夢寐
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刀を振る。
隙を突く。
頸を落とす。
単調でいて、つまらない動きの繰り返し。
「くそ、くそくそくそくそ!!!!!!」
頸だけになったというのに、よく喋るものだ。
冷たい目でそれを見下ろし、やがて興味を失った名前は背を向けた。僅かに覗く太陽の頭を確認し、七日間に渡る最終選別が終わったことを知った。
会場に着くと、やけにしんとしている。
名前ただ一人だけが、そこに立った。
そうして、名前は、自分だけが生き残ったのだと悟った。
「よくぞ、御無事でありました。残ったのは貴方一人だけでございます」
「そうですか」
「まず、隊服を支給させていただきます。それから──」
眠くなるような、長い長い話。
布団が恋しい。
彼女は、枕が無ければ眠れない質なのだ。
右から左へ、左から右へと流れていく話をもはや子守唄として聴き、眠気眼をぶら下げて空を見上げた。
何人死んだのだろう。可哀想に、弱かったからだ。
再び彼女に声がかかる頃には、目の前で死んでいった同期になる筈の子供達の断末魔も姿も赤い血も、鬼の罵詈雑言全てを名前は忘れ去った。
七日間に及ぶ選別は、名前自身が自覚していた以上に身体に疲労を与えていた。覚束無い足取りで、やっとこさ帰って来たのは、一年もいないが、名前にとって大切な場所だった。
扉を開けると、師匠が座っていた。
目が合うと、柔らかく優しい笑みを顔いっぱいにする。
「戻りました」
「お帰りなさい。怪我はありませんね」
「はい」
「そうですか。霧の呼吸はうまく使えたようですね」
「はい、問題ありません。ただ、刀がやはり軽いかと」
「そうかと思い、もう頼んであります」
やはり、というのは、霧の呼吸の使い手は大振りな刀を持つという特徴があるからだ。
ありがとうございますと、名前が頭を下げると、彼の手がそこに乗った。少し、下がった声の音が悲しいと空気を震わせる。
彼女は何も言わずに、僅かに頭を上げ、未だに乗せられたままの手が頭を撫でることを受け入れた。
「……この度の選別は稀に見ない厳しさだと聞きました。十代の若者達の命が散っていき、残ったのは貴方一人だけだと」
「……」
「よく、よくぞ生き残ってくれました」
「はい。私は、弱くないですから」
弱いから死ぬ。それだけだ。
当然の事象に、悲しみあまつさえ涙を流すことは必要であろうか。
弱いから鬼になった。鬼になり、人を喰ったから屠られる。
単純で簡単な話だ。
彼女の中で明確に確立されている原因結果は、聞く人によると残酷だと受け取られるが、そもそも、名前は誰が死のうが生きようがどうだって良いのだ。鬼も人も、彼女には同じに見えた。
剣の才能がある。だから、刀を振るっている。
呼吸を使うことができる。だから、鬼殺隊に入った。鬼を切ると生きていくための給金がもらえる。ただ、それだけのことだった。
離れていく、自分よりも大きな手の温度を忘れて、名前は悲しそうに微笑む師匠を見つめる。
「……名前、貴方には才能があります。霧の呼吸に囚われず、他のものも試してみてください。必ず上手く使えます」
「承知しました」
「さあ、上がりなさい。風呂に入って、晩御飯を食べよう」
「はい」
久方ぶりの風呂は、身体によく染みた。大きく伸ばした手足が、温かな熱に包まれてぼうっとする。気持ちがいい。
きちんと整った食事も、柔らかな布団と枕も、心地が良かった。
身体を横たえ、布団に潜り込むと、するりと睡魔に襲われる。抵抗することなく目を閉じて仕舞えば、真っ黒な世界が広がりそこで記憶が途絶えた。
才能があるなら、発揮できるところで発揮しろ。勿体ぶるな。人の役に立て。
庵 名前は、剣の才があった。両親や兄弟のことなど覚えていない。物心ついた時から、刀を──刀といっても木刀だが──、毎日毎日、飽きることなく振っていた。正確には、振らされていた、だが。
お前には、才がある。才能は誰にでもあるのではない。意味があるから与えられる。そして、それは己の為に使うのではなく他に使うために神から与えられたのだ。
名前を拾った中年の男がそう言う。お前は、俺を守る為に腕を磨け、強くなれと。
覚えたての言葉を繰り返し使いたがる馬鹿のように、何度も何度も繰り返し男は言う。
私には、才能がある。だから刀を振るう。
豆ができて、硬くなった掌を見下ろしなんと単純なことかと彼女は思った。
弱い者は、強い者に守られないと死んでしまうのか。面倒なものだ。可哀想に。
汚い断末魔を聞き、来てみれば、男が事切れていた。肥えた腹は裂かれ、中身を掻き回され、腕や足が無かったり変な方向に向いていたりしているのを見つめて彼女はそう思った。
ああ、本当に愚かだ、可哀想に。
ぐちゃぐちゃと、汚い音がする。
名前が部屋の中を見渡せば、あちらこちらで人であっただろう異物が転がっている。そうして、目が合った。
「……あら、綺麗な子。まだ生きていた人がいたなんて。気付かなかったわ」
「……」
「可哀想に、こんな汚い男に雇われていたの?大丈夫よ、私が優しく喰べてあげる」
真っ赤な目だ。
綺麗な着物を赤色で汚した女が、口の周りに付いていた目と同じ色を拭き取り艶やかに笑った。
──私の才能は、どこで発揮できるのだろうか。
名前が、ふとこの鬼を前にしてぼんやりと考えたのが全ての始まりだった。真っ赤な目と目を合わせたその時から。
目が覚めた。
目覚めのいい朝だ。
師匠と朝御飯を共に食べ、稽古を見てもらう。
「名前、もっと素早く反応しなければ逆に隙をつかれてしまう」
「はい」
刀が届くまでのこの期間は、こうした日々を過ごしていた。寝て起きて、ご飯を食べて稽古をする。
しかし、それも今日で終わりだ。
稽古後で、昼御飯までの時間を縁側に座りぼうっとして潰していると師匠が名前の名を呼んだ。
「名前」
「はい、何でございましょう」
「刀が出来たらしいですよ。持ってきてくださったからこちらに来なさい」
「はい」
玄関へ行くと、背の高い男が大きな刀に紫色の布をかけて待っていた。
「お前の刀を打った、篁 という者だ」
「庵名前と申します」
「早速だが、刀を渡す。普通は幾つかの玉鋼の中から選んでそれを打つという形になるが、霧の呼吸の使い手ということで粧 さん、……ああ、お前の師のことだ。粧さんから詳細を教えてもらって、刀を打った。話を聞けばかなりのやり手だからな、大きく強く重くなるようにした」
「はい」
「……ふむ、結構大きいですね」
「普通の成人している男でさえ、持つにはちと重いうえに、振り回すのは難しい。……持てるか、お前に」
試されている。篁は布を取り払い、鞘が付いたままの刀を名前の眼前に突きつける。
持てないという選択肢は、名前の中で一つも無かった。
顔も声も、もう思い出せないというのに、男の声がする。才があるならば、然るべきところで使わなければ。己の為でなく、人の為に。
一呼吸すら置かず、彼女は答えた。
「持てます」
受け取り、鞘から身を引き抜いた。
すると、途端に色がつき始める。
深く深く、黒に潜り込んだ紫があっという間に刀身を染め上げ変わり果てた。
至極色か、と篁が呟き、続けて重いかと名前に尋ねる。
「確かに、私が使っていたものに比べると重いですが、これくらいならば振り回すことは容易かと」
「そうか」
「それにしても、綺麗な至極色ですね。紫の中でも一番綺麗で贅沢な色。名前によく似合います」
「ありがとうございます」
自分が持っていたものとは、全然違う。
重さも、長さも、大きさも。
選抜の時に感じていた物足りなさは、きっとこれで解消されるだろう。
柄を握り、質量を確かめる。
至極色に染まった刀身に反射する自分の顔を見返して、名前は粧を見た。
「師匠、振ってもよろしいでしょうか」
「勿論。……ああ、そうだ。名前、篁と手合わせをするといいですよ」
「は?粧さん、急に何を」
「篁は、多少だが剣をかじっていましてね。一人で振るよりも誰かと打ち合った方がいいでしょう」
確かに、それはそうだ。
ぱちりと目が合うと、あからさまに篁が嫌な顔をして、名前を見下ろす。
存外、顔の変わる男だ。
「篁様、お付き合いくださいますか?」
「……はあ、分かった。先に言っとくが、俺じゃあお前の相手にはならないからな」
「構えて頂くだけで、ありがたいです」
「それくらいならできるか……。分かった」
「よし、じゃあ始めようか」
篁が言われた通りに真剣を構え、立つ。
名前も、彼の真正面に立ち刀を構えた。ずしりと、心地の良い重みを掌で握る。
「動かないからな、俺は」
「はい、分かっております。私も打ち込むだけなので、耐えてくだされば結構でございます」
「篁、名前の刀は重いから気をつけるんだよ」
「ご配慮心痛みます」
「いきます」
踏み込んだ音が、あまりにも軽い。
故に、篁が気を抜いた次の瞬間──
「っぐ!!!!?」
「ほら、篁耐えて」
「おっも、無理です!!!」
「篁様、まだ一回しか打っていません」
「ふざけんなって……!!!」
後ろに飛ばされそうになるのを何とか耐えているだけで、押し返すことが出来ない。ずずずず、と後ろに押される。土を抉りながら後退するのを止められない。
刀が空を裂く音が、いっそ気持ち良いほど軽い。来る、と身構える前に手元が大きな衝撃を受け一瞬だけ息が止まる。
「っ、くそ……!」
合わさっていた刀が突然軽くなり、驚いたその時には再び刀を持つ両手に衝撃が走る。びりびりと痺れて仕方がない。
それが何度か繰り返された頃に、突然終わった。
「……ふむ」
「篁様、ありがとうございます」
ふ、と力が抜けた。
名前が刀を鞘に戻したのを見届けて、篁の手から刀が滑り落ちる。痛い。両の手が。
見下ろせば、赤くなっているのが分かる。
腰が抜けて、尻餅をついた。
いまだにびりびりと手が鳴る。
これだから、と心の中で篁は毒づいた。
「はは、どうした篁」
「粧さん、とんでもない化け物育ててるな」
「名前は化け物ではありません。……ですが、そうですね。私も霧の呼吸の使い手だったが、こんなにも使いこなしている者を見たのは初めてですよ」
「……それで、庵。どうだ?」
再び取り出した刀を片手で、空を切っている名前の姿を見て、篁は口を引きつらせた。化け物かよ、ともう一度、今度は口に出さず心の中で呟く。
彼の声に動きを止め、刀身に指を滑らせる彼女は物足りなさが埋まったことによる充足感を得ていた。
これが、日輪刀か。
粧が鞘を名前に渡し、至極色が隠れる。
「完璧にございます。重さも、大きさも長さも。使いやすい」
「その調子なら、すぐに使いこなせるな。それと、これを餞別にくれてやる」
投げられた箱を受け取り、中身を見ると五本の小刀が入っている。
立ち上がり、汚れた箇所を手で払っている篁を見て、名前がこれは、と問うた。
よく、血を吸いそうだと、名前はそれのうちの一つだけを持ち上げて、変哲のないそれを見つめた。
「餞別。お前しか生き残らなかった最終選別を想い、死んでいった奴らの分も生き残れよって刀鍛冶が集まって打った」
「ほう」
「厄除もしてもらった」
「それは良いですね」
「……」
死んでいった者の分を。
小さな声で復唱して、くだらないと捨てた。
死んだ奴らに、未来はない。道はない。先は無い。こういう、意味のないことをするのは何故なのだろう。
名前は、理解不能が詰まった小刀を使うことは無いと思った。弱いから死んだ者達に、自分がしてやれることは一欠片もない。
「有難うございます」
才能があるから刀を振る。他が為に。
そうして刀を握る手は、人の生死に興味のない、誰よりも空っぽな庵名前のものだった。
隙を突く。
頸を落とす。
単調でいて、つまらない動きの繰り返し。
「くそ、くそくそくそくそ!!!!!!」
頸だけになったというのに、よく喋るものだ。
冷たい目でそれを見下ろし、やがて興味を失った名前は背を向けた。僅かに覗く太陽の頭を確認し、七日間に渡る最終選別が終わったことを知った。
会場に着くと、やけにしんとしている。
名前ただ一人だけが、そこに立った。
そうして、名前は、自分だけが生き残ったのだと悟った。
「よくぞ、御無事でありました。残ったのは貴方一人だけでございます」
「そうですか」
「まず、隊服を支給させていただきます。それから──」
眠くなるような、長い長い話。
布団が恋しい。
彼女は、枕が無ければ眠れない質なのだ。
右から左へ、左から右へと流れていく話をもはや子守唄として聴き、眠気眼をぶら下げて空を見上げた。
何人死んだのだろう。可哀想に、弱かったからだ。
再び彼女に声がかかる頃には、目の前で死んでいった同期になる筈の子供達の断末魔も姿も赤い血も、鬼の罵詈雑言全てを名前は忘れ去った。
七日間に及ぶ選別は、名前自身が自覚していた以上に身体に疲労を与えていた。覚束無い足取りで、やっとこさ帰って来たのは、一年もいないが、名前にとって大切な場所だった。
扉を開けると、師匠が座っていた。
目が合うと、柔らかく優しい笑みを顔いっぱいにする。
「戻りました」
「お帰りなさい。怪我はありませんね」
「はい」
「そうですか。霧の呼吸はうまく使えたようですね」
「はい、問題ありません。ただ、刀がやはり軽いかと」
「そうかと思い、もう頼んであります」
やはり、というのは、霧の呼吸の使い手は大振りな刀を持つという特徴があるからだ。
ありがとうございますと、名前が頭を下げると、彼の手がそこに乗った。少し、下がった声の音が悲しいと空気を震わせる。
彼女は何も言わずに、僅かに頭を上げ、未だに乗せられたままの手が頭を撫でることを受け入れた。
「……この度の選別は稀に見ない厳しさだと聞きました。十代の若者達の命が散っていき、残ったのは貴方一人だけだと」
「……」
「よく、よくぞ生き残ってくれました」
「はい。私は、弱くないですから」
弱いから死ぬ。それだけだ。
当然の事象に、悲しみあまつさえ涙を流すことは必要であろうか。
弱いから鬼になった。鬼になり、人を喰ったから屠られる。
単純で簡単な話だ。
彼女の中で明確に確立されている原因結果は、聞く人によると残酷だと受け取られるが、そもそも、名前は誰が死のうが生きようがどうだって良いのだ。鬼も人も、彼女には同じに見えた。
剣の才能がある。だから、刀を振るっている。
呼吸を使うことができる。だから、鬼殺隊に入った。鬼を切ると生きていくための給金がもらえる。ただ、それだけのことだった。
離れていく、自分よりも大きな手の温度を忘れて、名前は悲しそうに微笑む師匠を見つめる。
「……名前、貴方には才能があります。霧の呼吸に囚われず、他のものも試してみてください。必ず上手く使えます」
「承知しました」
「さあ、上がりなさい。風呂に入って、晩御飯を食べよう」
「はい」
久方ぶりの風呂は、身体によく染みた。大きく伸ばした手足が、温かな熱に包まれてぼうっとする。気持ちがいい。
きちんと整った食事も、柔らかな布団と枕も、心地が良かった。
身体を横たえ、布団に潜り込むと、するりと睡魔に襲われる。抵抗することなく目を閉じて仕舞えば、真っ黒な世界が広がりそこで記憶が途絶えた。
才能があるなら、発揮できるところで発揮しろ。勿体ぶるな。人の役に立て。
お前には、才がある。才能は誰にでもあるのではない。意味があるから与えられる。そして、それは己の為に使うのではなく他に使うために神から与えられたのだ。
名前を拾った中年の男がそう言う。お前は、俺を守る為に腕を磨け、強くなれと。
覚えたての言葉を繰り返し使いたがる馬鹿のように、何度も何度も繰り返し男は言う。
私には、才能がある。だから刀を振るう。
豆ができて、硬くなった掌を見下ろしなんと単純なことかと彼女は思った。
弱い者は、強い者に守られないと死んでしまうのか。面倒なものだ。可哀想に。
汚い断末魔を聞き、来てみれば、男が事切れていた。肥えた腹は裂かれ、中身を掻き回され、腕や足が無かったり変な方向に向いていたりしているのを見つめて彼女はそう思った。
ああ、本当に愚かだ、可哀想に。
ぐちゃぐちゃと、汚い音がする。
名前が部屋の中を見渡せば、あちらこちらで人であっただろう異物が転がっている。そうして、目が合った。
「……あら、綺麗な子。まだ生きていた人がいたなんて。気付かなかったわ」
「……」
「可哀想に、こんな汚い男に雇われていたの?大丈夫よ、私が優しく喰べてあげる」
真っ赤な目だ。
綺麗な着物を赤色で汚した女が、口の周りに付いていた目と同じ色を拭き取り艶やかに笑った。
──私の才能は、どこで発揮できるのだろうか。
名前が、ふとこの鬼を前にしてぼんやりと考えたのが全ての始まりだった。真っ赤な目と目を合わせたその時から。
目が覚めた。
目覚めのいい朝だ。
師匠と朝御飯を共に食べ、稽古を見てもらう。
「名前、もっと素早く反応しなければ逆に隙をつかれてしまう」
「はい」
刀が届くまでのこの期間は、こうした日々を過ごしていた。寝て起きて、ご飯を食べて稽古をする。
しかし、それも今日で終わりだ。
稽古後で、昼御飯までの時間を縁側に座りぼうっとして潰していると師匠が名前の名を呼んだ。
「名前」
「はい、何でございましょう」
「刀が出来たらしいですよ。持ってきてくださったからこちらに来なさい」
「はい」
玄関へ行くと、背の高い男が大きな刀に紫色の布をかけて待っていた。
「お前の刀を打った、
「庵名前と申します」
「早速だが、刀を渡す。普通は幾つかの玉鋼の中から選んでそれを打つという形になるが、霧の呼吸の使い手ということで
「はい」
「……ふむ、結構大きいですね」
「普通の成人している男でさえ、持つにはちと重いうえに、振り回すのは難しい。……持てるか、お前に」
試されている。篁は布を取り払い、鞘が付いたままの刀を名前の眼前に突きつける。
持てないという選択肢は、名前の中で一つも無かった。
顔も声も、もう思い出せないというのに、男の声がする。才があるならば、然るべきところで使わなければ。己の為でなく、人の為に。
一呼吸すら置かず、彼女は答えた。
「持てます」
受け取り、鞘から身を引き抜いた。
すると、途端に色がつき始める。
深く深く、黒に潜り込んだ紫があっという間に刀身を染め上げ変わり果てた。
至極色か、と篁が呟き、続けて重いかと名前に尋ねる。
「確かに、私が使っていたものに比べると重いですが、これくらいならば振り回すことは容易かと」
「そうか」
「それにしても、綺麗な至極色ですね。紫の中でも一番綺麗で贅沢な色。名前によく似合います」
「ありがとうございます」
自分が持っていたものとは、全然違う。
重さも、長さも、大きさも。
選抜の時に感じていた物足りなさは、きっとこれで解消されるだろう。
柄を握り、質量を確かめる。
至極色に染まった刀身に反射する自分の顔を見返して、名前は粧を見た。
「師匠、振ってもよろしいでしょうか」
「勿論。……ああ、そうだ。名前、篁と手合わせをするといいですよ」
「は?粧さん、急に何を」
「篁は、多少だが剣をかじっていましてね。一人で振るよりも誰かと打ち合った方がいいでしょう」
確かに、それはそうだ。
ぱちりと目が合うと、あからさまに篁が嫌な顔をして、名前を見下ろす。
存外、顔の変わる男だ。
「篁様、お付き合いくださいますか?」
「……はあ、分かった。先に言っとくが、俺じゃあお前の相手にはならないからな」
「構えて頂くだけで、ありがたいです」
「それくらいならできるか……。分かった」
「よし、じゃあ始めようか」
篁が言われた通りに真剣を構え、立つ。
名前も、彼の真正面に立ち刀を構えた。ずしりと、心地の良い重みを掌で握る。
「動かないからな、俺は」
「はい、分かっております。私も打ち込むだけなので、耐えてくだされば結構でございます」
「篁、名前の刀は重いから気をつけるんだよ」
「ご配慮心痛みます」
「いきます」
踏み込んだ音が、あまりにも軽い。
故に、篁が気を抜いた次の瞬間──
「っぐ!!!!?」
「ほら、篁耐えて」
「おっも、無理です!!!」
「篁様、まだ一回しか打っていません」
「ふざけんなって……!!!」
後ろに飛ばされそうになるのを何とか耐えているだけで、押し返すことが出来ない。ずずずず、と後ろに押される。土を抉りながら後退するのを止められない。
刀が空を裂く音が、いっそ気持ち良いほど軽い。来る、と身構える前に手元が大きな衝撃を受け一瞬だけ息が止まる。
「っ、くそ……!」
合わさっていた刀が突然軽くなり、驚いたその時には再び刀を持つ両手に衝撃が走る。びりびりと痺れて仕方がない。
それが何度か繰り返された頃に、突然終わった。
「……ふむ」
「篁様、ありがとうございます」
ふ、と力が抜けた。
名前が刀を鞘に戻したのを見届けて、篁の手から刀が滑り落ちる。痛い。両の手が。
見下ろせば、赤くなっているのが分かる。
腰が抜けて、尻餅をついた。
いまだにびりびりと手が鳴る。
これだから、と心の中で篁は毒づいた。
「はは、どうした篁」
「粧さん、とんでもない化け物育ててるな」
「名前は化け物ではありません。……ですが、そうですね。私も霧の呼吸の使い手だったが、こんなにも使いこなしている者を見たのは初めてですよ」
「……それで、庵。どうだ?」
再び取り出した刀を片手で、空を切っている名前の姿を見て、篁は口を引きつらせた。化け物かよ、ともう一度、今度は口に出さず心の中で呟く。
彼の声に動きを止め、刀身に指を滑らせる彼女は物足りなさが埋まったことによる充足感を得ていた。
これが、日輪刀か。
粧が鞘を名前に渡し、至極色が隠れる。
「完璧にございます。重さも、大きさも長さも。使いやすい」
「その調子なら、すぐに使いこなせるな。それと、これを餞別にくれてやる」
投げられた箱を受け取り、中身を見ると五本の小刀が入っている。
立ち上がり、汚れた箇所を手で払っている篁を見て、名前がこれは、と問うた。
よく、血を吸いそうだと、名前はそれのうちの一つだけを持ち上げて、変哲のないそれを見つめた。
「餞別。お前しか生き残らなかった最終選別を想い、死んでいった奴らの分も生き残れよって刀鍛冶が集まって打った」
「ほう」
「厄除もしてもらった」
「それは良いですね」
「……」
死んでいった者の分を。
小さな声で復唱して、くだらないと捨てた。
死んだ奴らに、未来はない。道はない。先は無い。こういう、意味のないことをするのは何故なのだろう。
名前は、理解不能が詰まった小刀を使うことは無いと思った。弱いから死んだ者達に、自分がしてやれることは一欠片もない。
「有難うございます」
才能があるから刀を振る。他が為に。
そうして刀を握る手は、人の生死に興味のない、誰よりも空っぽな庵名前のものだった。
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