ヤメ騎士さんとわたし

第5話『居場所』


 夢なんて最近、見ていない。仮に見ていたとしても、覚えていることは少ない。目が覚めた瞬間に、動き出した時間に負けて消えていくのだ。いちから思い出そうとしても、はじまりがわからない。だから、どこから記憶をたどればいいのかもわからない。

 そんな調子なのに、今回は珍しく覚えていた。目を覚ましたとき、鮮明に頭のなかに浮かべることができた。

 夢はこうだった。

 わたしはベッドの上で誰かの帰りを待っていた。分厚い本を読みながら、その時をじっくりと待っていた。しかし、本を読んでいる最中に咳が出る。どうやら、病らしかった。咳が止まっても、ベッドの上で本を読んだり、窓の外を気にしたりするくらいしかなかった。

 夕闇が迫ってきて、ベッドの上の毛布を赤く染める頃、わたしの気持ちはどん底だった。横を向いて窓から眺めても、馬車はやって来なかった。長いため息を吐く。そして、諦めるように瞼を閉じる。「また、来てくれなかった」と、心のなかで恨み言を唱えるのだ。

 もう何もする気が起きない。夜には早いけれど、本を閉じて、わたしは眠ることにした。無理やり瞼を閉じて、次の朝が来るのを待つ。もしかしたら、明日こそ、待ち人が来るかもしれない。

 馬車でなければ、馬のひずめの音を鳴らして単独でやって来るかもしれない。早めに目を覚まして、起きた状態で待っておきたい。

 でも、心のどこかで諦めてしまっている。あの人は忙しい人だ。責任感の強い人でもある。投げ出してまで来てくれるわけがない。あの人にとって、わたしはその程度の位置にしかない。涙に溺れるように闇がにじんでいき、瞼を閉じたところで夢は終わった。

 ふたたび瞼を開けた時、自分が泣いていたことに気づいた。目尻から頬にかけて伝っていった涙を拭う。悲しい夢だった。まるで自分が体験してきたかのように、鮮やかな光景と痛みだった。でも、確かに現実ではない。わたしは病ではないし、待つような人もいない。わたしではなかったとしたのなら、誰の視点の夢だったのだろう。

 せめて、鏡でも見れば、顔が確認できたかもしれないけれど、夢のなかの部屋には無かった。ただ、夢のわたしはその後、どうなったのか。手がかりは何にもなかった。

 これ以上は説明が考えても仕方ない。差し迫る現実の問題のほうに、意識を向けることにした。

 眠る前と同じくぶかぶかのシャツを着ているわたし。毛布をはいでみると、腰にはシーツが巻きついている。胸の辺りを触ると、さらしの感触もあった。暖炉の前で寝てしまったところを、ロルフさんがベッドまで運んできてくれたのだろう。とりあえず、現状は眠る前と少しも変わっていなかった。

 デカいベッドはわたしが占領してしまったけれど、ロルフさんは周辺にはいなかった。どこにいるのだろうか。あの大きな体が収まる場所なんてあるのだろうか。気になって、ベッドから足を下ろした。

 暖炉の前のソファーで大きな体を見つけた。腰をかけて、肘掛けに頬杖をついている。呼吸に合わせて、規則的に肩が上下している。どうやら寝ているらしかった。

 ロルフさんの寝顔に興味がわいて、正面に回りこむ。髭まみれの顔、青い瞳を見ることはできないけれど、安らかな寝息を立てている。シワも少なくて、髭さえなければ、もしかしたら印象より若い人なのかもしれない。

 顔を寄せていると、青い瞳とばっちり目が合った。まあるい目の奥にわたしが映っている。焦点が合っていないのは、まだ、寝ぼけているのかもしれない。年上の男の人を可愛らしいと思うのはおかしいのだろう、たぶん。

「セーラ」

 起き抜けのかすれた声が低く鼓膜を震わせてくる。寝起きの男の人(しかも他人)を意識して見たのは初めてだった。顔が熱を持ってくる。遅れて、顔を寄せている自分が恥ずかしくなった。ロルフさんが変に思っていないというけれど。慌てて飛び退くと、床が思ったより大きく軋んだ。

「お、はようございます」

 そう言うのがやっとだ。顔をそらして、もう一歩だけ後退して、ロルフさんから離れた。

「セーラ」

 二度目は普通の響きで、大丈夫だった。ロルフさんも完全に目が覚めたのだと思う。こちらをしっかりと捕らえている。わたしも頬の熱がひいてきて、真っ直ぐ顔を合わせられた。

 「ん」とロルフさんが差し出してきたのは、ブラウンのパンツだった。しかも、昨夜、ロルフさんが縫っていたものだ。受け取って広げてみると、ウエストが絞られていて、丈も短くなっている。もしかしなくても、ロルフさんはわたしが着られるように直してくれたのだ。

「あ、りがとうございます」

 嬉しいのは嬉しいのだけど、ロルフさんからもらいすぎていないか、と不安になる。今の自分には何も返すものがないのだ。お金も何にもない。身一つしかないのだ。

 感謝というより、「ごめんなさい」と言ってしまいそうになる。だけど、「ごめんなさい」では相手の好意を台無しにしてしまうだろう。言葉は通じないけれど、前向きに「ありがとうございます」を選んだ。

 もらったものを大事に抱き締めて、わたしはベッドの方に逃げた。腰に巻きつけていたシーツを足下に落とし、パンツをはく。贅沢を言えば、替えのショーツも欲しい。そんなことをロルフさんに言う気はまったく起きないけれど、この古いショーツだけでは心もとない。買い物ができればいいのに、と思ったら、たくさん疑問が浮かんだ。

 森の近くに街などはあるのだろうか。街から、わたしの知っている土地に戻れる方法があるのかどうか。知りたいことが山ほどある。どうにかロルフさんにたずねられないだろうか。しかし、言葉がわからない現状では無理だと思った。

 パンツでお腹を隠してはみたが、かなりへこんでいた。それもそうだ。朝ごはんを食べていなかった。一番は、この家にどのくらいいていいのかだ。もし、今すぐ出ていってほしいとされたら、ひとりで森をさまよわなくてはならないかもしれない。ロルフさんみたいに狩りをして、過ごすのかと思ったら、突然、恐くなった。

「セーラ」

 ロルフさんの声がする。おそらく、一夜を安全に過ごした限り、わたしには女の魅力はない。ロルフさんも趣味ではないはずだ。だとすれば、生活において役に立つことを証明しなければならない。何をと言われてもすぐには浮かばないけれど、早く見つけなければ。

 今はロルフさんの声のもとに急ぐ。わたしの居場所はまだ、決まっていないのだから。
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