すべての元凶はあなた
第7話『笑え』
聖霊くんの体がまぼろしのようにすっかり消えてしまうと、何もすることがなかった。だからって、ずっとこうしているわけにはいかないし、ローラントに迷惑をかけたこともある。一応、「ごめんなさい」くらいは言わないと気が済まない。
彼は扉の先にいるだろうか。いてくれたら楽なんだけれど。そう思って、ベッドから降りるなり、ドアノブを掴んだ。
扉を開けたらぼんやりとした明かりが部屋を照らしていた。それに、ソファーの背もたれに寄りかかる誰かが見えた。印象的な赤い髪に自分が落ちこむのがわかる。ローラントじゃない。
ウィルは後ろにいたわたしに仏頂面を向ける。どこにも逃げ場はない。
「起きたか、救い主」
宗教とかは知らないけれど、「救い主」と呼ばれる人は偉い人じゃないのだろうか。仮だとしても「救い主」なのに、扱いが雑だ。母に叱られるのを待つように、わたしは顔をうつむかせた。
「顔を上げろ」
いえ、上げたくありません。なんて、きっぱり言えたらどんなにいいか。言えたとしても通じないのが悔しい。仕方なく顔を上げると、いつの間にか、ソファから離れたウィルは、わたしの目の前にいた。
「笑え」
シンプルな命令だなと思う。簡単だ、口の端を上げるだけでいい。笑ってみる。けれど、ウィルは満足いかないようで眉間にしわを寄せた。
「ひきつっている」
だろうなと思う。幼いわたしは屈託なく笑えたのに、今のわたしは口の端を上げるのがせいいっぱいだ。うまく笑えている気がしない。
「明日は救い主降臨を祝う儀式が行われる。お前は救い主として信者たちを安心させなければならない。常に笑みを浮かべろ、こうやってな」
ウィルはいきなりわたしの頬に手をそえる。かわいた親指に力をいれて、口の端を強引に上げた。
人からしてみたら、かなり上げないと、笑っているように見えないらしい。というか、指に力を入れすぎだと思う。痛い。痛がっているわたしにもウィルは気をつかってくれない。
「明日の朝、迎えにくる。それまで寝ていろ。部屋の外にはローラントがいる。何かあればそいつに言え。わかったな」
言いたいことだけ短く言い捨てて、ウィルの手は離れていく。まるで昼間と同じだ。何の進歩もない。部屋の外に出ようとする背中に「あ、あの」と声をかける。
「もしかして、わたしが起きるのを待っていてくれたの……ですか?」
ウィルの足が止まっている間に疑問を投げかけてみた。何となく、そんな気がして。だけど、「わからん」と一蹴される。
「……だが、何かを問いかけられているような気がする」
嘘。少しは通じるのだ。期待していなかった分、驚いていたら、「おい」と声がさえぎった。
「無駄なことは考えず、早く寝ろ」
もしかしたら、がんばれば、コミュニケーションが取れるかもしれない。そんな淡い期待が頭によぎった。
ウィルがいなくなってしまうと部屋には明かりだけが残された。ろうそくがすり減って火が消えてしまう前に、外にいるローラントに会っておきたい。
開いた扉を盾にして顔をひょっこり出すと、ローラントは背筋を正して立っていた。通路側を真っ直ぐ見て、警護をしてくれていたらしい。目が合うと眼鏡越しの瞳を丸くさせる。
「エマ様!」
そんなに大声を出さなくてもいいのに。ローラントも自分で気がついたのか、咳払いをしてまた定位置に着く。
「ど、どうされましたか?」
改めて問いかけられた。わたしは深呼吸をして、目的通りに「迷惑をかけてごめんなさい!」と頭を下げた。もちろん、ローラントからの反応は期待しない。自分がすっきりしたかっただけ。
目標は果たしたし、「失礼します!」と部屋に引っこもうとしたところで、急に腕を取られた。ただ、わたしを引き留めたかっただけのようで、腕はすぐに自由になる。
「あの、エマ様。残念ながら、エマ様のお言葉は理解できず申し訳ありません。それと、お体のほうはどうですか? 痛いところはありませんか?」
わたしが言葉を話せないことを気づかってくれたのだろう。うなずくか、首を振るかで答えられる質問に変えてくれた。わたしは首を横に振る。答えれば、ローラントは息を吐き出して、顔を正面に戻したときに微笑んだ。
「良かった」
何だろう。ローラントの仕草や言葉には嫌味がない。だからか、すっごく安心する。うまく笑えないから、心で笑うしかないけれど。わたしが開け放った扉の先を指差すと、ローラントは意図を汲み取ってくれた。
「お休みなさい」
わたしは挨拶する代わりにうなずいて見せる。たったそれだけで、ローラントが笑ってくれたのが素直に嬉しい。よく眠れそうな気がした。
聖霊くんの体がまぼろしのようにすっかり消えてしまうと、何もすることがなかった。だからって、ずっとこうしているわけにはいかないし、ローラントに迷惑をかけたこともある。一応、「ごめんなさい」くらいは言わないと気が済まない。
彼は扉の先にいるだろうか。いてくれたら楽なんだけれど。そう思って、ベッドから降りるなり、ドアノブを掴んだ。
扉を開けたらぼんやりとした明かりが部屋を照らしていた。それに、ソファーの背もたれに寄りかかる誰かが見えた。印象的な赤い髪に自分が落ちこむのがわかる。ローラントじゃない。
ウィルは後ろにいたわたしに仏頂面を向ける。どこにも逃げ場はない。
「起きたか、救い主」
宗教とかは知らないけれど、「救い主」と呼ばれる人は偉い人じゃないのだろうか。仮だとしても「救い主」なのに、扱いが雑だ。母に叱られるのを待つように、わたしは顔をうつむかせた。
「顔を上げろ」
いえ、上げたくありません。なんて、きっぱり言えたらどんなにいいか。言えたとしても通じないのが悔しい。仕方なく顔を上げると、いつの間にか、ソファから離れたウィルは、わたしの目の前にいた。
「笑え」
シンプルな命令だなと思う。簡単だ、口の端を上げるだけでいい。笑ってみる。けれど、ウィルは満足いかないようで眉間にしわを寄せた。
「ひきつっている」
だろうなと思う。幼いわたしは屈託なく笑えたのに、今のわたしは口の端を上げるのがせいいっぱいだ。うまく笑えている気がしない。
「明日は救い主降臨を祝う儀式が行われる。お前は救い主として信者たちを安心させなければならない。常に笑みを浮かべろ、こうやってな」
ウィルはいきなりわたしの頬に手をそえる。かわいた親指に力をいれて、口の端を強引に上げた。
人からしてみたら、かなり上げないと、笑っているように見えないらしい。というか、指に力を入れすぎだと思う。痛い。痛がっているわたしにもウィルは気をつかってくれない。
「明日の朝、迎えにくる。それまで寝ていろ。部屋の外にはローラントがいる。何かあればそいつに言え。わかったな」
言いたいことだけ短く言い捨てて、ウィルの手は離れていく。まるで昼間と同じだ。何の進歩もない。部屋の外に出ようとする背中に「あ、あの」と声をかける。
「もしかして、わたしが起きるのを待っていてくれたの……ですか?」
ウィルの足が止まっている間に疑問を投げかけてみた。何となく、そんな気がして。だけど、「わからん」と一蹴される。
「……だが、何かを問いかけられているような気がする」
嘘。少しは通じるのだ。期待していなかった分、驚いていたら、「おい」と声がさえぎった。
「無駄なことは考えず、早く寝ろ」
もしかしたら、がんばれば、コミュニケーションが取れるかもしれない。そんな淡い期待が頭によぎった。
ウィルがいなくなってしまうと部屋には明かりだけが残された。ろうそくがすり減って火が消えてしまう前に、外にいるローラントに会っておきたい。
開いた扉を盾にして顔をひょっこり出すと、ローラントは背筋を正して立っていた。通路側を真っ直ぐ見て、警護をしてくれていたらしい。目が合うと眼鏡越しの瞳を丸くさせる。
「エマ様!」
そんなに大声を出さなくてもいいのに。ローラントも自分で気がついたのか、咳払いをしてまた定位置に着く。
「ど、どうされましたか?」
改めて問いかけられた。わたしは深呼吸をして、目的通りに「迷惑をかけてごめんなさい!」と頭を下げた。もちろん、ローラントからの反応は期待しない。自分がすっきりしたかっただけ。
目標は果たしたし、「失礼します!」と部屋に引っこもうとしたところで、急に腕を取られた。ただ、わたしを引き留めたかっただけのようで、腕はすぐに自由になる。
「あの、エマ様。残念ながら、エマ様のお言葉は理解できず申し訳ありません。それと、お体のほうはどうですか? 痛いところはありませんか?」
わたしが言葉を話せないことを気づかってくれたのだろう。うなずくか、首を振るかで答えられる質問に変えてくれた。わたしは首を横に振る。答えれば、ローラントは息を吐き出して、顔を正面に戻したときに微笑んだ。
「良かった」
何だろう。ローラントの仕草や言葉には嫌味がない。だからか、すっごく安心する。うまく笑えないから、心で笑うしかないけれど。わたしが開け放った扉の先を指差すと、ローラントは意図を汲み取ってくれた。
「お休みなさい」
わたしは挨拶する代わりにうなずいて見せる。たったそれだけで、ローラントが笑ってくれたのが素直に嬉しい。よく眠れそうな気がした。