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振り向けばアクマ
2020/05/23 12:48適当
こいつはいつもわたしのあとについてくる、とても変な生き物だった。わたしがはじめてのキスをしたときも、つき合っていた男に振られたときも平気な顔をしてそこにいた。
何なのよと言ってもこいつは言葉を発しない。黒い全身タイツにぽっかり開いた顔の部分はほとんど困ったような表情だった。でも、「変な顔」と言ってやれば、眉を八の字のにして、瞳をうるませた。
しかも、こいつの存在はわたしにしか見えないのだという。周りがからかっているのかと思いきや、おばあちゃんがふつうに黒タイツの上に座ったのを見て、確信した。こいつはわたしだけしか見えないと。
こいつとの関係に飽き飽きしてきていた頃。バイトの帰り道。辺りは真っ暗。後ろを振り向くと、闇に同化した黒タイツの姿があった。声が届くくらいの絶妙な距離感にむしょうに腹が立った。いつまで人の後ろをつけてくるつもり? どうせなら隣に並んでくれればいいのに。
足を止めれば、黒タイツもちゃんとその場から1歩も動かない。
「あんたね、いつもついてきてんじゃないわよ! 何か言いたいことがあるならはっきりしなさいよ!」
空しい声を拾ってくれるわけもなく、困ったような八の字の眉がまた人をイラつかせる。わたしがおかあさんに折檻されているときも何にもしなかったこいつ。ただただ目をうるませながらわたしを見ていただけだった。
ようやく、おかあさんの手からおばあちゃんのもとへ行ったときもついてきた。はじめて失敗を笑って許してもらえたときもこいつはいた。誕生日ケーキならぬ、誕生日ようかんを見て、涙がこらえきれなかったときも隣にいた。
だけど、こいつにからむだけ時間の無駄だ。夜も深いし、早くシャワーを浴びたい。わたしはこいつを極力視界に入れないように踵を返した。そこから歩き出そうとしたのだけど、背後から物音がした。後ろを振り向く前に首に腕がからみついてくる。
「やっぱり、ぼくのことを気づいていたんだね」
えっ? 嘘。わたし、つけられていたの? 冷たい刃が首筋に当てられる。密着した男の体を離したくてもナイフがわたしの行動を封じる。黒タイツはわたしを助けてくれない。きっと、見ているだけだ。
「何よ、最後くらい助けてよ。わたしが何をしたっていうのよ!」
「わけがわからないことを言うな! 黙れ!」
わけがわからないのはこっちだ。犯人はわたしの口を無理やりふさごうとする。そのとき、黒タイツが近づいてくる気配がした。猫背で困ったような情けない表情をしながらこちらに寄ってくる。人が死ぬのを目の前で見たいのだろうか。本当に趣味が悪い。
黒タイツの手がわたしの頬を優しく包む。はじめて触れたのに感触はなかった。何をするの?
そのとき、唇が動いた。「大丈夫」とわたしには聞こえた。すぐに意識を失ってしまった。
ふたたび目を開けたとき、わたしは白い世界にいた。かたわらには黒タイツが相も変わらず、困ったような顔をしている。おばあちゃんの尻に敷かれたまま。
あのときと同じだ。わたしが折檻されて意識を失ったあと、おかあさんは病に倒れた。その後、運よくおばあちゃんと暮らすことになった。
おそらく、わたしに襲いかかった男は、おかあさんと同じ未来をたどった。黒タイツの男はわたしを見る。代わりばえのしない表情がはじめてゆるめられた。
おわり
何なのよと言ってもこいつは言葉を発しない。黒い全身タイツにぽっかり開いた顔の部分はほとんど困ったような表情だった。でも、「変な顔」と言ってやれば、眉を八の字のにして、瞳をうるませた。
しかも、こいつの存在はわたしにしか見えないのだという。周りがからかっているのかと思いきや、おばあちゃんがふつうに黒タイツの上に座ったのを見て、確信した。こいつはわたしだけしか見えないと。
こいつとの関係に飽き飽きしてきていた頃。バイトの帰り道。辺りは真っ暗。後ろを振り向くと、闇に同化した黒タイツの姿があった。声が届くくらいの絶妙な距離感にむしょうに腹が立った。いつまで人の後ろをつけてくるつもり? どうせなら隣に並んでくれればいいのに。
足を止めれば、黒タイツもちゃんとその場から1歩も動かない。
「あんたね、いつもついてきてんじゃないわよ! 何か言いたいことがあるならはっきりしなさいよ!」
空しい声を拾ってくれるわけもなく、困ったような八の字の眉がまた人をイラつかせる。わたしがおかあさんに折檻されているときも何にもしなかったこいつ。ただただ目をうるませながらわたしを見ていただけだった。
ようやく、おかあさんの手からおばあちゃんのもとへ行ったときもついてきた。はじめて失敗を笑って許してもらえたときもこいつはいた。誕生日ケーキならぬ、誕生日ようかんを見て、涙がこらえきれなかったときも隣にいた。
だけど、こいつにからむだけ時間の無駄だ。夜も深いし、早くシャワーを浴びたい。わたしはこいつを極力視界に入れないように踵を返した。そこから歩き出そうとしたのだけど、背後から物音がした。後ろを振り向く前に首に腕がからみついてくる。
「やっぱり、ぼくのことを気づいていたんだね」
えっ? 嘘。わたし、つけられていたの? 冷たい刃が首筋に当てられる。密着した男の体を離したくてもナイフがわたしの行動を封じる。黒タイツはわたしを助けてくれない。きっと、見ているだけだ。
「何よ、最後くらい助けてよ。わたしが何をしたっていうのよ!」
「わけがわからないことを言うな! 黙れ!」
わけがわからないのはこっちだ。犯人はわたしの口を無理やりふさごうとする。そのとき、黒タイツが近づいてくる気配がした。猫背で困ったような情けない表情をしながらこちらに寄ってくる。人が死ぬのを目の前で見たいのだろうか。本当に趣味が悪い。
黒タイツの手がわたしの頬を優しく包む。はじめて触れたのに感触はなかった。何をするの?
そのとき、唇が動いた。「大丈夫」とわたしには聞こえた。すぐに意識を失ってしまった。
ふたたび目を開けたとき、わたしは白い世界にいた。かたわらには黒タイツが相も変わらず、困ったような顔をしている。おばあちゃんの尻に敷かれたまま。
あのときと同じだ。わたしが折檻されて意識を失ったあと、おかあさんは病に倒れた。その後、運よくおばあちゃんと暮らすことになった。
おそらく、わたしに襲いかかった男は、おかあさんと同じ未来をたどった。黒タイツの男はわたしを見る。代わりばえのしない表情がはじめてゆるめられた。
おわり