我妻善逸
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雪が降る。真っ白な色に映える、あいつの髪色が何故だろうかね、チラつくんだ。会いたい、なんて柄じゃあないけれど、そう思ってもいいかな。
ぐっと唇をかみしめた。
ああ、なんて、不甲斐ない。
口をついて出てくる言葉を、あいつに聞かれたら絶対に怒られてしまうだろうな。女の子が汚い言葉を使っちゃあいけませんって。
笑いたいが、どうもおかしくて笑うことすらできそうにない。
「くそ、ったれ」
広がる赤に、吐く息がやけに白く感じた。
手がかじかむのは、真っ白な雪に手をついているせいで、びゅうびゅうと吹く風が温度を奪って死を手招く。
おいでおいでと。私を手招く。
耳の奥で、キーンと高い音が鳴る。
「あ、……」
ぐるぐると回る。回る。
視界が、脳味噌が、世界が。
がくんとついた膝が、じわじわ冷たくなって、漸く右足が無くなったことに気が付いた。
「はっ、はははは!!!!そんなもんかあ!?なあ、鬼狩りよォ」
「……言ってくれるなァ、ずっと長年お世話になってきた足とお別れしてるんだから、静かにしておいて欲しいね」
「まだ減らず口は無くならないのか。しぶとい奴だな」
「生憎と、私が死んだら泣き叫ぶ奴が一人だけいるんだ。……あいつを残して、死ねないんでね」
「ふうん、まあ、お前はここで死ぬがなァ!」
あいつと見た、まん丸のお月様と揺れる多くのススキを思い出す。楽しそうにゆらゆら揺れる、黄色の頭を見るのが好きだった。
ゆらゆら、揺れる。
おいでおいでと、ススキが揺れる。
片足で踏ん張り、刀を地面に突き刺してなんとか立つと、再生を終えた鬼が刀を振りかざしているのが見えて、日輪刀で咄嗟にそれを受け止める。
がぎぎ、と耳をつんざく音が空気を蹴散らし、降り積もる真白な雪に吸い込まれていく。片足だけだと踏ん張りが弱いため、後ろに押されていく。
──死ねない。あいつを残して、死ぬことだけは、できない。
だって、私も残されたから。大切な人が自分よりも先に死んでいく辛さが、その人のいない世界に取り残され、胸が塞がるのが分かる。だから、どうしても、死ねないのだ。
己よりも若いのに先に逝ってしまった師匠を思い出し、ちりつく心臓が強張る。それと同時に、私は師匠の継子だったことを思い出して、握り締めた柄が熱くなった。
こんなところで、死ねない。あの人の継子である私が、こんなところで、死ぬはずがない。そうだろう、椿名前。
「霞の呼吸、壱ノ型・垂天遠霞」
追いかけてきた背中を亡くした。
水面に映る、青空のような目も髪も亡くした。もう、見ることはない。
寂しい、辛い、哀しい。
今だって、立ち直れてなんていない。
埋め合わせのために繰り上げられた階級は、本当は師匠がいるはずだった場所で、我儘を言って頂いた屋敷も師匠が居たという形跡ばかりが残っていて、どうしたって彼にはもう会えないというのに。
不意に、立ち止まり、探してしまう。
だからだ。だからこそ、こんな想いをあいつにして欲しく無いのだ。
刀ごと相手を押し返し、その隙を突く。
こんなにも、善逸のことを思い出してしまうのは、きっと今日がこんなにもまあるいお月様が出ているせいだ。
なあ、善逸。こんなに綺麗な月ならば、お前と一緒に見たかったよ。
「……?」
「どうした?善逸」
「いや、何でもない。……俺、縁側いるから、気にしないで寝ろよ」
「?分かった。寒いから、程々にするんだぞ」
「うん、ありがとな。おやすみ」
「おやすみ」
寒さに震えながら、縁側に座る。
吐き出した白い吐息が少しだけ上昇して消えていく様を何となく見つめ、星が散らばる夜空に貼り付けられたまん丸なお月様を咀嚼した。
この月を、名前も何処かで見ているのだろうな。雪が降っているから、足元に気を付けてくれればいいけど。変なとこで抜けてるから、心配なんだよなあ。
澄んだ空気を吸い込み、その冷たさに少しだけむせた。
冬だから、太陽が沈むのが早い。
その分、鬼の活動時間が長くなる。
名前、強いから大丈夫だろうけど、……早く、帰ってきて欲しい。なんて、柱に向かって上から目線過ぎたかな。
だけれど、ざわざわする。胸が。
なんだか不安で仕方がない。
こういう時の、嫌な予感っていうのは大概当たってしまう。
一つ歳下だけれども、入隊したのは名前の方が一年早い。おまけに彼女はそれはもう、迚も強くて、霞柱の継子だった。
何でそんな凄い子と仲良くしているのかって、何でだっけな。俺ももうあまり覚えていない。
「名前、早く帰って来いよぉ……」
何故だか、彼女との思い出が次々に蘇る。記憶をなぞるように、思い出の中の名前が、笑ったり怒ったりして、寂しくてたまらない。だって、違う。俺は本物に会いたいから。
お月見と称して、彼女と二人で見たお月様とそれによく似た大きな饅頭にかぶりつき、ゆらゆら揺れていれば、ススキみたいだと笑われて唇をとんがらせたことを思い出す。
あの時のような、あの時よりも成長した兎が住んでいる大きな月が、今は目に毒だった。こんなに綺麗で立派な月は、名前と二人で見るからこそ、楽しいのだ。
ああ、ああ、嫌だ。
立てた膝に目を押しつけて、布がじんわりと濡れていくのを気にしない。泣くな、泣いちゃあ駄目だ。
こんなにも、立派な月があるんだよ。
待つ宵は、どうしたって寂しくなる。
なあ、お前は帰ってくるだろう。
月を出迎えて、ずっと待っているから。
そのあと、心配した炭治郎が迎えにくるまで、縁側でくるまっていた。寒くて寒くて仕方なかったけれど、鬼胎を抱えたまま眠ることなどできそうになかった。
結局眠れない夜を超え、朝がやってきた。
すると、ドタバタと騒がしい足音と大きな声がこちらに近づいてくる。誰だろう。知らない足音だ。
乱暴に開けられた襖に、びっくりして肩が跳ねる。ばちりと合った目。初めて会う筈の男が、一瞬だけ顔を歪めると、次の瞬間には真剣な顔で教えた筈のない己の名前を呼ばれ、戸惑う。
「お前が、我妻善逸か!?」
「は、はい、そうですけど」
「来い!!!早く!!!」
「え!?!?何で!?」
「いいから!!!!」
「善逸、俺もついて行くから、早く行こう」
「話が早くて助かる。行くぞ!」
着替えずに、そのまま手を引かれ屋敷を出る。
足が何度ももつれ、転びそうになったが踏ん張った。早く、行かなければ。どうしてか、そう思った。だって、何かを堪えるようにずっと顔を顰めている名前の知らない隊士から、ずっと激しく何かを壁に叩きつけているような音が聞こえたから。これは、自分を責めている音だろうか。
走って走って、誰の屋敷なのかも分からずに促されるままに敷居をまたいで、また彼の背中について行く。
ある、一つの部屋に着くと彼が、先程までの俊敏さとは掛け離れた動作で、静かに静かに襖を開けた。
おそるおそる入り、布団の上でかたく目をつぶっている人の顔を見て息が止まった。
「っ!名前!!!!」
「静かにしろ、善逸!」
「だって!っ、そんな……!!」
「落ち着け。霞柱様は死んでない」
「え……?ほ、本当ですか?死んで、……死んで、ないんですか?」
「本当だ。よく見ろ。ただ、今は眠っておられるだけだ」
青白い顔には、いくつもの傷が付いている。
長かった筈の髪の毛が短くなっている。
体温が、急激に下がった。走ってきたばかりで身体は温まったというのに、寒くて寒くて仕方がない。
「落ち着け、大丈夫だ」と、炭治郎が俺の背中をさすってくれる。
霞柱になったんだと、全てが抜け落ちた顔で記憶の中の彼女が言う。その時の名前は、今にも、彼を追いかけて逝きそうだった。
霞柱の継子であることがどれだけ誇らしく、嬉しいか。師匠の素晴らしいところはあそこで、剣技が迚も迚も美しくて、師匠自ら手合わせをしてくれることが嬉しくて堪らないと、沢山聞いてきた。だから。
敵討ちすら叶わない彼女が、どうしたって生きていることを恥じているように感じた。でも、多分、きっと、実際に彼女は恥じているのだと思う。
それでも、徐々に表情を取り戻す名前に安心していた。笑顔を久しぶりに見た晩は、泣いてしまった。嬉しくて、たまらなくて。安心して。
だが、と一層顔を歪めた彼が俯き、そしてまた顔を上げ、弱々しい声を吐き出した。
「……だが、右足と左耳が無くなってしまった」
「!?」
「すまない……!霞柱様が、こんな目に合うはずはなかったんだ。俺が、俺たちが……っ!本当に、本当に、申し訳ない……!!」
大切な人が死んでしまうのは、哀しいなあ、善逸。なんて言うから、他人事のようにそんな事を言うから、伝える筈のない好意を伝えたんじゃあないか。お前が、居なくなってしまうことに焦ったから、悲しくて、その辛さを少しでも支えたくて伝えたんじゃあないか。
目が回る。視界が回る。
この世界は、いつだって不条理だ。
頭を畳に擦り付けるその人に首を振った。
もう、手が震えて、涙が視界を壊して、訳が分からない。頭が痛い。
嗚咽で、ようやっと絞り出した声も途切れ途切れで情けない程震えていた。
「貴方の、せいでは、ないです、っ、ゔゔ、だっで、誰のせいでもないんでず!このせかいが、わるいんだ……!!!」
男三人で、名前を囲って号泣した。誰も、怒らなかった。
後に教えてもらったのだが、名前は自分の任務を終わらせて帰っている途中に、彼、圷さん──まだ二人いるそうだが、任務が入ってここにはいない──を含む三人での任務が難航していることを知り、助っ人に行った。しかし、三人揃って中々の怪我を負っていたため、血の匂いに集まってきた鬼が多く、三人を守らんがために刀を振り続け、こうなったと言う。
最後の鬼が厄介で、消耗し切った体力で戦闘に臨み何とか勝ったらしい。
全てが終わった後、急いで名前に近づき蝶屋敷は遠すぎるからこの辺りで一番腕の良い医者のところへと運んでいる最中に、「善逸に逢いたい」と漏らしたのを聞いた圷さんが俺のところまで来たというわけだった。
炭治郎と圷さんが帰り、闇に飲まれた時間に名前と二人きりで静かな空気を分け合う。
「名前、昨日のお月様、見てた?」
答えはない。当然だ。
まだ、彼女は眠っている。
「まだ、告白の答え貰ってないんだけどなあ。……ねえ、名前、時透さん、お前が継子で良かったって言ってたんだよ。喋ったことなんてあんまり無いのに、名前のことになるといっぱい喋ってくれたんだ。それで、良かったって。楽しいって。時透さんの、あんな笑顔初めて見たんだ」
苦しかったろうに。
辛かったろうに。
信念を持って鬼殺隊に入った訳では無いけれど、あの人にだけは幸せでいて欲しいから。そう言って、笑った顔があの時の時透さんの笑顔に迚も似ているんだ。
そんなに想いあっちゃって。俺がどれだけもやもやしたか、お前は知らないんだろうね。
ああ、でも、時透さんの話をしている時が一番幸せそうだったから、俺も幸せだったんだよ。悔しいけど。
「ねえ、名前、生きて帰ってきてくれてありがとう」
「……、」
「!名前!!」
握っていた彼女の指がぴくりと動き、まぶたがゆっくりと上がる。
真っ白な彼女の刀身とは真逆の、闇の色がこちらを見返す。
「ぜん、いつ……?」
「そうだよ、善逸だよ!」
「よかっ、た、生きてる……」
「うん、っ生きて帰ってきてくれてありがとう……!!」
「ふ、はは、泣いてる……。善逸を泣かせないために、帰ってきたのに。泣くなって、ほら」
重たそうに指が伸びてきて、目尻を撫でる。
身体を動かすのは辛いだろうに、眉を潜めてそれでも優しく優しく泣くなと、もう片方の手が頬を包む。
ひんやりとした掌に、死に近い場所に立っている名前が恐ろしくて、そこから離れて欲しい一心で自分の頬を包む手の上から、自分のそれを重ねた。
「返事、……返事聞かせてくれよ。ゔゔっ、俺、お前じゃなきゃ駄目なんだよ、やだよお、もうこんな思いすんの、やだあ……っ」
「……泣き虫だなあ、本当に」
「どうでもいいだろお、そんなこと!今!」
頬から手を剥がし、ぎゅうぎゅう握って名前の手を温める。一向に体温は移らない。
その事実が怖くて、ぶわっと涙が止まらない。
呆れたように少しだけ笑って、「私も、善逸のこと好きだよ」と、されるがままだった彼女の掌が、意思を持って俺の手を握り返す。
涙を拭ってくれる指が頬に落ちて、もう一度名前は言った。
「善逸のこと、慕ってるよ」
「うぇ……、へ……」
「何、その顔」
「ほ、本当に?」
「嘘じゃ無い」
「……本当?」
「殴るぞ」
「ごめんなさい!」
一番近い距離で、ふっと名前が笑うから、その顔があまりにも可愛くて綺麗だから、彼女の手を包んでいた両手のうちの片方を頬に添え、もう片方で指を絡めた。
顔を傾けて重ねた唇は、やはり冷たくて、それなのにどうしようも無い程に熱が上がって舞い上がる。
唇を軽く吸い、そっと離れると、名前が耳まで真っ赤にして照れていた。
珍しいその様子に、どきどきと心臓がうるさい。嬉しくて、恥ずかしくて、思わず抱きしめた。
いまだに体温は移らない。何でだろうね。
悲しくて嬉しくて、ずっと壊れっぱなしの涙腺は治りそうにない。
「っ、わ、ぜ、善逸……!」
「もおーーー、なに!?可愛すぎるんだけど!」
「こ、声が大きい!」
「だってええ、こんな……可愛すぎて死ぬよ俺!!?」
ふふふ、と笑う名前が愛おしくて、離したくない。好きで、大切で、仕方ない。視界が、また、揺れる。
壊れていく。
「……ねえ、何で、……何で、返事くれたの?」
「そうだなあ」
「だって、この前ははぐらかしたからさ。大切なものを作る気は無いって」
「言ったな」
「だからさ、何でかなって。いや、嬉しいよ!?嬉しい、けど、……」
冷たい身体に、必死でくっついた。
今更、気付いたんだ。両手の指が、数本ずつ無いことに。
ざっくばらんな髪の長さと傷ついた顔は、激しい戦闘を物語る。
涙が止まらない。
また泣き始める俺に、体を離して目元を拭ってくれる。
「ごめんね、善逸」
「なに、やだよ、おれ」
「もう、駄目なんだ」
「嫌だって!!!!」
力が抜けて傾く名前の身体を支え、駄々をこねる稚児のようにその身体を抱きしめて嫌だ嫌だと言った。
冷たい。
嫌だ。
何で、戻ってきてくれたじゃ無いか。
「どうしても、善逸のとこに帰りたかったんだ。善逸に会いたくて」
「やめろって、そんな、……なあ!」
「私、師匠を護れるなら死んでも良かった。けど、善逸を悲しませるなら死にたく無いって思った。……頑張ったんだ、私、善逸に逢いたくて、ここまで帰ってこれた」
小さくなる。弱くなる。名前の声が、心臓の音が。
彼女は、何がおかしいのか、ふふふと笑う。俺が泣いているのに、身体の力なんて入らないくせに。ぐったりと俺にもたれかかり、冷たい指先で涙を拭い、頬を包む。
「どちらも大切で仕方がないのに、想うことが真逆なんて、おかしいだろう」
「ゔゔゔっ、なら、死ぬなよおっ」
「……善逸、あのな、私達はきっと寿命をまっとうすることは出来ない。だから、お前のことが好きでも、いつ死んでしまうか分からない自分と一緒になるよりも、誰か違う人と幸せになって欲しかったんだ。……なのに、ふふ、お前のことが諦めきれなかった。私の気持ちを知らないまま、誰か他の女と一緒になる善逸を想像するだけで、たまらなく苛々したんだ」
「っ、」
「好いている男に最期を見届けられるというのは、中々良いものだな。……忘れて欲しく、無かったんだ、すまない。ああ、私は存外我儘のようだね」
声が震えていた。
よく見ると、目が涙で濡れている。
哀しくて辛くて、仕方がないと語る音と、俺を見つめる瞳が愛おしいと細まり、嗚咽が漏れる。
名前の身体を引き寄せ、額と額を合わせる。
「ぐず、っ、良い、良いよ。我儘なんかじゃない、俺も、好きだよ、好きだ」
「ふ、はは、っ、ありがとう。善逸、好きだよ。ありがとう」
揺れる揺れる。
おいでおいでと、此方へおいでと手招くのだ。
善逸の目の中に月を見た。
あの時のまあるいお月様が浮かび、ススキが揺れ、私の隣で善逸が楽しそうに揺れる。
なあ、泣かないで。笑っておくれ、善逸。
私も、笑うから。
「帰ってきてくれてありがとう、名前」
末宵にて、月を見上げた。
君の帰りを、ずっと待っているよ。
ぐっと唇をかみしめた。
ああ、なんて、不甲斐ない。
口をついて出てくる言葉を、あいつに聞かれたら絶対に怒られてしまうだろうな。女の子が汚い言葉を使っちゃあいけませんって。
笑いたいが、どうもおかしくて笑うことすらできそうにない。
「くそ、ったれ」
広がる赤に、吐く息がやけに白く感じた。
手がかじかむのは、真っ白な雪に手をついているせいで、びゅうびゅうと吹く風が温度を奪って死を手招く。
おいでおいでと。私を手招く。
耳の奥で、キーンと高い音が鳴る。
「あ、……」
ぐるぐると回る。回る。
視界が、脳味噌が、世界が。
がくんとついた膝が、じわじわ冷たくなって、漸く右足が無くなったことに気が付いた。
「はっ、はははは!!!!そんなもんかあ!?なあ、鬼狩りよォ」
「……言ってくれるなァ、ずっと長年お世話になってきた足とお別れしてるんだから、静かにしておいて欲しいね」
「まだ減らず口は無くならないのか。しぶとい奴だな」
「生憎と、私が死んだら泣き叫ぶ奴が一人だけいるんだ。……あいつを残して、死ねないんでね」
「ふうん、まあ、お前はここで死ぬがなァ!」
あいつと見た、まん丸のお月様と揺れる多くのススキを思い出す。楽しそうにゆらゆら揺れる、黄色の頭を見るのが好きだった。
ゆらゆら、揺れる。
おいでおいでと、ススキが揺れる。
片足で踏ん張り、刀を地面に突き刺してなんとか立つと、再生を終えた鬼が刀を振りかざしているのが見えて、日輪刀で咄嗟にそれを受け止める。
がぎぎ、と耳をつんざく音が空気を蹴散らし、降り積もる真白な雪に吸い込まれていく。片足だけだと踏ん張りが弱いため、後ろに押されていく。
──死ねない。あいつを残して、死ぬことだけは、できない。
だって、私も残されたから。大切な人が自分よりも先に死んでいく辛さが、その人のいない世界に取り残され、胸が塞がるのが分かる。だから、どうしても、死ねないのだ。
己よりも若いのに先に逝ってしまった師匠を思い出し、ちりつく心臓が強張る。それと同時に、私は師匠の継子だったことを思い出して、握り締めた柄が熱くなった。
こんなところで、死ねない。あの人の継子である私が、こんなところで、死ぬはずがない。そうだろう、椿名前。
「霞の呼吸、壱ノ型・垂天遠霞」
追いかけてきた背中を亡くした。
水面に映る、青空のような目も髪も亡くした。もう、見ることはない。
寂しい、辛い、哀しい。
今だって、立ち直れてなんていない。
埋め合わせのために繰り上げられた階級は、本当は師匠がいるはずだった場所で、我儘を言って頂いた屋敷も師匠が居たという形跡ばかりが残っていて、どうしたって彼にはもう会えないというのに。
不意に、立ち止まり、探してしまう。
だからだ。だからこそ、こんな想いをあいつにして欲しく無いのだ。
刀ごと相手を押し返し、その隙を突く。
こんなにも、善逸のことを思い出してしまうのは、きっと今日がこんなにもまあるいお月様が出ているせいだ。
なあ、善逸。こんなに綺麗な月ならば、お前と一緒に見たかったよ。
「……?」
「どうした?善逸」
「いや、何でもない。……俺、縁側いるから、気にしないで寝ろよ」
「?分かった。寒いから、程々にするんだぞ」
「うん、ありがとな。おやすみ」
「おやすみ」
寒さに震えながら、縁側に座る。
吐き出した白い吐息が少しだけ上昇して消えていく様を何となく見つめ、星が散らばる夜空に貼り付けられたまん丸なお月様を咀嚼した。
この月を、名前も何処かで見ているのだろうな。雪が降っているから、足元に気を付けてくれればいいけど。変なとこで抜けてるから、心配なんだよなあ。
澄んだ空気を吸い込み、その冷たさに少しだけむせた。
冬だから、太陽が沈むのが早い。
その分、鬼の活動時間が長くなる。
名前、強いから大丈夫だろうけど、……早く、帰ってきて欲しい。なんて、柱に向かって上から目線過ぎたかな。
だけれど、ざわざわする。胸が。
なんだか不安で仕方がない。
こういう時の、嫌な予感っていうのは大概当たってしまう。
一つ歳下だけれども、入隊したのは名前の方が一年早い。おまけに彼女はそれはもう、迚も強くて、霞柱の継子だった。
何でそんな凄い子と仲良くしているのかって、何でだっけな。俺ももうあまり覚えていない。
「名前、早く帰って来いよぉ……」
何故だか、彼女との思い出が次々に蘇る。記憶をなぞるように、思い出の中の名前が、笑ったり怒ったりして、寂しくてたまらない。だって、違う。俺は本物に会いたいから。
お月見と称して、彼女と二人で見たお月様とそれによく似た大きな饅頭にかぶりつき、ゆらゆら揺れていれば、ススキみたいだと笑われて唇をとんがらせたことを思い出す。
あの時のような、あの時よりも成長した兎が住んでいる大きな月が、今は目に毒だった。こんなに綺麗で立派な月は、名前と二人で見るからこそ、楽しいのだ。
ああ、ああ、嫌だ。
立てた膝に目を押しつけて、布がじんわりと濡れていくのを気にしない。泣くな、泣いちゃあ駄目だ。
こんなにも、立派な月があるんだよ。
待つ宵は、どうしたって寂しくなる。
なあ、お前は帰ってくるだろう。
月を出迎えて、ずっと待っているから。
そのあと、心配した炭治郎が迎えにくるまで、縁側でくるまっていた。寒くて寒くて仕方なかったけれど、鬼胎を抱えたまま眠ることなどできそうになかった。
結局眠れない夜を超え、朝がやってきた。
すると、ドタバタと騒がしい足音と大きな声がこちらに近づいてくる。誰だろう。知らない足音だ。
乱暴に開けられた襖に、びっくりして肩が跳ねる。ばちりと合った目。初めて会う筈の男が、一瞬だけ顔を歪めると、次の瞬間には真剣な顔で教えた筈のない己の名前を呼ばれ、戸惑う。
「お前が、我妻善逸か!?」
「は、はい、そうですけど」
「来い!!!早く!!!」
「え!?!?何で!?」
「いいから!!!!」
「善逸、俺もついて行くから、早く行こう」
「話が早くて助かる。行くぞ!」
着替えずに、そのまま手を引かれ屋敷を出る。
足が何度ももつれ、転びそうになったが踏ん張った。早く、行かなければ。どうしてか、そう思った。だって、何かを堪えるようにずっと顔を顰めている名前の知らない隊士から、ずっと激しく何かを壁に叩きつけているような音が聞こえたから。これは、自分を責めている音だろうか。
走って走って、誰の屋敷なのかも分からずに促されるままに敷居をまたいで、また彼の背中について行く。
ある、一つの部屋に着くと彼が、先程までの俊敏さとは掛け離れた動作で、静かに静かに襖を開けた。
おそるおそる入り、布団の上でかたく目をつぶっている人の顔を見て息が止まった。
「っ!名前!!!!」
「静かにしろ、善逸!」
「だって!っ、そんな……!!」
「落ち着け。霞柱様は死んでない」
「え……?ほ、本当ですか?死んで、……死んで、ないんですか?」
「本当だ。よく見ろ。ただ、今は眠っておられるだけだ」
青白い顔には、いくつもの傷が付いている。
長かった筈の髪の毛が短くなっている。
体温が、急激に下がった。走ってきたばかりで身体は温まったというのに、寒くて寒くて仕方がない。
「落ち着け、大丈夫だ」と、炭治郎が俺の背中をさすってくれる。
霞柱になったんだと、全てが抜け落ちた顔で記憶の中の彼女が言う。その時の名前は、今にも、彼を追いかけて逝きそうだった。
霞柱の継子であることがどれだけ誇らしく、嬉しいか。師匠の素晴らしいところはあそこで、剣技が迚も迚も美しくて、師匠自ら手合わせをしてくれることが嬉しくて堪らないと、沢山聞いてきた。だから。
敵討ちすら叶わない彼女が、どうしたって生きていることを恥じているように感じた。でも、多分、きっと、実際に彼女は恥じているのだと思う。
それでも、徐々に表情を取り戻す名前に安心していた。笑顔を久しぶりに見た晩は、泣いてしまった。嬉しくて、たまらなくて。安心して。
だが、と一層顔を歪めた彼が俯き、そしてまた顔を上げ、弱々しい声を吐き出した。
「……だが、右足と左耳が無くなってしまった」
「!?」
「すまない……!霞柱様が、こんな目に合うはずはなかったんだ。俺が、俺たちが……っ!本当に、本当に、申し訳ない……!!」
大切な人が死んでしまうのは、哀しいなあ、善逸。なんて言うから、他人事のようにそんな事を言うから、伝える筈のない好意を伝えたんじゃあないか。お前が、居なくなってしまうことに焦ったから、悲しくて、その辛さを少しでも支えたくて伝えたんじゃあないか。
目が回る。視界が回る。
この世界は、いつだって不条理だ。
頭を畳に擦り付けるその人に首を振った。
もう、手が震えて、涙が視界を壊して、訳が分からない。頭が痛い。
嗚咽で、ようやっと絞り出した声も途切れ途切れで情けない程震えていた。
「貴方の、せいでは、ないです、っ、ゔゔ、だっで、誰のせいでもないんでず!このせかいが、わるいんだ……!!!」
男三人で、名前を囲って号泣した。誰も、怒らなかった。
後に教えてもらったのだが、名前は自分の任務を終わらせて帰っている途中に、彼、圷さん──まだ二人いるそうだが、任務が入ってここにはいない──を含む三人での任務が難航していることを知り、助っ人に行った。しかし、三人揃って中々の怪我を負っていたため、血の匂いに集まってきた鬼が多く、三人を守らんがために刀を振り続け、こうなったと言う。
最後の鬼が厄介で、消耗し切った体力で戦闘に臨み何とか勝ったらしい。
全てが終わった後、急いで名前に近づき蝶屋敷は遠すぎるからこの辺りで一番腕の良い医者のところへと運んでいる最中に、「善逸に逢いたい」と漏らしたのを聞いた圷さんが俺のところまで来たというわけだった。
炭治郎と圷さんが帰り、闇に飲まれた時間に名前と二人きりで静かな空気を分け合う。
「名前、昨日のお月様、見てた?」
答えはない。当然だ。
まだ、彼女は眠っている。
「まだ、告白の答え貰ってないんだけどなあ。……ねえ、名前、時透さん、お前が継子で良かったって言ってたんだよ。喋ったことなんてあんまり無いのに、名前のことになるといっぱい喋ってくれたんだ。それで、良かったって。楽しいって。時透さんの、あんな笑顔初めて見たんだ」
苦しかったろうに。
辛かったろうに。
信念を持って鬼殺隊に入った訳では無いけれど、あの人にだけは幸せでいて欲しいから。そう言って、笑った顔があの時の時透さんの笑顔に迚も似ているんだ。
そんなに想いあっちゃって。俺がどれだけもやもやしたか、お前は知らないんだろうね。
ああ、でも、時透さんの話をしている時が一番幸せそうだったから、俺も幸せだったんだよ。悔しいけど。
「ねえ、名前、生きて帰ってきてくれてありがとう」
「……、」
「!名前!!」
握っていた彼女の指がぴくりと動き、まぶたがゆっくりと上がる。
真っ白な彼女の刀身とは真逆の、闇の色がこちらを見返す。
「ぜん、いつ……?」
「そうだよ、善逸だよ!」
「よかっ、た、生きてる……」
「うん、っ生きて帰ってきてくれてありがとう……!!」
「ふ、はは、泣いてる……。善逸を泣かせないために、帰ってきたのに。泣くなって、ほら」
重たそうに指が伸びてきて、目尻を撫でる。
身体を動かすのは辛いだろうに、眉を潜めてそれでも優しく優しく泣くなと、もう片方の手が頬を包む。
ひんやりとした掌に、死に近い場所に立っている名前が恐ろしくて、そこから離れて欲しい一心で自分の頬を包む手の上から、自分のそれを重ねた。
「返事、……返事聞かせてくれよ。ゔゔっ、俺、お前じゃなきゃ駄目なんだよ、やだよお、もうこんな思いすんの、やだあ……っ」
「……泣き虫だなあ、本当に」
「どうでもいいだろお、そんなこと!今!」
頬から手を剥がし、ぎゅうぎゅう握って名前の手を温める。一向に体温は移らない。
その事実が怖くて、ぶわっと涙が止まらない。
呆れたように少しだけ笑って、「私も、善逸のこと好きだよ」と、されるがままだった彼女の掌が、意思を持って俺の手を握り返す。
涙を拭ってくれる指が頬に落ちて、もう一度名前は言った。
「善逸のこと、慕ってるよ」
「うぇ……、へ……」
「何、その顔」
「ほ、本当に?」
「嘘じゃ無い」
「……本当?」
「殴るぞ」
「ごめんなさい!」
一番近い距離で、ふっと名前が笑うから、その顔があまりにも可愛くて綺麗だから、彼女の手を包んでいた両手のうちの片方を頬に添え、もう片方で指を絡めた。
顔を傾けて重ねた唇は、やはり冷たくて、それなのにどうしようも無い程に熱が上がって舞い上がる。
唇を軽く吸い、そっと離れると、名前が耳まで真っ赤にして照れていた。
珍しいその様子に、どきどきと心臓がうるさい。嬉しくて、恥ずかしくて、思わず抱きしめた。
いまだに体温は移らない。何でだろうね。
悲しくて嬉しくて、ずっと壊れっぱなしの涙腺は治りそうにない。
「っ、わ、ぜ、善逸……!」
「もおーーー、なに!?可愛すぎるんだけど!」
「こ、声が大きい!」
「だってええ、こんな……可愛すぎて死ぬよ俺!!?」
ふふふ、と笑う名前が愛おしくて、離したくない。好きで、大切で、仕方ない。視界が、また、揺れる。
壊れていく。
「……ねえ、何で、……何で、返事くれたの?」
「そうだなあ」
「だって、この前ははぐらかしたからさ。大切なものを作る気は無いって」
「言ったな」
「だからさ、何でかなって。いや、嬉しいよ!?嬉しい、けど、……」
冷たい身体に、必死でくっついた。
今更、気付いたんだ。両手の指が、数本ずつ無いことに。
ざっくばらんな髪の長さと傷ついた顔は、激しい戦闘を物語る。
涙が止まらない。
また泣き始める俺に、体を離して目元を拭ってくれる。
「ごめんね、善逸」
「なに、やだよ、おれ」
「もう、駄目なんだ」
「嫌だって!!!!」
力が抜けて傾く名前の身体を支え、駄々をこねる稚児のようにその身体を抱きしめて嫌だ嫌だと言った。
冷たい。
嫌だ。
何で、戻ってきてくれたじゃ無いか。
「どうしても、善逸のとこに帰りたかったんだ。善逸に会いたくて」
「やめろって、そんな、……なあ!」
「私、師匠を護れるなら死んでも良かった。けど、善逸を悲しませるなら死にたく無いって思った。……頑張ったんだ、私、善逸に逢いたくて、ここまで帰ってこれた」
小さくなる。弱くなる。名前の声が、心臓の音が。
彼女は、何がおかしいのか、ふふふと笑う。俺が泣いているのに、身体の力なんて入らないくせに。ぐったりと俺にもたれかかり、冷たい指先で涙を拭い、頬を包む。
「どちらも大切で仕方がないのに、想うことが真逆なんて、おかしいだろう」
「ゔゔゔっ、なら、死ぬなよおっ」
「……善逸、あのな、私達はきっと寿命をまっとうすることは出来ない。だから、お前のことが好きでも、いつ死んでしまうか分からない自分と一緒になるよりも、誰か違う人と幸せになって欲しかったんだ。……なのに、ふふ、お前のことが諦めきれなかった。私の気持ちを知らないまま、誰か他の女と一緒になる善逸を想像するだけで、たまらなく苛々したんだ」
「っ、」
「好いている男に最期を見届けられるというのは、中々良いものだな。……忘れて欲しく、無かったんだ、すまない。ああ、私は存外我儘のようだね」
声が震えていた。
よく見ると、目が涙で濡れている。
哀しくて辛くて、仕方がないと語る音と、俺を見つめる瞳が愛おしいと細まり、嗚咽が漏れる。
名前の身体を引き寄せ、額と額を合わせる。
「ぐず、っ、良い、良いよ。我儘なんかじゃない、俺も、好きだよ、好きだ」
「ふ、はは、っ、ありがとう。善逸、好きだよ。ありがとう」
揺れる揺れる。
おいでおいでと、此方へおいでと手招くのだ。
善逸の目の中に月を見た。
あの時のまあるいお月様が浮かび、ススキが揺れ、私の隣で善逸が楽しそうに揺れる。
なあ、泣かないで。笑っておくれ、善逸。
私も、笑うから。
「帰ってきてくれてありがとう、名前」
末宵にて、月を見上げた。
君の帰りを、ずっと待っているよ。
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