魔王と神子の入れ替わり
4 魔王
何かに死というものが訪れる時、それは新たな生物が登場する前触れかも知れぬ。我――魔王も例外ではないのだ。
そもそも魔王に血筋は関係ない。我の先代の顔は肖像画で知ったのだし、父と呼ぶには情報が少なすぎる。
とにかく我が死んでも、新たな魔王が登場する。肖像画が増えるだけで魔族は滅びない。
それはなぜかとたずねられれば、魔族は人間のように子をなさない。下級の魔族であっても毒の沼や霧で作られた物質に過ぎないのだ。
すなわち、魔王も単なる物質である。魔王が消えれば新たな魔王が生まれるのだ。
そのため、死を迎えれば、我の体がなくなることも承知していた。我の魂も消えてしまうと考えていたのだが、予想に反して瞼が開く。ぼんやりとかすんだ視界が徐々に晴れて広がっていく。それが完全に開けたとき、肌色に輪郭が生まれた。すべては人間の顔だった。
「神子さま!」
声が聞こえた。1つとは限らず、かなり多くの声が「神子さま」と呼ぶ。
「あ」小さく声がもれる。
確かに我の唇から発せられたそれは、甲高くまだ大人に成りきれていない子のような声だった。なぜだ。状況が把握しきれない。
「神子さま! しっかり!」
彼らが我の手を取る。見たくもないのに見てしまった。我の手が青白くない。まるで、脈々と赤い血が流れているかのようだ。
そして、帯びるこの赤さは血だけではなかった。人間の肌も空も赤く染まっている。焼きつくすような戦火が辺りを取り囲んでいたためだ。これはまさしく魔族に破壊されようとする人間の世界だった。
我はなぜか、神子になったらしい。認めたくはないが、人間の世界にやってきてしまったようだ。
「神子さま、ここはもうダメです」
野太い声が薄暗く言った。屈強な筋肉も下がり、表情も暗く絶望で満ちていた。
「あたしたち死んじゃうの?」
「そうね。もうダメかもしれないわね」
親子はくっつきながら、肩を震わせている。人間の行動を眺めていると、しわくちゃな手が我の指を掴んだ。
「神子さま。お願いがあります。最期にわたしたちを殺してはくれませんか?」
年老いた男が我に迫ってくる。なぜ、人間は結局死ぬのに、わざわざ殺されようとするのか。
「なぜ、殺さなければならん。お前らはどうせ死ぬのに」
「なぜ、ですと? 決まっておりますよ。魔族などに殺されるなんて誇りを傷つけられるようなものだ。ならば、神子さまの輝くような美しい手で殺されたい。みなもそう願っております」
辺りを見渡せば、人間どもの目がこちらを見ていた。しかし、どこか視線が定まっていない。みな、遠くを見つめて、顔だけを我に向けている。
なぜ、誰もおかしいと口にしない。狂っていると思わないのか。我の手に冷たい銀色のナイフを握らせて、年老いた男は場違いに笑った。
「では、女子供から」
年老いた男は母親といた子供を引き離し、我の前に連れてこようとした。しかし、子供は年老いた男の狂気に怯えながら、泣きわめく。
「泣くな!」
怒鳴り声で脅して黙らせると、我に笑みを向けた。胸くそが悪くなるような笑みに思わず舌打ちが出る。
確かに魔王の我は人間の滅び行く姿を嬉しく思っていた。あんな荒れた地に追いやられた憎しみは計り知れない。だが、これは違う。
「では神子さま」
「違う」
「へっ?」
「我は神子ではない」
「何をご冗談を」
「我はこの世界を破壊した魔王だ。この手で殺されたくはないだろう、なあ?」
年老いた男の顔が上気する。肩が震え、怒りが止まらないのだろう。
「……役立たずの神子がこの期におよんで何を言っている?」
「ほう、本性はそれか」
「貴様の力が無能なせいで、勇者さまは死に、俺たちが滅びなくてはならなくなった。すべて貴様のせいだ!」
銀色のナイフが乱暴に奪われる。こいつら人間どもは知らない。勇者がなぜ戦ったのか。確かに表向きは世界を救うためだったろう。
だが、そんな小さいことのためで人は命を投げ出さない。愛するものが平和を望むから戦ったのだ。死ぬまで勇者は神子を想っていた。
神子はお前ら人間を想っていたが、最期にこの仕打ちとは。まったく笑わせる。そして、なぜ我が神子の代わりに殺されなくてはならないのか。
もしや、世界は神子を愛しすぎているのかもしれない。滅び行く人間の世界を見せまいとしたのかもしれない。
それならば、我は。
「待てよ、人間ども。取引をしないか?」
「取引だと」
「ああ、我ならこの危機を脱してやろう。ただし、平和となった暁には、この世界の王は我だ。いいな?」
「いいが、できるわけ……」
神子の力など大したことはなかろうが、引き出し方は心得ている。人間どもを生かすのは本意ではないが、お前らが震え上がるような世界を作り出してやる。覚悟をしておけ。
何かに死というものが訪れる時、それは新たな生物が登場する前触れかも知れぬ。我――魔王も例外ではないのだ。
そもそも魔王に血筋は関係ない。我の先代の顔は肖像画で知ったのだし、父と呼ぶには情報が少なすぎる。
とにかく我が死んでも、新たな魔王が登場する。肖像画が増えるだけで魔族は滅びない。
それはなぜかとたずねられれば、魔族は人間のように子をなさない。下級の魔族であっても毒の沼や霧で作られた物質に過ぎないのだ。
すなわち、魔王も単なる物質である。魔王が消えれば新たな魔王が生まれるのだ。
そのため、死を迎えれば、我の体がなくなることも承知していた。我の魂も消えてしまうと考えていたのだが、予想に反して瞼が開く。ぼんやりとかすんだ視界が徐々に晴れて広がっていく。それが完全に開けたとき、肌色に輪郭が生まれた。すべては人間の顔だった。
「神子さま!」
声が聞こえた。1つとは限らず、かなり多くの声が「神子さま」と呼ぶ。
「あ」小さく声がもれる。
確かに我の唇から発せられたそれは、甲高くまだ大人に成りきれていない子のような声だった。なぜだ。状況が把握しきれない。
「神子さま! しっかり!」
彼らが我の手を取る。見たくもないのに見てしまった。我の手が青白くない。まるで、脈々と赤い血が流れているかのようだ。
そして、帯びるこの赤さは血だけではなかった。人間の肌も空も赤く染まっている。焼きつくすような戦火が辺りを取り囲んでいたためだ。これはまさしく魔族に破壊されようとする人間の世界だった。
我はなぜか、神子になったらしい。認めたくはないが、人間の世界にやってきてしまったようだ。
「神子さま、ここはもうダメです」
野太い声が薄暗く言った。屈強な筋肉も下がり、表情も暗く絶望で満ちていた。
「あたしたち死んじゃうの?」
「そうね。もうダメかもしれないわね」
親子はくっつきながら、肩を震わせている。人間の行動を眺めていると、しわくちゃな手が我の指を掴んだ。
「神子さま。お願いがあります。最期にわたしたちを殺してはくれませんか?」
年老いた男が我に迫ってくる。なぜ、人間は結局死ぬのに、わざわざ殺されようとするのか。
「なぜ、殺さなければならん。お前らはどうせ死ぬのに」
「なぜ、ですと? 決まっておりますよ。魔族などに殺されるなんて誇りを傷つけられるようなものだ。ならば、神子さまの輝くような美しい手で殺されたい。みなもそう願っております」
辺りを見渡せば、人間どもの目がこちらを見ていた。しかし、どこか視線が定まっていない。みな、遠くを見つめて、顔だけを我に向けている。
なぜ、誰もおかしいと口にしない。狂っていると思わないのか。我の手に冷たい銀色のナイフを握らせて、年老いた男は場違いに笑った。
「では、女子供から」
年老いた男は母親といた子供を引き離し、我の前に連れてこようとした。しかし、子供は年老いた男の狂気に怯えながら、泣きわめく。
「泣くな!」
怒鳴り声で脅して黙らせると、我に笑みを向けた。胸くそが悪くなるような笑みに思わず舌打ちが出る。
確かに魔王の我は人間の滅び行く姿を嬉しく思っていた。あんな荒れた地に追いやられた憎しみは計り知れない。だが、これは違う。
「では神子さま」
「違う」
「へっ?」
「我は神子ではない」
「何をご冗談を」
「我はこの世界を破壊した魔王だ。この手で殺されたくはないだろう、なあ?」
年老いた男の顔が上気する。肩が震え、怒りが止まらないのだろう。
「……役立たずの神子がこの期におよんで何を言っている?」
「ほう、本性はそれか」
「貴様の力が無能なせいで、勇者さまは死に、俺たちが滅びなくてはならなくなった。すべて貴様のせいだ!」
銀色のナイフが乱暴に奪われる。こいつら人間どもは知らない。勇者がなぜ戦ったのか。確かに表向きは世界を救うためだったろう。
だが、そんな小さいことのためで人は命を投げ出さない。愛するものが平和を望むから戦ったのだ。死ぬまで勇者は神子を想っていた。
神子はお前ら人間を想っていたが、最期にこの仕打ちとは。まったく笑わせる。そして、なぜ我が神子の代わりに殺されなくてはならないのか。
もしや、世界は神子を愛しすぎているのかもしれない。滅び行く人間の世界を見せまいとしたのかもしれない。
それならば、我は。
「待てよ、人間ども。取引をしないか?」
「取引だと」
「ああ、我ならこの危機を脱してやろう。ただし、平和となった暁には、この世界の王は我だ。いいな?」
「いいが、できるわけ……」
神子の力など大したことはなかろうが、引き出し方は心得ている。人間どもを生かすのは本意ではないが、お前らが震え上がるような世界を作り出してやる。覚悟をしておけ。