嫌われ魔術師

第2話

 緊張のまま、師匠の待つ部屋へフルグライト様を案内し、何とか無事に儀式をはじめることができた。師匠がフルグライト様を台座に横たわらせて、杖を掲げる。周りにはお香が焚かれ、煙ったい中にもほんのりと懐かしい香りを感じた。

 師匠の呪文を横で聞きながら、ふたりはあまり仲がよろしくないはずなのに、フルグライト様はよく引き受けたなあと思った。

 わざわざ彼が引き受けなければならないほど、それだけ重要な儀式なのだろうか。魔術の儀式には相手を呪う黒魔術もあれば、相手を祝福する白魔術もある。黒魔術の大方は禁止されているが、白魔術のほうは筋肉増強や魔力向上など一般にも使えるものがある。

 わたしが弟子になってから半年あまり。師匠の術式は古から書物にも記されてはいないため、いまだに疲労回復なのか筋肉増強なのかわからない。ただ、いけにえが並んでいないから、黒魔術でないことは確かだ。

 武人であるフルグライト様なら、疲労回復というところだろうか。そんなに疲れていたのに、わたしの魔法臭を嗅がせてしまって、きついものがあっただろう。ああ、申し訳ない。

 天井に目を向け、嘆いていたら、ろうそくの明かりが消えた。四隅から立ち上る細い煙。師匠の呪文も聞こえない。儀式は終わったのだ。師匠はフルグライト様に近寄り、耳元で何やらささやく。部屋は静かなはずなのにわたしには聞き取れなかった。

 師匠が台座から離れると、フルグライト様の瞼がゆっくりと開かれた。目を覚ましたらしい。巨体が台座から起き上がる。

 やがて、巨体を支えるがっしりした両足が床に着いた。膝の上に置かれた拳はとても固そうで、岩のように見える。起き抜けの青い瞳がさまよったかと思うと、なぜか、わたしに固定された。彼の瞳のなかに自分の姿を見つけると緊張してしまう。こんなにじっくりと見つめられたことはなかった。視界の端で、かたちのいい唇が動き出す気配がした。

「エリアル」

 フルグライト様の口からわたしの名前が出てくるなんて予想していない。しかも、頑なに動かなかったはずの彼の頬がゆるんでいる。つまりは微笑んでいるのだ。

 普段は表情を変えないフルグライト様の笑顔は破壊力がすごい。

 しばらくずっととらわれていたが、笑顔に見惚れている場合ではなかった。いつの間にか、フルグライト様とわたしの距離はなかった。がっしりとした腕がわたしを絞めるかのように抱きついてきた。汗の臭いを強く感じるのは彼の胸板にわたしが頬をくっつけているためだ。しかし、意図しているわけではなく、不可抗力である。

「フルグライト様? あの、師匠、これはいったいどういうことでしょうか?」

 おそらく一番事情を知っているだろう師匠にたずねた。師匠はいつもの人の悪い笑みを垂れ流しながら、わたしたちを興味深そうに眺めていた。

「これは昔、性欲がわかない国王に施したとされる由緒正しき術だ。これによって、3人の御子が生まれたらしい」

「では、なぜ、その術をフルグライト様に施したんですか?」

「だから、国王に施す前にこの術が大丈夫かどうかフルグライトで試した。魔力を通さないフルグライトがかかる術なら、それだけ効果は絶大だろう? エリアル、今からお前にはこの男の観察を命じる。四六時中一緒にいて、効果はどれほどか確かめろ。効果が終わるまで戻るな。わかったな」

 驚きしかなかった。この体はフルグライト様でも中身は違う人物だ。それと一緒にいろと。それも四六時中。

「わたしは忙しい。これで失礼する」

「ちょっと、待ってください! 師匠!」

 師匠の背中に助けを求めていたら、太い指がわたしの顎を無理やりそらした。フルグライト様のほうに顔を向けることになる。

「他の男を見るな。俺だけを見ろ」

 フルグライト様の声が足元から聞こえてくるかのように低い。かなり不機嫌なようだ。わたしが見上げると、熱っぽい瞳と出会ってしまう。視線をからませたまま、フルグライト様は唇を開く。

「エリアル、お前は俺の女だ」

 「俺の女」。何度も頭のなかで言葉を繰り返し、意味を考える。でも、わたしとフルグライト様の間では男女の関係などなかった。むしろ、まったく好かれた実感がない。フルグライト様はわたしを嫌っていた。触れるなんてとんでもない。これは術のせいで正気ではない。この熱い瞳は偽物だ。

 だから、わたしは固い胸板を突っぱねた。武人相手ではあんまり効果はないが、フルグライト様はわたしの抵抗に少しは思うことがあったようだ。

「照れているのか?」フルグライト様の指がわたしの乱れた髪に触れる。

「あ、あ、あの!」

「照れずともよい」

 頬を撫でる優しい指も性欲を高める術のせいだ。だから、勘違いしてはダメ。とりあえず思うことは、部屋から出たい。この熱い腕から抜け出したい。その一心で、「部屋を移しましょう」と提案した。フルグライト様もなぜか顔を赤らめて「そうだな」と納得してくれた。
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