緊張しいな女騎士

第1話『緊張する性格』

 アントナン様が騎士団の団長になられてから10年の月日が経った。過去をさかのぼってみても、団長の職を10年も勤められた人はいない。しかも今も堅実な仕事ぶりで記録を更新中だ。それはきっと国王陛下からも、部下からも信頼が厚いからだろう。

 容姿にだって隙がない。背は高いし、騎士仕込みの鋼の筋肉は男も憧れる。顔は少々怖いが、ささいなことだ。短い黒髪、無精髭さえ、野性的だと片付けられる。無駄口を叩かないところも素敵だ。どこの角度から見ても欠点のひとつも見当たらない、完璧な人。

 そんな憧れの団長との出会いは大昔にさかのぼる。鍛冶屋の娘として生まれたわたしは、無愛想な父の代わりによくお店に立っていた。お得意様の騎士や傭兵にも可愛がられたものだ。

 中でもまだ団長ではなかった騎士アントナン様は、わたしにいつもどこかのお店のお菓子を渡してくれた。近所の悪ガキと走り回っていたわたしにレディ扱いしてくれたのも団長だけだ。

 そんなある日、わたしが変な男どもに誘拐されそうになった。だけど、偶然通りかかった団長が助けてくれた。普通の女の子なら、そこで団長に恋をするかもしれないけど、わたしは違った。

 団長と同じ騎士になりたい。剣で人を助けたい。抱いたのは団長への憧れだった。その気持ちは日に日に強くなった。

 とうとう15歳になったとき、わたしは彼と同じ騎士になるために、女であることを捨てた。父さんから最後まで反対されていたけど、「一人前の騎士になるまで戻ってくるな」と結局は折れてもらった。

 それからもう20歳である。何とか騎士にはなれたものの、部隊の一部下に過ぎない。団長と顔を合わせる時間なんてほとんどない。お姿を遠くの方でお見かけする程度である。でも、わたしは団長と同じ騎士になれたことの充実感があった。まだ団長の足元にもおよばないけど、いつかは鍛練して強くなるつもりだ。

 ――そのつもりだったのに何でこんなことになったのだろう。わたしの手には所属する部隊から預かった書類がある。本来、隊長から申しつけられた先輩が団長室に届けるべき書類を押しつけられた。先輩の止むに止まれぬ事情とは何なのだろう? わからない。

 しかし、受け取ってしまった以上、書類を届けないわけにはいかなかった。

 団長室に行くのはかなりの勇気が必要だ。まるで闘技大会の予選に出場する時のような緊張感が全身を包む。あの時は前日から食べ物が喉を通らなくなる。まさか団長室の前に立つだけでも、そんな体験をするなんて思わなかった。

 ただ、書類一束を届けるだけだと自分に言い聞かせる。挨拶をして、邪魔にならぬよう速やかに退出するだけの簡単な仕事だ。ドアノブが滑らないように念入りに手汗を拭いて、拳を握る。扉の端に拳をぶつけて返事を待つ。

「入れ」

 団長の声を聞いたら、やっぱり現実なんだと強く感じるようになった。扉を開けて姿を見たら、ますます手汗が増えた気がする。ダメだ。

「ここに置け」

「は、はい」

 目を合わせることができない。視線を感じながらも、団長から逃げるようにうつむいたまま、一歩前に進んだ。ああ、巻いた書類がかさかさと音を立てる。小刻みにうるさいのはわたしの手が震えているからだ。どうにか、団長の机に無事に着地してほしい。そう願った。

 でも、願いは空しく、巻いた紙は机の上に置かれた団長の指に触れた。

「し、失礼を」

「いや」

 自分の声がうわずっている分、落ち着き払った団長の声に泣きたくなった。とりあえず、書類を置けたし、これ以上、失態を見せたくはない。余計なことをする前にさっさと後ずさって部屋を出よう。

 自分なりに考えて頭を下げて、団長に背中を向けようとした。それなのに、一歩踏み出したところで足がもつれる。段差も何もないところなのに。訓練で鍛えたはずの足がいともたやすく。

「え、あ、わっ」

 情けない声を上げながら、体勢を崩した。あっという間だった。手を突くことはできたものの、両膝が痛い。

 やってしまった。憧れの人の前でみっともない姿を見せてしまった。現実を忘れてしまいたい。

「大丈夫か?」

 団長の気づかいの声が思いの外、近くで聞こえた。わたしは四つんばいの体勢から立ち上がろうとした。とにかく逃げたい。隠れたい。

 大きな手のひらが目の前に差し出される。剣を振るうとできるタコだらけの手。その手からたどっていくと、団長の顔に突き当たった。視線が重なる。

「えっ、あ、も、申し訳ありません! 自分、これにて失礼いたします!」

 何で。何で。せっかくお会いできたのに、こんなダメなところを見られてしまうのか。もう頭のなかでは自分の失態しかなくて、慌て自力で立ち上がり、逃げるように部屋を出た。そして、後で、わたしはとんでもない間違いをしでかしたことに気づいた。

 団長がせっかく差し出してくださった手を無下にして、逃げるなんて。もしかしたらこんな機会、二度とないかもしれないのに。わたしはこの時ほど自分の緊張しいな性格を呪ったことはなかった。
1/17ページ
Clap