嫌われ魔術師
第5話
魔術師の住む塔はお城でもずいぶん端のほうに位置している。これに関しては危険な薬品や道具を取り扱うので仕方ないことだ。
渡り廊下を西に進み、行き当たった階段を上がれば、師匠とわたしが寝泊まりや実験に使っている部屋へと続く扉がある。
扉の先は天井が高く、1階と2階に別れている。1階は実験室で、共同で使用できるようになっている。2階はそれぞれの寝室として使っていた。
幸いなことに師匠に出くわすこともなく、自室に戻れた。涙で乱れた顔を見られずに済んでホッとする。それに、半人前がフルグライト様から拒絶されてのこのこ帰ってきたと知れば、師匠に叱られるに違いない。
自室に素早く入り、扉の内側から鍵をかけた。万が一、師匠が訪ねてきても時間が稼げるように、椅子も置いておいた。
一仕事を終えて、寝台の枕に顔を伏せる。鼻が潰れて息苦しくたっていい。もういい。何も考えたくはない。涙が枯れるまで泣いてしまいたい。
枕に押しつけた腫れぼったい瞼の裏には、しつこくフルグライト様の顔が浮かんでは消えた。決して、手には入らないのに、なぜこんなにも望んでしまうのか。自分でもわからない。でも、好きなままだ。
わたしは涙に溺れそうになりながらも、次第に意識が遠退いていった。
次に目が覚めたのは自室をノックする音だった。師匠ならば、ノックなどせずに声で「そろそろ、起きないか」と言葉をかけるはずだ。それか、律儀にわたしが扉を開けるのを待つはずがない。前に着替え中のとき乱入されたことがある。確かその時は「お前の体など興味に値しない」とすっぱり言われたはずだ。
つまりはノックしているのは師匠ではない誰か。寝台から体を起こし、かすれた喉を確かめてから「だ、誰?」と声を張った。
「俺だ」
名前などたずねなくとも、この声はわたしを混乱させる。
「フルグライト様」
「先程はすまなかった。あのような態度をとってしまい、本当に申し訳ない」
わたしにはわかっていた。これはフルグライト様ではない。魔術のせいで正気を失った別人だ。
「あなたはフルグライト様ではありません」
「いや、フルグライトだ」
「偽者です」
どれだけフルグライト様に似ていても魔術で操られているだけだ。優しい言葉をかけられても、これ以上、心を揺さぶられるわけにはいかない。わたしは甘い言葉に惑わされてはいけないのだ。たとえ、欲しいと望んでいても。
「ここを開けてくれないか? お前の顔が見たい」
「ダメです」
「頼む、話だけでも聞いて欲しい」
この声に弱い。だが、一度、話を聞いてしまえば、ほだされてしまうことは目に見えていた。
「聞きません」
「なぜだ?」
「あなたはフルグライト様じゃない。わたしの好きなフルグライト様は……わたしを嫌っています。だから、あなたじゃない」
悲しいがそれが真実だ。仮のフルグライト様が好ましい言葉をくれても、まやかしに過ぎない。彼ではないのだから。
魔術師の住む塔はお城でもずいぶん端のほうに位置している。これに関しては危険な薬品や道具を取り扱うので仕方ないことだ。
渡り廊下を西に進み、行き当たった階段を上がれば、師匠とわたしが寝泊まりや実験に使っている部屋へと続く扉がある。
扉の先は天井が高く、1階と2階に別れている。1階は実験室で、共同で使用できるようになっている。2階はそれぞれの寝室として使っていた。
幸いなことに師匠に出くわすこともなく、自室に戻れた。涙で乱れた顔を見られずに済んでホッとする。それに、半人前がフルグライト様から拒絶されてのこのこ帰ってきたと知れば、師匠に叱られるに違いない。
自室に素早く入り、扉の内側から鍵をかけた。万が一、師匠が訪ねてきても時間が稼げるように、椅子も置いておいた。
一仕事を終えて、寝台の枕に顔を伏せる。鼻が潰れて息苦しくたっていい。もういい。何も考えたくはない。涙が枯れるまで泣いてしまいたい。
枕に押しつけた腫れぼったい瞼の裏には、しつこくフルグライト様の顔が浮かんでは消えた。決して、手には入らないのに、なぜこんなにも望んでしまうのか。自分でもわからない。でも、好きなままだ。
わたしは涙に溺れそうになりながらも、次第に意識が遠退いていった。
次に目が覚めたのは自室をノックする音だった。師匠ならば、ノックなどせずに声で「そろそろ、起きないか」と言葉をかけるはずだ。それか、律儀にわたしが扉を開けるのを待つはずがない。前に着替え中のとき乱入されたことがある。確かその時は「お前の体など興味に値しない」とすっぱり言われたはずだ。
つまりはノックしているのは師匠ではない誰か。寝台から体を起こし、かすれた喉を確かめてから「だ、誰?」と声を張った。
「俺だ」
名前などたずねなくとも、この声はわたしを混乱させる。
「フルグライト様」
「先程はすまなかった。あのような態度をとってしまい、本当に申し訳ない」
わたしにはわかっていた。これはフルグライト様ではない。魔術のせいで正気を失った別人だ。
「あなたはフルグライト様ではありません」
「いや、フルグライトだ」
「偽者です」
どれだけフルグライト様に似ていても魔術で操られているだけだ。優しい言葉をかけられても、これ以上、心を揺さぶられるわけにはいかない。わたしは甘い言葉に惑わされてはいけないのだ。たとえ、欲しいと望んでいても。
「ここを開けてくれないか? お前の顔が見たい」
「ダメです」
「頼む、話だけでも聞いて欲しい」
この声に弱い。だが、一度、話を聞いてしまえば、ほだされてしまうことは目に見えていた。
「聞きません」
「なぜだ?」
「あなたはフルグライト様じゃない。わたしの好きなフルグライト様は……わたしを嫌っています。だから、あなたじゃない」
悲しいがそれが真実だ。仮のフルグライト様が好ましい言葉をくれても、まやかしに過ぎない。彼ではないのだから。