ヤメ騎士さんとわたし

第45話『闇の玉』


 階段を上ってくる足音に気づいて、ダリヤが後ろを振り返る。今まさに、階段をのぼってくる人の姿が見えた。哀れな弟子が言っていた「先生」と、それを取り囲む魔術師の一団だった。

「せ、先生!」

 魔術師の弟子は、動きの取れない体を芋虫のようにうねらせた。

「お助けを!」

 おじいさんは哀れな弟子を見ても顔色を変えなかった。しわくちゃな顔はお城にいた時よりも白く、血の気がなかった。まるで、死んでいるみたいに。

「お前は何度もしくじってきた」

「そ、それは、も、申し訳なく」

「謝罪は聞き飽きた。もはや、お前の存在はこの聖魔術師協会に必要ない」

 おじいさんは自分の胸の前で拳を広げる。手のひらにできた闇の口は呼吸するようにわずかに大きくなったり、小さくなったりした。

 おじいさんが呪文を唱えると、闇の口から玉ができる。玉の周りから黒いもやが出ていた。今まで見てきた炎や氷の魔法とは違う。ダリヤさえも扱わない、闇の魔法なのかもしれない。

 弟子の悲鳴が先か、身動きの取れない腕に玉がぶつかったのが先か。爆発が起きた。煙で辺りは隠された。けれど、横からの風が煙を消しにかかった。

 ――「うそ……」

 自分の目を疑ってしまう。煙のなかには何もいなかった。先ほどまでいたはずの人がいない。魔術師の弟子は悲鳴とともに姿を消した。魔法を受けていなくなってしまった。「いなくなってしまった」と言ったけれど、おそろく亡くなったのだと思えた。

 隣にいたリージヤが悲鳴を上げる。頬に手を当てて、足をばたつかせた。

「なるほど、素晴らしい力だ」おじいさんは確かめるように自らの手を表にしたり、裏にしたりして眺めた。

「その力は……」ダリヤはそこで言葉を切る。

「魔女よ、礼を言うぞ。魂との融合、なんと素晴らしいことか」

「あいつと融合したってわけか」

「ああ、お前が最期に呪い殺した男を融合するのは思いの外、たやすかった。この男もお前を心底、恨んでいた。魔女を滅ぼすなら、力を貸すとな」

「そうか、あんたのなかには、あいつがいるんだね」

 めずらしくダリヤは動揺しているようだった。顔をうつむかせ、堪えるように眉を寄せる。わたしは心配になった。大丈夫だと思いたいけれど、ダリヤを取り巻くこれまでの人たちは、おばあさんと故郷の村人以外、やっかいだった。ダリヤを騙し、痛めつけてきた。

 しかし、ダリヤは口を開き、大笑いした。

「ははは」

 堪えてきたのは、笑いだった。久しぶりの笑い方に「まったくはこの人は」と呆れてしまう。わたしの心配を返してほしい。わたしはまだ、ダリヤを知らないらしい。今もわからない。

「これで、あんたを倒す口実ができたよ。手加減なくやれる。セブラン、こいつ以外を任せていいか」

「ああ、任せろ」セブランさんは魔術師の一団に切りかかった。構えていなかった魔術師たちは、次々とやられていく。

 ダリヤとおじいさんは、にらみあった。ふたりだけにしかわからない空間が広がる。わたしも口を出せなかった。息が詰まってくる。息を吐き出したのはどちらが先だっただろう。ダリヤの大きく作られた炎が風を切って飛んでいく。闇の玉が炎をかき消す。それを何度か繰り返し、ダリヤは止めた。

 いつかのように赤い唇から息を吐くと、手のひらの上の炎がぼうぼうと音を立てていく。火の背が伸びて、ダリヤの顎につくくらいになった。

「受けとめてごらんよ」

 ダリヤは声を張り上げて、両手を高いところから振り下ろした。大きくなった炎は速度を上げ、進めば進むほど膨らんでいるように見えた。

 おじいさんの余裕な笑みは消えた。頭を横に動かしはじめる。その目はダリヤを見てはいなかった。まるで、自分の中の誰かと見つめ合っているみたいに。

「ぐっ、よせ。なぜ、今になって」体をよじる。

 おじいさんの体の中で何か起きているのかもしれない。とうとう、うずくまっているところを炎が直撃した。おじいさんの周りをも爆発は巻きこんだ。

 広場の石畳は衝撃でえぐれた。もはや、おじいさんは炎と爆発によって、無事では済まなかったのだと、わたしは思った。ダリヤが人を殺した。わたしの体で。

 静かな時間が流れた。セブランさんと騎士のふたりが振るう剣の音も止んだ。皆、煙の先に注目しているようだ。

「ふははは!」煙の中から笑い声がした。今度は耳を疑ってしまう。闇色のローブ、とんがり帽子は後ろに落ちて、少し火が残っていた。

 おじいさんの顔はしわくちゃなままだったけれど、ますます黒く凶悪に見えた。

「やっと、会えたね」この言葉は恋愛映画で使われそうなもので、こんな戦いのなかには似合わなかった。

「できれば、会いたくなかった。会わなければ、きみを殺さずに済んだのにね。俺を殺したきみを」

「ふっ、どの口が言ってんだか。はじめに、わたしを裏切ったのはあんただろう。あんたがわたしをはめたんだ。殺したんだ」

「いや、裏切ったのはきみが先だ。唯一、きみだけは俺を裏切らないって思っていた。なのに、きみは言ったんだ。魔女をやめると言った。だろう? そんな裏切りを、許せるわけがない。いっそのこと、死んでほしいと思ったよ。だから、こいつらをそそのかした。きみの力は協会にとって害にしかならない。むしろ、その力を利用して、国を脅したらどうかと進言した。あっという間にきみは捕まり、処刑された」

 男は笑っていた。ダリヤが処刑されたと言ったときも、笑っていたのだ。

「死んでもあんたは変わらないようだねぇ。ここからは本気で行く」

「ああ、俺も」

 ふたりはふたたび向き合った。どちらも自分の体ではないことが気にかかるけれど、今さらわたしもつっこめない。できるのは、ふたりの戦いを見守ることだけだろう。
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