SS

振られ騎士


 まさか、自分がこんな場面に出くわすなんて思わなかった。

「わ、わたしと、結婚してくれないだろうか!」

 一世一代の愛の告白をこの耳で聞いた。騎士様は誇りをかなぐり捨てたかのように、片足を立てて、忠誠を誓うかのように腰を落としている。その視線は愛しい人へと真っ直ぐに向けられて、大変な想いがこもっているのだとわかる。

 熱い視線がわたしに向けられているわけがなかった。視線の先にいたのは、わたしの隣にいた友人。

 しかし、悲しいことにわたしの友人は「将来を約束した方がいますので、お応えできません」と正直に返してしまった。つまり、この騎士様は堂々と公衆の面前で振られてしまったのだ。

 友人は「先を急ぎますので」と素早く告げると、わたしに目配せして先に進むように促した。

 うなだれた騎士様の横を通るのは気が引ける。でも、どうしようもないのだ。友人には婚約者がいる。ふたりは顔を合わせれば、いちゃこらしてしまう仲だ。わたしが目の前にいてもおかまいなく、口づけなどしてしまうのだ。他人が入り込む隙すらない。

 残念で可哀想な騎士様。わたしは胸の前で指を組んで瞼を伏せ、祈りをささげる。

 ――どうか、騎士様に幸がありますように。いいお相手に恵まれますように。

 良いことをした気になって、瞼を開けると、ばっちり騎士様と目が合ってしまった。祈りの様子を騎士様に見られてしまったらしい。慌てて指を解いて、腕を腰の後ろに回したのだけれど、おそらく意味はなかった。

 騎士様の端正な顔立ちが歪んでいく。わたしへの嫌悪感なのか、眉にシワが寄る。立ち上がると、鋭い眼差しでわたしを見下ろした。

「貴様、ふざけるなよ。同情なんかいらん」

 吐き捨てるような言葉に、胸が潰れそうに苦しくなる。もう苦しくて苦しくて吐き出したくなる。吐き出したら一貫の終わりなのだけれども、まあいいかと気楽に思えてきた。

「確かに今のあなたは可哀想です。せっかく求婚したのに、振られちゃうとか。可哀想過ぎて……本当、笑える」

 とうとう耐えきれずに性格の悪さが出てしまった。大口で笑ってしまうのはもう仕方ない。わたしのせいではない。目の前の騎士様がおバカすぎるのだ。この騎士様がどれだけ変な行動を取ったのか、1つずつ指摘していきたい。

「どうして、話したこともない娘に求婚できるんですか?」

「ひ、一目惚れをしたから。貴様には関係ないだろ!」

「で、どうやったら、結婚に結びつくんですか? お付き合いもしていないのに」

 本当にそこが謎だった。話したこともない。付き合ったこともない女に求婚して、いい返事をもらえると思っていることがおかしい。玉砕覚悟のくせに、落ちこんで、わたしに当たるのも重ねておかしい。つまり、騎士様はおかしい。

「わからない。どうしたらいいのか。どうやれば、その、女性と付き合いができるのか」

 騎士様はすっかり意気消沈して、力なく身体を縮ませた。

「つまり、お付き合いの仕方がわからないということですね?」

「そうだ」

 騎士様の話によれば、これまで恋という恋をしてこなかったらしい。そして、つい最近、わたしの友人に一目惚れしてしまった。どうすればいいか、騎士団の同僚に相談するのも今さら恥ずかしい。まして、女性の友人もいない。遊び相手もいない(ここはかなり強調された)。どうしたらいいのかわからず、思い余って、突撃してしまったということらしい。

「ふーん、なるほど。話はわかりました」

「わかってくれたか」

 安心するのはまだ早い。

「ただ、悲しいお知らせですが、わたしの友人は婚約者がいます。とても親密です。隙はありません。なので、諦めてください」

「そうなのか」

 騎士様は明らかに肩を落とす。あまりに落としすぎて、マントまで落ちないか心配になった。落ちなかったけれども。

「なので、もし次に誰かに一目惚れしたら、わたしに相談してください」

「貴様に?」

「貴様?」

 誰にものを言っているのか。わたしがにらみつけると、「すまん」と返してくる。「名前を知らないから」と言い訳をしてくるから、名乗ってあげた。騎士様は何度かわたしの名前を唱えて慣らした後、口元をゆるませる。

「わかった、相談する」

 なかなか素直な騎士様で、こちらも顔がほころんでしまう。こんな騎士様なら、もっとふわふわした可愛らしい女性がお似合いかもしれない。ほのぼのした恋人同士の絵が想像できた。

「次は良い恋ができるといいですね」

「ああ」騎士様は笑みを深めた。



「一目惚れかもしれない」

 洗濯女たちの戦場に足を踏み入れた騎士様は、休憩中だったわたしにそんな話をし出した。何度も聞いた言葉だ。今となっては、騎士様に出会った頃のわたしに言いたい。なぜ、わたしに相談してくださいなどと、言ったのか。もう面倒だ。この男、いつも肝心なところで失敗する。なぜか、お付き合いするまではいいのに、最後には振られるのだ。

「へー、今度は誰です?」

「使用人のイーナだ」

「イーナって、あの」

 美人だし、婚約者がいないのも知っている。ただ、特定の男は作らないで有名だったような。

「知っているのか?」

「ええ、多少は」

 お城の使用人でも、イーナはお客様の対応など、花形の所属だ。わたしのように洗濯やら、皿洗い手伝いやらの裏方の人間には縁のないところだ。その辺りを説明してやると、騎士様はうなった。

「洗濯や皿洗いも立派な仕事だ」

「そうですけど」

 騎士様だって、花形の使用人に一目惚れする。万年、手が荒れている女に一目惚れなんかしない。どれだけいいように言っても、男の人はあまりにわかりやすく、美しい方を取るのだ。わたしは両手を隠すように握った。

「で、俺はどうしたらいい? ここは花束を渡すべきか、いや、香水か」

 騎士様はいつもの調子を取り戻したようだけれども、今は面白がれない。とても相談に乗れる気分ではなかった。荒れた手のように、心はささくれだっている。騎士様は普段と違うわたしに勘づいたらしかった。

「おい、どうした?」

 すべてが腹立たしい。

「もう、わたしに相談しなくても、大丈夫だと思います。ちゃんと、どうやって距離を詰めればいいかわかっているし。女性に花束が喜ばれることも知っている」

 だから、騎士様の思うまま、相手を落としにかかればいい。

「わたしは必要ないはずです」

 本当はもっと前からわかっていたはずだ。わたしはもう、騎士様の役には立てない。いつからだろう。騎士様から相談を受けると、胸が苦しくなった。無理して笑ってみたりすると、「どうした、何があった?」なんて優しくされて、それがまた苦しくて限界だった。あとちょっと、我慢したらすべて吐き出してしまいそうだった。

「必要ないはずがないだろう」

「えっ?」

「お前は俺に相談しろと言った。俺はお前を必要としている。だから、必要か必要ではないかは、お前が決めることではない」

 低くうなるような声だった。そして、騎士様はわたしの腕を強引に引くと、自分の胸元に頭を押しつけた。

「これが最後だと言うなら、すべてを教えていけ」

「すべてって」

「すべてだ」

 騎士様の真剣な顔が近づいてくる。逃げ出したくなって一歩退こうとしたら、後頭部を掴まれて、上を向かせられる。

「何する……」

 最後まで言えなかった。唇に降ってきたのはやわらかい騎士様の口づけだった。まさか、こんなことが起きるなんて。

 わたしが驚いて抵抗できない間に、騎士様は大胆になってくる。優しく触れるものから、舌をからめるものに変わっていく。いやらしい水音に目を固くつむった。

 荒い息づかい。服同士の擦れる音。全部、聞こえてくる。嫌なのに。突っぱねようとした手は、騎士様の指が絡んで、下げさせられた。

 唇が離れたとき、ふたりの出した液が繋がって、ぷつりと切れた。しかし、それで終わりではない。騎士様の右手がわたしの腰を撫で、後ろの膨らみに伸びる。左手は腰から脇の下をさまよう。胸の境目に触れた。

「お前のすべてを俺に……」

 続きを言わせるわけにはいかない。

「嫌です」

「はあ?」

「こんなの、イーナとすればいいでしょう! 本当に無神経!」

 話すのもバカバカしい。

「いや、あの」

「あんたなんて振られちゃえ!」

 渾身の言葉を吐き捨てた。わたしは背中を向けて、騎士様との関係を断ち切ったのだ。



 騎士様と会わなくなってどのくらいが経っただろうか。

 あのイーナが結婚して暇をもらったらしい。それは、使用人たちの間で大きな話題になった。あの恋多き女が身を固めた。どんな相手なのか、それは、騎士だった。

 聞くところによると、お相手は、あの騎士様ではなかった。また、あの男は最後の最後でしくじったらしい。いつになったら、結婚してしあわせになってくれるのだろう。そうすれば、わたしのこの気持ちも晴れるかもしれないのに。

 結局、晴れることもないまま、友人と城内を歩いていた。食堂へと向かう道だ。そこにひとりの騎士様が現れた。端正な顔立ちは、怒ると眉を寄せて渋い顔になる。落ちこんだときの下りた肩も、大きなあくびも、笑うと切り目が細められて、ちょっとだけ可愛く見えることも知っている。

 そんな騎士様が片膝を立てて座り、熱っぽい瞳で見上げた。持った花束をかかげ、大きく息を吸いこむ。

「お前が好きだ。一目惚れなんてものじゃない。わたしと結婚してくれないだろうか!」

 前にも見た光景にわたしは絶句する。ちなみに、騎士様が見上げているのは友人ではなく、このわたしだ。

「嫌です」

「おい、人の一世一代の告白を何だと思っている」

「知りません」

 わたしはかつての友人がしたように騎士様の横を通りすぎようとした。

「離してください」がっちりと掴まれた手首。友人の時はこんな無理やりしなかった。それだけ、大切にしていたということだろう。口づけをしてきたのも、わたしはそれだけの存在というわけだ。

「離したくない」

「本当に自分勝手ですね。人の気持ちも知らないで、無神経。ほれっぽくて、おバカで単純で……でも、真っ直ぐで、わたしが褒めると嬉しそうで、優しくて、口づけが上手くて、好きで」

 自分で何を言っているのだろうと思った。隠し通そうとした言葉をうっかり口にしている気がする。

「好きだと?」騎士様は聞き流してくれない。

「好きですよ! 何か知らないですけど、好きになってしまったんです! 悪いですか!」

 やけくそだ。騎士様の口に自分の顔を当てる。目をつむっているから、口づけにもなってない。顔を離すと、騎士様があきれたようにため息を吐いた。

「お前な」

「何ですか」

「好きなら結婚しますって言えよ」

「だって、同じなんです」

 友人に求婚したときとまるっきり同じだと告げてやった。

「それは、すまなかった」

「あと、何で、わたしにはこうやって掴んだり、口づけしたりするんですか?」

「それは……」

「はっきり言ってください」

「お前を見ると、抑えがきかない。他の女性には感じないものが生まれたような気がする。最近気づいたのだが、これが恋ではないかと、俺は思う」

 歯切れの悪い言葉だけれども、少し納得できた。

「わたしのこと、それだけ好きってことですか?」

 騎士様の耳が赤く染まった。どうやら、照れているらしい。

「悪いか?」

「全然、悪くないです」

 騎士様は仕切り直しだと、また膝を立てて腰を落とした。わたしの手を取り、名前を並べる。

「俺と一緒にいてほしい。俺をお前のそばに居させてほしい」

 少し涙声の騎士様にわたしは微笑んで返す。これだけできれば、騎士様は立派だ。何で、他の女性の前でできなかったのだろう。でも、今はできなくて良かったと思う。

「はい、もちろん」

 わたしのほうがその気持ちが強かったから、意地を張るのはやめる。騎士様がわたしを強く抱き締める。なぜか、拍手が聞こえてきて、周りに人がいたことに今さら気づいた。恥ずかしすぎる。そばにいた友人から「良かったね」なんて、言ってもらった。ますますいたたまれない。上機嫌の騎士様は、わたしの耳元でささやく。

 ――「お前のすべてを俺にくれ」

 顔に熱が集まってくる。ふざけんなと意地を張って、また口喧嘩になる。だけど、握られた手は離れていかない。

 まさか、自分がこんな幸せに出会えるなんて思わなかった。

 ――どうか、騎士様に幸がありますように。いいお相手に恵まれますように。

 一応、あの時の祈りの効果もあった、はず。

おわり
3/13ページ
Clap