ゆうしゃのおバカ

1 勇者の過去

 俺は毛玉と生活している。彼女(毛玉)は魔王との戦いに敗れ、毒に侵された俺を助けてくれた女神のような存在だ。

「あなた、お帰りなさい」

 今や、薬の作用で毛玉の体は小さくなった。人のかたちとなり、女性特有のふたつの膨らみが俺をおかしくさせる。

 押し倒したい。触れたい。

 しかし、彼女の無防備な笑顔を簡単に汚せるわけがなく、「ああ、ただいま」と冷静を装って答えるより他ないのだ。

◆◆◆

 毛玉のおじいさまによると、世界は平和になったようだ。魔界も人間界も、新しい指導者に変わり、平和へと突き進んでいるとか。俺もかつてはその渦中にいたのだなと、魔とかげのしっぽをかじりながら思う。

 平和ということは、あのサリアも無事なのか。まさか、神子をやめて、他の男と夫婦になっていたりするのか。しあわせなのか。初恋相手の身を案じるのは仕方ないことだろう。

「勇者? 何を考えてるの?」

「いや、人間界はどうなったのかと思って」

 洞窟の壁に寄りかかり、魔とかげの丸焼きをかみ砕きながら、また思考に落ちる。

 生まれたときから、父や母はいなかった。自我が目覚めたときには、小さな村でみんなの子供として育てられていた。村全体が親のようなものだった。

 15歳の頃、突然、勇者となり、神子と対面した。はじめて見たのは、肌が白くて風に飛ばされてしまいそうな儚げな女の子。異世界からやってきたという女の子はサリアと名乗った。そして、「勇者様ですか?」と小首を傾げられれば、すぐに恋に落ちた。彼女のためなら、勇者として命をささげても構わないと思った。

 ――あのサリアはどうなったのだろう。

「行けば」

「はっ?」

「人間界に行けばいいじゃない。勇者ならそれくらい簡単でしょ」

「まあ、確かに魔界には人間界への転移装置があるから、それが今も機能していれば渡ることも可能だろうな」

「言ってる意味がよくわからないけど。ほら、行けば」

 投げやりな毛玉の言葉に怒りがこみ上げてきた。まるで俺なんかいなくなっても平気だと言われたようだ。俺は毛玉と離れたくはない。こちらの気も知らないでなんて毛玉だ。怒りが沸いてくる。

「ああ、わかった。行ってくる。ついでに初恋相手に会って仲良くなってくるか」

 当然、冗談だ。サリアの無事を確かめられたらそれでいい。俺には毛玉もいるし、押し倒したい、触りたいのは毛玉だ。

「それもいいんじゃない」

「いいのか、お前はそれで」

「いいよ」

「俺が他の人間と仲良くなってもお前はいいんだな?」

「うん」

 この返事は、ものすごく頭に来た。毛玉は俺から顔をそらして表情はわからないが、彼女がそのつもりならこちらにも意地というものがある。

「わかった。今から行ってくる」

「えっ?」

 魔とかげを飲み下してから、立ち上がる。俺と離れて少しは淋しさを感じればいい。それとも、淋しいと思ってくれるなら、人間界に行くのをやめてやってもいい。

「しかし、お前がどうしても嫌なら……」

 毛玉は元気そうに「そう、いってらっしゃい」と声をかけてきた。淋しくも嫌でもないらしい。

「ああ、行ってくるよ!」

 そう言った手前、もう後には引けない。みやげもなしだ。
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