ヤメ騎士さんとわたし

第20話『世話係のモニク』


 目が覚めたとき、トーチの明かりが照らす天井が見えた。わたしの部屋はもうない。ダリヤという魔女でさえ、跡形もなく消えていた。すべては夢の中のできごとだったのだ。

 頭が重い。起き上がりたくないとさえ思う。額に手を当てたとき、見覚えのあるとんがり帽子の影が差した。

「起きたか?」

 しゃがれた声がする。顔をのぞきこまれる。それは寝る前に見た、おじいさんの顔だった。何か言葉を吐こうとしたけれど、戸惑った。魔女の言い残した言葉が頭をよぎったのだ。

 そうだ。わたしは今、言葉を理解した。しかし、簡単にそれを伝えることはしてはいけない。伝えてもいい人物なのか、見極めなくてはならない。

「おい、聞こえるか? わしの言葉が聞き取れるか?」

 今のも、だ。

「前の娘は、ここでわしの言葉がわかるようになっていたが、この娘はまるで駄目か」

 おじいさんの独り言に反応したのは、箱を持たされた男だった。

「まったく使えませんね」

 男は暴言を吐き捨てる。

「仕方あるまい。何度か試してみて駄目なら、また新たな娘を連れてくればよい」

「先生、もういっそのこと、この魔女を拷問するというのは」

「それも、魂が融合しなければ、意味はない。この娘の魂と融合してこそ、実体ができ、効果が出るというもの」

 おじいさんはろくでなしだった。この弟子のような男も同じく、だ。魔女が伝えてくれたことは正しかった。もし、聞き取れるかなんてことを知ったら、どうなっていたか。前の人のような(詳しくは知らないけれど)事態になっていたかもしれない。

「さっさと、起きんか」

 おじいさんは強引にわたしの腕を取って、体を起こさせる。腕が痛くてたまらず、わたしは自分の意志で台座から降りた。

「モニク!」

 おじいさんが手を叩くと、闇の奥から、モニクと呼ばれた人が現れた。わたしの世話をしてくれた恰幅のいい女性とは、大分、違っていた。モニクさんは華奢で手首が細かった。丸い額には前髪はなく、黒髪を後ろにまとめている。けれど、急いで来たようで、ところどころがほつれていた。

「呼んだら、早く来い!」

 弟子の男が声を荒げる。わたしとしては、そんなに時間はかかっていないように思える。

 単に、男が小言を言いたいだけではないだろうか。モニクさんは瞼を閉じて、ただ頭を下げた。

「お前の仕事はなんだ? わからなければ、俺が言ってやる。この魔女の世話をすることだろう。しかし、お前は、アヴリーヌ副団長の迎えもしなかった。代わりにリージヤがこの魔女の世話をした」

「それは、部屋に閉じこめられていて……」

「また、リージヤがやったと?」

「ええ」

「ふざけるな、リージヤがそんなことをするわけがない。あの仕事熱心で聡明な彼女が! お前の嘘など聞き飽きた。二度と、その話をするな」

「はい」

 モニクさんは顔をうつむかせた。本当に、二度と口にしないと決めたかのように。弟子の男はおじいさんの方に話を向ける。

「先生、やはりこんな嘘つきに魔女の世話をさせるには無理があるのでは?」

 弱いやつほど、強い人間にすがるのはどこの世界も同じみたいだ。

「いや、アヴリーヌ直々の指名だ。あやつの顔を立てておけば、後々有利に働くだろう」

「しかし……」

 弟子の男は、まだ話したそうにしていたけれど、おじいさんが「まあよい」とさえぎった。

「モニク、お前はこの魔女を監視するのだ。絶対に目をそらしてはいけない。逐一、この魔女のどんなささいなことも、わしに報告すること。わかったな?」

「はい、そのように」

 モニクさんはようやく顔を上げた。わたしと目を合わせる。深い緑色の瞳だ。モニクさんの瞳は、わたしの表面ではなく、奥まで見通そうとしているみたいに真っ直ぐだった。

 そういえば、城に来てから、こんなにも瞳を見つめられたことがあっただろうか。わたしの方からも瞳を合わせたことがなかった。ものを言わない時間が流れる。モニクさんの方から視線が外された。

「わたしについてきてください」

 モニクさんはわたしが動き出すのを待っている。待たせ過ぎれば、弟子の男が怒り出すかもしれない。このおじいさんと弟子がいない場所に行きたい。きっと、ここよりマシなはずだから。

 わたしはモニクさんの後についていった。

 部屋から通路に出ると、あの恰幅のいい女性が腕を組んで待ち構えていた。おそらくこの人が、リージヤだろう。しかも、絶妙に真ん中にいるから、横を通り抜けようとしても、捕まる。案の定、モニクさんは細腕をリージヤにがっつり掴まえられた。

「モニク、良かったじゃないの、いい仕事にありつけて。まさか、アヴリーヌ副団長の迎えをすっぽかすなんて、あんたもやるねえ。わたしがいなかったら、大変なことになってたよ。感謝しな」

 リージヤは下品に笑いながら言った。どれをとっても、「仕事熱心で聡明な彼女」のイメージと一致しない。どちらかといえば、「人の仕事を取ろうとする意地の悪い女」のように見える。

 モニクさんの方が泣き寝入りするかと思いきや、彼女はリージヤを鋭い視線で貫いた。リージヤが一瞬、ひるんだように後ろにのけぞる。

「リージヤ、全部、あなたのせいでしょう。アヴリーヌ副団長と話したいがためにわたしを部屋に閉じこめた。今回は別の名義で呼び出しましたね。
しかし、男を使っても、結局、この仕事にはつけなかったようで。せいぜい、わたしの代わりに床でも磨いていてください」

 モニクさんの冷たい声は、どんな皮肉よりも鋭かった。見かけよりもモニクさんは強い。どれだけ脂肪や筋肉で体を固めても、心だけは強くならないことを証明しているようだった。

 リージヤはどうにも言い返せないのか、モゴモゴ言いかけた。哀れだった。目をさ迷わせた後、わたしを見つけて、笑みを張りつける。

「そこの魔女さん。もし、この女が嫌になったら、いつでもわたしを呼んでいいですからね。こんな性悪で、裏切り者の……」

「この方に、言葉は通じません。あなたがどんなにわたしの悪口を吹きこんだところで、意味はありません」

 リージヤはとうとう、顔を赤くさせて、モニクの腕を大きく払った。

「本当に胸くそが悪い女だ。彼に魔女なんかより、あんたを拷問してもらいたいねえ」

 弟子の男とリージヤの関係がわかった気がした。リージヤは嫌味だらけの顔で笑うと、背中を向けて歩き出した。大股で去っていく。

 この女に体を洗われた事実を消し去りたい。少しは世話になったことを感謝していた自分を、闇よりも奥底に沈めたい。

「行きましょうか、こちらです」

 モニクさんは動じた様子もなく、淡々と告げた。
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