すべての元凶はあなた

第34話『助けて』

 神殿の応接間のような場所に通されると、ウィルは明らかに顔をしかめた。後ろに控えていたミアさんも「ひどいですわ」と呟く。

 確かに、そう呟きたい気持ちはわかる。部屋にあるソファー、テーブル、棚、じゅうたんにいたるまであらゆるものに埃がついている。色濃く残った埃は、まったく払われたことがないはずだった。

 こんな埃まみれのソファーに座りたくない。慣れているはずのフィデールさんすらも、奥の壁に寄りかかっていた。

 さすがのウィルも耐えかねたのか、「ミア」とだけ声を発する。

「承知しました。この調子ですと、救い主様のお部屋も埃だらけでしょう。すみやかに掃除をはじめます」

「頼む」

 ウィルの命令を受けて、ミアさんは早々に部屋を立ち去った。いつもは穏やかなミアさんは、部屋を出る時までフィデールさんをにらむことを忘れなかった。

「ったく、あの女は相変わらず可愛いげがねえな」

 それでも、答えとは裏腹に、口元はゆるんでいるように見えるのは、気のせいだろうか。

「すべてはお前が悪いのだろう」

「悪いとは思ってる。だが、時効だろう。何年も前のことをネチネチと。まだ根にもっていやがる。逆にお前には大分、なついているようだがな」

 どうも、フィデールさんとミアさんの間には何かがあったようだ。気になったけれど、ふたりは詳しい話をしてくれない。こういうとき、言葉が話せたらいいのに。

「そんな話はどうでもいい。フィデール、神殿が襲撃されたことは知っているな。あいつらが救い主を狙っている」

「大方、お嬢さんを利用して、神殿をいいように扱おうって訳か。それもこれも、お前が召喚なんて禁呪に手を出した報いだろ。大人しくしてりゃあ、目をつけられなかった」

 「……あれは」と言葉を切ってから、ウィルはたっぷり時間を使った。もったいぶりすぎてフィデールさんがあくびをしてしまう。わたしをちらっと見てきたのは気のせいだろうか。

「本当は禁呪を完成させる気はなかった。頃合いを見て、他の誰かを救い主に仕立てるつもりだった。だが、召喚の途中に声が聞こえた。『助けて』と」

 「助けて」?

「召喚はそのものを捕らえるために意識を飛ばす。飛ばした先に、ちょうどこいつがいた。水のなかに沈んでいた。いつ息絶えてもおかしくないほどの状況だった」

 ウィルはわたしを見ていたけれど、そんなことは気にならない。脳内が混乱していた。水のなか? 沈む? どれも身に覚えがない。

「その手を掴み、引き上げた時、こいつが台座の上に横たわっていた」

「じゃあ、お前が引き上げなきゃ、このお嬢さんは死んでたってわけか」

「おそらくはな」

 信じられない。わたしが死にかけていて、それを助けたのは、ウィルだという。「助けて」と言ったのはわたし。ウィルはわたしの命の恩人だったということ? 命の恩人を恨んでいたの?

「その後は、救い主として利用することにした。一応、帰られては困るから、記憶も封じこめておいたが……」

 衝撃だった。命を救ってくれたのはありがたいと思う。でも、記憶が無くなったことで、どれだけ心細いかわかるだろうか? 自分は何者なんだろう? 好きな食べ物は? 大切な人は? そんなささいなことを思い出せない日々が苦しかった。

 それもこれもウィルのせいだったんだ。すべてのはじまりがわたしの「助けて」だとしても、大事な人の記憶を忘れてしまった。忘れてはいけない人たちだったのに。感情が押さえきれずに、わたしは気持ちのままウィルの肩を殴った。

「怒っているのか?」

 言葉が話せなければ、わかってもくれない。悔しくて泣けてくる。ウィルの手がわたしの頬に伸びる。涙を拭ってくれようとしているのか。そんな優しさ、今は必要ない。わたしはウィルの手を払いのけた。

「本当に最低」

 ウィルなんかもう知らない。今は顔も見たくない。声も聞きたくない。わたしはふたりを見る余裕もなく、部屋を飛び出した。
34/62ページ
Clap