毛玉とゆうしゃ

終 毛玉のまるみ

 人間の手がさまよいはじめる。きっと、何かの感触を求めているんだ。それならとわたしは人間に近づいた。人間の手がわたしの丸い体に触れる。ちょうど、お腹より上の部分。そこは少しだけ丸みが大きい。人間はその丸みに触れたとき、慌てたように手を引っこめた。

「す、すまん」

「なぜ、謝るの?」

「きっと、さっきのは、その、きみの胸だったのだろう」

「うん」

「すまん。俺にはこういう免疫がないのだ。勇者として生きてきたばかりに普通の男が経験することをいまだに未体験で……」

 人間はぶつぶつと変なことを言っていたけれど、わたしはもっと大事な話に驚いていた。

「あなた、人間。そして、勇者?」

「あ、ああ、勇者なんてものになったおかげで、愛しいサリアにも愛を告げられなかった。相手は神子で、愛を告げたとしても結ばれることはなかっただろうが」

「なんて!」

「おい、どうした?」

「わたしったら、なんてことをしてしまったの! 人間を助けただけでも大変なのに、魔王様と敵対する勇者を助けてしまっただなんて! この罪は大きい。わたしのからだのように膨らんで破裂して後に残さなければいいのに!」

 どうも、心の声を口に出していたらしい。勇者はなぜか、落ち着きもなく、拳を握っていた。

「きみはからだがふくらむのか? そして、破裂すると、消えてしまうのか?」

「そうよ。おとうさんもおかあさんもからだが破裂して死んだの。大きくなりすぎてね。でも、悲しいことじゃないの。生まれた物質はいずれ消える。魔王様もそうおっしゃってる」

「きみは本当に、破裂してから後に残さないと言えるのか」

「え?」

 そんなの、残るわけがないと断言できるはずだ。わたしのおとうさんもおかあさんも何にも残してはくれなかった。勇者はわたしの毛に手を伸ばし、軽く触れた。

「きみは俺を救ってくれた。女神だ。きみは残る、少なくとも俺の心のなかに」

 勇者の言葉は嬉しかった。わたしが消えても誰かが覚えていてくれたら、後に残るってことだから。たとえ、今、勇者がわたしの胸を掴んでいたとしても、許さなければならない。

「勇者、ありがとう。でもね、そこ、胸だからね、わたしの」

 そう教えたあとの勇者はおかしかった。目が見えていないはずなのに、自分の手元に顔を向けたあと、「うわっ」と飛び上がった。そんなに驚かなくてもいいと思うけれど。

「あ、そうそう。毒が完全になくなるまで、ちゃんと吸ってあげるからね」

 わたしは善意で言ったのに、勇者はなぜか気絶してしまった。

おわり
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