魔王と神子の入れ替わり

元神子の憂い

 わたしが神子だった頃、勇者様とともに散歩に出かけたことがありました。勇者様はいつもほほえんで、わたしの本当の名前を呼んでくれました。そして、別れのとき、勇者様はおっしゃいました。

「必ず、戻る。もし戻ったらそのときは、あなたを……」

「わたしを?」

「いえ、戻ったときに言います。どうか、お元気で」

 結局、勇者様の姿を見たのはそれが最後になりました。きっと、お互いに最後になるなどとは知らなかったのでしょう。いつものようにほがらかに笑う勇者様。お手を振り、遠ざかっていくお姿。魔王となった今も時々思い返すのです。

 それは、目をつむるとき(魔王に眠る習慣はないようですが)、色あせた写真を見るようにぼんやりと勇者様が浮かんできます。顔がぼやけているのはわたしの記憶が不確かなものになっているためでしょう。

 神子であった記憶も少しずつ薄れている気がするのです。そのうち、神子であったことを忘れ、魔王としての記憶が残るのでしょうか。椅子に腰をかけながら、そんなことを考えていたら、止まり木にぶら下がっていたウピリさんが「まっおうさま?」と声をかけてきました。

「ウピリさん……」

 さみしいとは思います。まだわたしに名前があった頃、神子となり、人々を導かなければならなくなった頃、魔王になった頃。すべては今のわたしを作り出してきた記憶です。どれが欠けてもわたしではないのです。

「わたし、魔王になる前は神子をしていました。あなたと敵対する立場だったのです」

 ずっと言えずにいました。もし知られてしまえば、ウピリさんに嫌われると思ったからです。でも、ウピリさんだけにはわたしのすべてを知っておいてほしいと感じたのも確かでした。

「もし、わったしがそちらがわに立っていたら、わったしもまっおうさまに敵対していたでしょう。ですから我々物体は、立っている場所で生き方が変わるのです。でも、あなたは心でこの世界を変えようとしています。わったしはそんなあなたにおつかいできて嬉しく……また、その……」

 途中まで染みるようなお話をしていたのに、だんだん歯切れが悪くなっていきます。どうされたのでしょう? 今度はわたしが心配する番でした。

「このような想いは断じて許されるものではないと承知しているのですが、何分、はじめてなことで……」

「ウピリさん?」

「愛を語るなど魔物としてどうかと思うのですが、あなたのためならわったしは翼を畳む覚悟です。言いましょう」

 ウピリさんはひらひらとわたしの目の前に飛んでくると、つぶれた鼻を寄せてきました。わたしの鼻先にちょこんと鼻を合わせたあと、しばし無言になりました。

 そして、翼をマントのようにして、わたしの体をくるみます。ウピリさんの翼がかなり伸び縮みすることはここではじめて知りました。あたたかな翼のなかで顔を上げると、ウピリさんの丸い目がありました。

「あなたを……生涯をかけて、愛します」

 「愛します」と言われて嬉しくないはずがありません。ずっとわたしは自分だけが一方的に好いていると思っていたのですから。

 では、これからはずっと一緒ですね。体も心も。

 そう伝えると、ウピリさんは震えだし、一層強く抱き締めてくれました。

おわり
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