ヤメ騎士さんとわたし

第18話『可哀想』


 トーチの終わりには台座があった。人ひとりが横たわることができそうな横長の台座だ。台座の中央には石がはめこまれていて、石の周りには文字のようなかたちが掘られている。

 このかたちは街の中で見かけた気がした。看板にも使われていたはずだ。文字のかたちを指でなぞりたくなった。触ってみてもいいのだろうか。

 好奇心を抑えきれずに手を伸ばしたとき、横から声がした。――触れるな。そう言われた気がして、すぐに手を引っこめた。

 声の方向を見れば、トーチの間から、とんがり帽子の影が現れる。しわくちゃな手には三又の燭台を持っている。白いローブを身に纏い、髭を鼻下と顎から垂らしている。燭台を持っていない左手で、髭を撫でつけていた。

 おじいさんの斜め後ろに、もうひとりのとんがり帽子がひかえていた。両手には横長の箱を大事そうに抱えている。

 箱の蓋は開いていて、敷き詰めれたクッションの上には指輪が眠っていた。指輪の中心に赤紫の石がついていた。石の奥をのぞいてみると、胸の辺りにモヤモヤしたものが生まれる。怒りにも似ている。こう沸き上がってくるもの。見ているだけで、不気味な指輪だった。

 おじいさんはわたしに背中を向けた。燭台を箱を抱えた人に預け、空いた手で指輪をつまみ上げた。

 おじいさんはわたしに目を配りながら、台座に手を向ける。「座れ」とでも言っているのだろうか。よくわからないけれど、座るくらいだったら、まあいいかと思う。

 台座に背中を向けて、後ろ手をつく。そこから腰を押し上げた。角は取れているもの、台座の上は冷たくて固い。長時間座っていたら、お尻が痛くなりそうだ。

 おじいさんはわたしの手を取った。いきなりの行動に手を引こうとしたけれど、あまりに強い力だった。自分の側に戻すことができない。先程の指輪を勝手に薬指にはめられた。いや、全然、意味がわからない。

 しかも、おじいさんは満足したようでもなく肩を押してくる。もしかしたら、「横たわれ」と言われたのだと思った。ここで横たわるのはまずい。

 抵抗したい気持ちが出てきた。相手がおじいさんだとしても、無防備で台座の上に横たわっていいのだろうか。危ない気がする。

 おじいさんはしわくちゃな手でわたしの両肩を押した。おそらく待っているのが面倒だったのだろう。強い力で肩を台座に押しつけられた。これはやばいと胸の奥から警告音がする。

 慌て起き上がろうとしたとき、おじいさんは燭台を自分の手に戻して、わたしから離れた。もう、あっさりと。トーチの間に消えていく。興味をすっかり無くしたように。もうひとりもおじいさんに付いていなくなってしまった。

 ただ、本当に横たわってほしかったのだ。そこに下心はない。おじいさん相手に変な想像をしてしまって恥ずかしい。

 もう嫌だ。顔が熱を持ってくる。トーチの明かりだけで助かった。置いておけば、そのうち、熱も冷めるだろう。わたしは大人しく、もう一度、仰向けになった。

 どこからか、お香の匂いがやってきた。あまり嗅ぐとむせそうだ。おじいさんが唱える呪文のようなものが耳の奥で駆け巡る。特に心地よくはなかった。それなのに、瞼が落ちて……。


 いつの間にか、わたしはふわふわした浮遊感のなかにいた。ここは自分の部屋だった。就職を機に、一人暮らしをしていた頃のだ。

 ベッドに座る女性がわたしを眺めていた。白銀の長い髪、青い瞳はどれをとっても見たことはない。薄ピンク色のドレスがベッドの上で花開いている。肩口がふくらんでいるのも、花の口を逆さにしたように見えた。細腕には肘下までレースの白い手袋をしている。女性はわたしに向けて、歪んだ笑みを浮かべた。

「ふん。今回はどんなもんか。前みたいのはやだね」

 日本語を話している。しかも、ドレスには似つかわしくない、丁寧とは言えない口調だ。でも、わたしはどちらに対しても驚かなかった。

 これは夢の中だろう。見たい部分以外には、白くもやがかかっている。それよりも言葉の内容が引っかかった。夢の中だとしても。

「『今回は』って、前にもこんなことがあったんですか?」

「ああ、女が来たよ。打たれ弱くて、すぐめそめそする面倒な女だった。あんな女と融合するなんてゴメンだっての」

「融合?」

「わからないか。そういや、あんたの前の女も言っていたっけ。『別の世界から呼び出されて、こんな不自由な生活しなくちゃならない、わたしって可哀想!』。最後には『元の世界に戻してよぉ!』と泣き叫んでたわね。本当にお可哀想だった」

 女性はわざと甘ったるい声を出して、演じて見せた。まるでバカにしたようで気分が悪くなる。愉快そうに笑っているのも、性悪だとしか思えない。

 この女性がどんな人間であれ、大事な情報は聞き出しておきたい。

「あの、別の世界から呼び出されたってどういうことですか?」

 女性は笑うのをやめた。

「堅苦しい。わたしがこれだけ親しげに話しているんだから、あんたも丁寧な言葉づかいはやめなよ」

 逃げ道が塞がれたと思った。丁寧語で話すと、嫌な相手でも冷静を装えるので便利なのだ。しかし、ここで否定して、面倒なことになるくらいなら、受け入れるしかない気がした。

「わかった。じゃあ、これで」

「いいわよ、ヒイラギセイラ。いや、セーラか」

「なぜ、名前を?」

「この周りを見て気づかない? ここはあんたの場所でしょ。こうやって、あんたの場所に手を触れると、何となく記憶が体に入ってくるんだよ。あんたの名前がヒイラギセイラで、縦長の箱を見ながらニヤニヤしている。その箱には絵が描かれていて……」

「やめて!」

 聞いていられなかった。縦長の箱はおそらく、スマホのこと。描かれた絵はマンガだ。ベッドの上で横たわりながら、よくマンガを読んでいた。ニヤニヤもしていたかもしれない。

 プライベートな部分を覗かれたことを聞いて、冷静にいられる人がいたら見てみたい。案の定、それくらいで女性は止まらなかった。

「そして、あんたは眠った。次に目が覚めたときには、森の中にいた。そこで狩りをしていたロルフに出会った。でしょ? あんたの好きな人」

 「ロルフ」という名前に敏感に反応してしまう自分がバカみたいだ。

「好きじゃない」

「嘘ついてもダメだから、好きって気持ちが伝わってきた。捨てられたときにも泣きじゃくって、わたしって可哀想! とでも思った?」

 思っていないと言えば、嘘になる。「捨てられた」ことへの悲しみはまだ傷として残っている。でも、目の前のこの人に笑われる筋合いはない。わたしの気持ちをバカにする権利は絶対にない。

「だから、何? あんたに何の関係があるの? 確かにわたしは嘘ついた。ロルフさんが好きだよ。それで、置いてきぼりにされて、悲しくて泣いた。
でも、今は、ロルフさんにもそうしなければいけない事情があったんだって、そう思っている。
あんたも見たんでしょう? ロルフさんの優しいところも全部。その日々を信じているんだよ、わたしは!」
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