ヤメ騎士さんとわたし

第33話『大鍋のなかで』


 魔女の部屋は、とにかくごちゃごちゃしていた。壁には図と文字が描かれた紙が貼られている。これは、あらゆる呪文のはじまりを表しているらしい。ダリヤの記憶で読み取ると、大体わかった。

 ダリヤの頭のなかはどうなっているのだろう。どれくらいの呪文が頭に入っているのだろう。少なくとも魔女を突き詰めた人だということはわかった。

 魔女といえば、大鍋だ。部屋の真ん中にどかっと豪快に置かれている。今は煙もなく、空っぽだった。きっと、この大鍋をかき混ぜて、色んな薬品を作ってきたのだろう。様々な色の薬瓶が、列を作らずに立っていた。

 換気のためなのか、壁の上の方にダクトみたいな穴が開いていた。

 部屋の奥には扉があった。扉には円と星が描かれた紙が貼られている。特別な部屋に繋がっているのだと思った。

 ダリヤはテーブルにのっていた本や紙を適当に落とした。そこに新たに棚から引っ張りだした本を積み重ねていく。タイトルは『空間の歪み生成』とか『異界往還方法論』とか、やたら長かった。丸まった羊皮紙(?)もいくつか転がっていた。

 これだけあっても、ダリヤが何をしようとしているのか、掴めなかった。掴めたとしてもはっきり言葉で聞かない限り、予感でしかない。わたしが一方的にそう思いたいだけかもしれない。期待した分、裏切られるのが恐かった。

 ――「何をするつもりなの?」

 これを聞くまでに、かなり時間がかかった。

「今一番、あんたが興味あることだと思うよ。空間の歪みを作り出し、異界を自由に往還する方法を、わたしはずっと研究していたんだ。もとは、ばあさまがやっていたんだけど。ばあさまが死んだ後をわたしが引き継いだ。結局、わたしも生きている間には完成しなかった」

 少しずつわたしの知りたい話に近づいてきた気がする。

「死んで魂だけになったときに、色々思いついたことをさ、あいつらに伝えた。まさか、成功するとは思わなかったけどね」

 ダリヤは「ははは」と軽く笑った。

 ――「何、笑ってるの!」

 わたしとすれば、笑える話では絶対にない。下手したら、無事で済まなかったかもしれなかったのだ。思いつきで伝えて、わたしはこの世界に呼び出された。前の人もそうだったらしい。

 唯一良かったのは、失敗が少なかった点だ。ちゃんと、わたしの姿を保ったまま、ロルフさんに拾ってもらえた。拾ったというより、ついていったのだけれど。それだけは評価してもいい。本当に“それだけ”。

 ダリヤは羊皮紙に目を通した後、「行こうか」と、奥の扉のノブを回した。部屋のなかは、窓はなく、薄暗い。背の高いトーチが円を描くように設置されている。台座がふたつあり、お城で見た儀式部屋のようだった。小型の台座には、短剣とお香用のつぼがある。大型の台座は人が横たわれるくらいの長さがある。上には布がかかっていた。

「ここであらゆる儀式ができる。もし、あんたが帰りたいっていうなら、今すぐ帰してやれるよ」

 どこに? なんてとぼけるつもりはない。ダリヤはわたしを元の世界に戻してくれるといっている。本来なら喜んで、「帰りたい」と言わなくちゃいけない。それなのに、なぜ、戸惑っているのだろう。大きな背中が頭にちらつくのだろう。でも、何か答えなくちゃと言葉を探す。

 ――「わたしは……」

「と、言いたいところだけど、今は無理だねぇ。人手が足りないし」

 おい。こっちは真面目に考えていたところだった。だけど、助かった。結論が出なかったからだ。

「何より、まだ、その時ではないっていうかね。わたしがセーラの体を使っている以上、どうなるかわからないし。セーラもそう感じているんだろ?」

 そうだった。わたしは魂だけで存在している。いつまでダリヤが支配したままなのだろう。

「わたしにもよくわからないけど、あんたが完全に消えたわけじゃないから、戻すことはできるだろうよ」

 魂は残っている。こうして、感情も意識もある。「方法はわからないけどね」と、また、笑うから「笑うところじゃないから!」と言ってやった。

 儀式部屋を出たダリヤは、しばらく魔女の部屋で本を読みあさった。でも、1冊に対して取る時間は短い。ぱらぱらとめくり、数秒ページに目をこらしている程度で、本を閉じる。それを繰り返した。

 ――「それで読めているの?」

「ああ、ここにある本の目次は全部、記憶しているからね。後は必要な部分を読めばいいのさ」

 ここの本の数を考えると、小さな図書室くらいはある。その目次を記憶しているなんて、やっぱり、魔女って、才能の使いどころを見直せばすごい人だったのかもしれない。

 ――「で、何を調べてるわけ?」

「融合について書いている本はないなあと思って。城の書庫で、何冊か、もらってくれば良かったかね」

 ――「それって、どろぼうじゃない」

 「まあ、いいだろ」なんて魔女らしい。わたしゃ人殺しなんだよ、と言いそうだ。だから、「一応、今はわたしの体なんだからね!」と言ってやった。「わかってるよ」と笑っていたけれど、本当にわかっているのか、怪しい。

 そんなダリヤは本を片づけなかった。本を置きっぱなしにして、大鍋に向かう。手のひらで作った炎を大鍋に入れた。火を焚かずに、そのまま入れるスタイルらしい。すぐに煙が立ち上ぼり、ダクトの穴に吸いこまれていく。

 ――「魔女みたい」

「魔女だからね」

 ダリヤは手袋をはめた。手際よく材料をナイフで切り刻んだり、大鍋に入れていく。端から見れば、料理に近い。でも、細かく見ると、材料は虫だったり、何かの尻尾だったりと、食べられそうにないものばかりだった。

 ダリヤの目を通して、大鍋をのぞきこむ。大鍋の中身も何の色だかわからなくなってきた。深緑なのはなぜだろう。ダリヤを通しての臭いは硫黄だとか、腐った卵に近い。大鍋の中身がいったい何なのか、恐くて聞けなかった。

 ダリヤが「できた」と言うまで静かに眺めていた。完成した薬のなかに、氷魔法をぶちこんで、終わりらしい。冷ますには手荒な方法だ。

 ――「で、これは何?」

 この深緑色のどろどろした液体の正体をたずねる。わたしは嫌な予感を抱えていた。

 ダリヤの答えは「飲み薬さ」。しかも、わたしの体で飲むと聞いて、全力で抵抗を決めた。
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