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 日差しの強さが身にしみる真夏のテニスコート。
今日も、青学テニス部は全国大会に向けての練習に余念が無い。
手塚の怪我等など不幸に見舞われているが、それをカバーしようとそれぞれが、それぞれに厳しい特訓を行い、確実にパワーアップしていっている。

「ふー。あっちぃな。あっちぃよ…。」

 サンサンと輝く太陽の光がキツくて、額に流れる汗を着ていたTシャツで乱暴に拭う。
その声を聞きつけた菊丸が、同意を示す様に声を掛けてきた。

「だよにゃ~。ホント厚くてもうバテバテ~。」

「ハハッ。結構ヤワッスね~英二先輩も~。」

 お気楽そうにそう返せば、すぐさま前を向いて居た菊丸がクルッとこちらを向き言い返してきた。

「何を~そう言う桃こ…そ……っ!!桃っ!!」

 こちらを向き、初めは軽い感じで笑っていた菊丸の表情が、一変して硬く驚きにその目が見開かれ、こっちを見ている。
そんな慌てた様な菊丸の表情を見るのは珍しく、見られている俺自身がビックリしてしまう。

「え…?どうしたんスか…?」

 菊丸の慌てた様な大声に、テニスコートに居た者達が何事かとその声のした方を見て、一斉に凍り付いた。
次の瞬間、わっ!!と言う様に殆どの者が声を荒げている。

「…桃っ!!」

「桃城っ!」

「桃先輩っ!!」

辺りの意気なりの変貌に、名前を呼ばれた自分こそが戸惑う。
一体なんだってんだ?
わっと駆け寄ってくる皆を視界に捕らえつつ、首を傾げる。

あれ?
そういや、何か口ん中が可笑しい。
なんだか鉄の味がする……。
なんでだ?
 鉄なんて食べてねぇのに?
でも、知っている味だ…。
鉄――――
てつ―――――
鉄?
そういや、咳したくなってきた。

「ゴホッ…。」

 手で押さえ咳をする。
手に、なんかヌルッとした感触がする。
何だ……?
 そっと口に当てていた手を開くと、そこには―――――

 真っ赤な血

赤い・赤い……それはとても

澄んだ赤

ああ、これが現実じゃなくて…

夢ならよかったのに………

どうやら俺の砂時計は

限界らしい……


「……ハハ…。あ―あ、なんか…やっぱり……限界みたいっスね……。」

ボツリと呟いたその声は、周りに聞こえたかどうか。

 いつもの様におちゃらけた様に笑顔を見せ、その口から出た血をシャツで拭う。
しかし、拭っても拭っても、後から後から出てくる血は止まらなくて………。
 思わず涙さえも出て来てしまう。

「桃…?」

 そんな様子に周りは、固まったまま動けずに居た。
そんな中一番先に気付き、一番近くに居た菊丸が静かに声を掛けてきた。

「……英二先輩…。俺…もうダメみたいです…。」

「っつ!!」

 微かに笑い、そう言う……それと同時になんだか意識が遠退いていく感覚がする。
頭がフラフラする。
そういや身体もなんかグラグラ揺れている様な……。
 意識を飛ばす前にソッとその姿を探していた人物は、まるで現実が信じられないと言う様な表情で、いつもの様に自分を、そのキツイ眼差しで睨んでいた。
そんないつも通りな表情に、ちょつと安心し微かに笑い掛けるとそのまま俺の意識は途絶えた。
そこからの記憶は無い――――
暗い・暗い闇の中を漂っているだけだった……





 目の前の光景が信じられなかった―――
さっきまで普通に、ごく普通に、いつも通り練習をしていた桃城が、意気なり血を吐いた。
しかも、大量に―――
 その赤さが、まだ脳裏から離れない。
俺は、ただ見ているだけで、何も出来なかった……
アイツが菊丸先輩に何かを言い、そして倒れるまで――――
 その瞬間こっちを……
俺を?
見た様な気がする………
 しかも、微かに笑いながら…
俺には今まで絶対に見せた事の無い様な笑顔で―――
それを見た瞬間、足が凍り、現実が受け止められなかった。
なんで?

どうして?

なんで……

そんな顔で笑うんだよ――――

 そして、アイツが運ばれ救急車に乗せられて去ってからも、俺は…なんとも言えない感情が渦巻き、何も手に付かなかった。
信じたくない……
アイツが…
倒れただなんて―――

これは嘘だ…

夢だ……

そうじゃなきゃ、こんなの…可笑しいだろ……?

アイツが居ないなんて――――

 ギュッと拳を握り締めると、雲一つ無い空を睨み付け、何かに耐えるしかない海堂であった。
風がそんな海堂の頬を流れていく。
暑い、暑い真夏の出来事であった―――――
 その日から桃城は部活に出なくなった……
いや、部活だけで無く学校にも出れていない様だ――――
先輩達が噂をしているのを聞いた。
そして竜崎先生から直に桃城の様態を聞かされる事となった―――
 それは、俄かには信じられないモノで……


『桃城は、不治の病で…もう治療の仕様が無いらしい…。学校ももちろん部の方にも顔を出す事は出来ない状態じゃ。今は病院から出る事が出来ない。皆、それを心して桃城に接する様に…いいな?』


 そんな、信じられない様な…とても現実だとは思えない様な宣告だった―――
詳しく聞くと、元々あまり長くは無かった様だ。
原因不明の病は桃城の身体を蝕んでいて、それは本人も家族も承知していたらしい。
 それでも、テニスがしたい。学校に行きたいと言う桃城のたっての希望により、今まで無理をしながらも来ていたらしい。
そんな素振り一つも見せないで、アイツは過ごして居たんだ――――
 それを聞いて、ますます複雑な心境になった…。
桃城が…病?
桃城が……居なくなる?
桃城が………
死ぬ?
そんな…有り得ない……
 一番、病とか怪我とかに無縁そうなアイツが、まさかそんな病気だったなんて…。
信じられない…
いや、信じたくない…
昨日まであんなに元気だったじゃねぇか…。
なあ…。
嘘だって言えよ…
いつもみてぇに、馬鹿やって、突っかかって来いよ…
何でだよ…
どうして―――
訳の分からない苛立ちが俺の心を占めて、狂おしい……
なんなんだよ…これ……
 その日以来、俺はそんなモヤモヤした想いに囚われる事になる――――
 白いカーテンに、白いベット、白いシーツに、白い寝巻き。
白い腕に、青白い顔……
白い空間に自分一人がポツンと佇む。
あの日、テニスコートで血を吐いて意識を失ってから、気付くと俺はこの『白い箱』、いわゆる病院という奴に入院になったらしい……
しかも数日は、重体扱いだったりした―――
 しかし、意識はそれとは逆にはっきりしている――――
あの日、最後に最後に見たアイツの顔が忘れられない……
驚愕した様な、戸惑った様な海堂の顔―――
あんな顔させたい訳じゃなかったんだけどな……
 アイツは…海堂はどう思っただろう……
話を聞いて、俺が『死ぬ』と聞いて――――

少しは、気にしてくれてっかな?

少しは、悔しがってくれっかな?

少しは、寂しがって、悲しんでくれる?

少しは、その心の片隅に留めてくれる?

少しは…………泣いてくれるだろうか……?


 俺がアイツへの気持ちを自覚したのは、まだ2人とも一年生だった頃だった。
それは、いつもと同じように部活を終えた日の事。
いつもの様に片付け一つ、素振り練習一つで競い合い、気付くと辺りは真っ暗で、周りに居た同級生達も居なくなっていた。
 結局、残ったのは2人だけで、さっさと着替えると帰宅に着いた。
俺とアイツ…海堂は、実は結構家が近い。
その為、帰り道は自ずと同じになってしまうのだ。
 その日は珍しく、何故か一緒にその道を歩いていた。
ただ、その雰囲気は重苦しく、沈黙か漂っていたが……。
 いつも軽口を聞きベラベラと余計な事まで喋りまくる自分も、相手が海堂となると、気軽に話しかけられない。
っと言うか、こんな風に2人っきりになる事も殆ど無かった為、何を話したらいいか分からず戸惑っていたのもある。
 海堂は海堂で何も言わず、こっちを見ることも無くただ目の前を見据え歩いている。
だったら別々に帰れ…という物だが、なんだか互いにそんな気も無く…この状況に留まっているのだ。
 元来、沈黙に耐える事の出来ない性格の桃城は、チラチラと海堂の様子を伺っていた。
それをアイツも気付いていると思うのだが、それでも海堂の表情が変わる事は無かった。
はぁ…と知らず知らず溜息が零れた。
戸惑いから、ついつい口から出てしまったのだ。

「………何だよ?」

「へ?」

 今まで黙っていた海堂が何かを言うのが聞こえた。
そちらに顔を向けると、自分を見て微かにムッとしている海堂が居る。

「…………溜め息…。」

「…………あ?…悪ぃ。」

「………別に……。ただ、気になった。…嫌なら、さっさと先帰れ…。」

「…っ!誰が嫌っだってんだよ?お前こそ、嫌なら帰れよ。」

「………んな事言ってねぇ…。」

「………………。」

 ボソッと呟く海堂を見れば、その頬は微かに赤くなっている様に見える。
ちょっと意外な反応に、一瞬呆けて何も返す事が出来なかった。
ジーッとそんな様子を見ていると、居心地の悪さを感じたのか、海堂がキッと睨み付けて来た。

「……何か言えよ…。」

「あ…いや…。」

 ジッと見ていた事が罰が悪く、歯切れの悪い言葉を返すと、頭を掻く。
なんか不思議だった。
いつもは喧嘩しかしないコイツと、こんな会話をしている事が。
 なんだか暖かい……。
 変な気分だった。
そして、まだ何か言いたげな海堂だったか、それ以上口を開かず黙ってしまった。
それを見届け、静かに2人歩く…。
なんだか声を聞きたいと唐突に思い。
口を開いた。

「…おい、かい…どう……?おいっ!!」

 俺の言葉は、海堂の行動によって遮られた。
今までの俺の隣に居た海堂は、サッと駆け出したかと思うと、道路に飛び出しサッと何かを抱えていた。
俺は呆然と一連の行動を見ているしかなかった。
少しして、俺の所に戻ってきた海堂の手には、真っ赤な血が身体中にこびり付いた、小さな、小さな子猫が抱えられていた。
 一目で分かる。
もう、動いていない……。

「…こりゃ、酷ぇな…。たくっ!誰だよ、こんな事すんのっ!!頭るなっ!」

「……………。」

 俺がそう怒りのままに畳み掛ける間中、海堂はただじっと黙ったままその子猫を撫でて居た。
自分の制服が血に染まるのも構わず、その身体に付いた血を拭いとる様に……。
 その手は、優しく…暖かく、子猫を撫でている。
何も言わない海堂が気になり、そっと呼び掛ける。

「………海堂?」

「……………。」

 それにも、返る言葉は無い。
いぶかしんでその顔を覗き込んだ俺は、一瞬我が目を疑った……。
 海堂が、あの海堂が…静かに涙を流していた。
その口からは、引っ切り無しに嗚咽が漏れている……。
俺は、その瞬間―――――
コイツに、海堂 薫に…

 恋に落ちた――――

 子猫の死をまるで自分の事の様に受け止め、涙を流す……
そんな純粋な心に触れ、俺は言い様の無い嬉しさを感じたのだ。

ああ、俺が認めたライバルは、こんなに優しい奴なんだ……
ああ、俺がいつも喧嘩していた相手は、こんなにも…こんなにも心が綺麗なんだ………
俺が、俺が恋に落ちた奴は…
こんなにも、暖かい奴なんだって――――


「海堂…一緒に埋めてやろうぜ?」

 俺がそうっとそう促すと、海堂はコクリと頷き、俺の後ろに付いて歩き出した。
帰り道に在る公園の奥の雑木林に辿り着くと、そこに2人で穴を掘り、子猫を埋めてあげた。
 一緒に手を合わせながらも俺は、隣で手を合わせる海堂を気付かれない様に見ていた。
 海堂は、静かに…ただ静かに手を合わせている。
子猫の死を悼んで……。
まるで、それが自分の所為であるかの様に……。
 その頬には未だ乾かない涙の雫が筋を作っている。
ホントに…こんな奴が居るなんて…。
しかも、あの普段誰からも恐れられている海堂が、こんなにも優しい事を、きっと俺しか知らないだろう…。
 コイツなら…もしかして…。
 コイツなら……泣いてくれるかな…。
 コイツが、泣いてくれたたら良いな。
でも……泣かれたくない―――
 自分の為に泣いて欲しい…しかし、それと同時に泣いて欲しくないと言った複雑な感情が桃城を包んだ。

 分かれ道、一人歩く海堂を…ただ静かに見送る――――
暖かい想いと、悲しい想い…そして少しの冷酷さを含んだ複雑な心を持て余しながら。
その時、桃城は自分の生命の短さを既に知っていた。
そして、それにより…この恋が嬉しくもあり、また辛いものであると実感したのだ。
 その日初めて桃城は、自分の運命を呪った―――
死にたくないと…本心を明らかにし、辛く感じた夜だった――――


 それからは、この気持ちをずっと隠しながらアイツに接してきた。
何度伝えたいと思ったか分からない…でも、言えなかった―――
それでも、アイツの…海堂の側に居られる事が何よりも嬉しく……生きる気力になっていたのは嘘じゃない………。
 でも、それも先日倒れた事で終わってしまったけれど……。

「……海堂…。」

 窓の外、今は部活中であろうかの人を想う――――
会いたい…
会いたい……
でも…会いたくない……

「どうして……俺なんだよ…。」

それは、心が上げた悲鳴だった―――

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