魚が人魚の心臓を食べたらどうなるのか、知りたかっただけです」
「……で、どうなったの?」
「永遠に死に続ける。私はあの日から、呪われています。きっと五条さんが面白いことになっていると言われたのもそのせいだと思います。人魚の鱗、──目を食べているからではありません。一途に思い続けた男との約束を妨げた私と、長いこと信用していた私の裏切りにきっと勘づいたのでしょう。ふふ、恋とは、愛とは恐ろしいモノですね」
「ああ、それで死なないって言ったんだ」
「はい。普通は、多くの人間は転生する時死後の世界の記憶を消して生まれてくるものですが私は違う。地獄で行われる処罰の種類、方法、それに伴う、痛みという言葉ではあまりにも足りない死後の記憶を抱えたまま生まれ、死んだ後に再び何百年とそれを経験しなければならないことへ恐怖しながら生きる。これが、私の罰です」
ふうん。
五条さんは興味がなさそうに息を吐き出して「それで?」とあおいろの目を細めた。
「こわいの?本当に?」
「こわいですよ。思い出したくもないほどに。もう2度と、あんな思いをしたくないと思うほどに」
「そんなふうに、見えないけど」
「そうですか?」
「うん。なんか、余裕そうに見える」
「全然。ああでも、これで最後だからそういうふうに見えるのかもしれません」
「最後?」
「最後です」
「そっか。オツカレサマ。じゃ、もういいよね」
「はい。あ、でも、妹に会えないのでこれ渡しておいてもらえますか?」
「いいけど」
「あ、全然読んでもらって構わないので」
「……これ、なに?」
「なにって、ただの手紙ですよ」
「本当に?」
「本当に。妹に愛を込めて書いた私からの手紙です。あ、処分しない方が身のためですよ」
「余計な仕事増やしやがって、君最後まで面倒だな。言われたこと──ああ、ないんだっけ」
「ないですよ。ま、処分していただいても結構ですけど」
「はあーー、これ、処分しても意味ないんでしょ。形式的なモノだ、もう既に遅い」
「はい。妹に会わせてもらえないので、このくらいの意向返し可愛いものでしょう」
「どの口が」
ふふふ、と笑う。
呪術師最強は伊達じゃない。何百年ぶりの楽しい時間だった。まあ、妹と過ごす時間とは比べ物にならないけれど。
「仕方ないから、ちゃんと渡しておくよ。その後、高専で保護するよ、君の大事な妹」
最強らしい圧倒的な力の前で、何度目かの死を隣に感じた。
目隠しが外された、あおいろのめと目が合う。
ほら、やっぱり綺麗な色だ。
「五条さん、これは何百年と生きてきた大先輩からの助言です。寂しかったら、痛くて辛くて苦しいのなら、大切な誰かを道連れにしちゃえばいいんですよ」
「────まさか」
なあんてね。
「っくそ、あの人魚やりやがったな」
ころん、と目玉人魚の鱗が転がる。
人魚が地獄に落とされることも、人間に転生することもあり得ないのだと何故気付かなかった。
────あり得ないことなんて、ないんですよ。
そうやって笑う女の顔が、今はもう思い出せない。
