すべての元凶はあなた
おまけ『ある日の元凶』
――ある表情――
あの娘は何だ。こちらは言葉が通じないというのに、それを感じさせない。眉やその下の大きな瞳、口元は雄弁だ。表情だけで何が言いたいのかが伝わってくる。おそらくこの娘、人を騙す能力は皆無だろう。
しかしながら、俺を呪いたいとはいい度胸だ。言い当てた時、図星だというように口を開けた顔が間抜けで、おかしくて、笑ってしまった。笑うなんて感覚は久々だった。
このように笑ったのはどのくらい前だろうか。……あの日、以来かもしれない。
――ある食事風景――
固いパンをスープに浸し、噛み締めるように食べる娘。唇から少しはみ出たスープの汁を親指で拭う娘。
人の食事風景など面白くもなんともないが、他に見るものがないのだ。仕方あるまい。
時折、娘が俺に視線を寄越して、気にする素振りを見せる。いちいち眉根を寄せて、不機嫌な顔にしてみせる。つまりは「見るな」と言っているのだろう。
しかしながら、他に見るものがないのだ。仕方なかろう。娘の言いたいことには無視を決めて、動く頬袋をただただ眺めた。
――ある病――
起きてこない救い主に焦れて、寝室に突入したものの、バカを前にして頭を抱えたくなった。
喉をやられた救い主はしわがれた声で何か言おうとする。まさか、病にかかるとは。
どこの救い主が病にかかるというのだ。病にかかった救い主など、もはや救い主ではない。ただの人間である。
この状態で信者に会わせることはできまい。断じて、救い主の身を案じて部屋にこもれと言ったのではない。すべては信者のためだ。信者の救い主像を壊してはならない。それは神殿存続には大事なことだ。
よって、しばらくは神殿を閉じずにはいられなくなった。
――飴――
救い主は俺の名を呼び、巷の小娘が喜びそうな細工がされた器を突き出してくる。器のなかにある丸いものは飴の類いか。救い主は黒い笑みを浮かべながら、しきりに飴をすすめてくる。
何がやりたいのか、見当もつかないのだが、くれるというならもらっておくか。毒を入れるほどしたたかではないだろうし。
一粒飴をつまみ、口に入れる。
甘い。だが、甘いものは嫌いではない。むしろ、好きだ。幼い頃、神殿の神官からもらった飴はもっと甘かった。
「甘いものは嫌いではない」
なかなかの羞恥心を胸に秘めながら言ったものの、救い主からの反応はなかった。
「悪いか?」
救い主は違うというように首を横に振ってみせるが、かなり意外だったのだろう。俺もなぜ、こんな話をしたのか理解に苦しむ。これ以上の気まずさに耐えきれずに部屋を逃げ出した。
――服――
嫌な話を聞かれたと思った。救い主との謁見を願い出た連中は、救い主にとって、あまりいい連中ではない。救い主が不安げに瞳を潤ませているように見えて、咄嗟に口に出た。「お前をたやすく手放すことはしない」と。
口に出してから、よくも言ったものだと羞恥心が胸を支配した。こいつを呼び出したのは俺であり、救い主という立場を強いているのはやはり俺である。こいつにとって俺は連中よりも忌み嫌われる存在だった。それは事実である。
何を言っているのか、自分でも呆れる。今日の俺はおかしい。早めに立ち去ろうと救い主から背中を向けたのだが、服が引っ張られるような感覚に、思わず足を止める。後ろを振り向き、確かめる。腰辺りを見下ろすと白い指が服を掴んでいた。
「おい」と声をかければ、救い主の肩が飛び上がった。まさか俺が怒るとでも思っているのか。
「急に服を掴むな。驚くだろうが」
これくらい何とも思わない。しかし、直接触れているわけでもないのに、なぜ、こんなにも腰辺りがあたたかく感じるのだろうか。こいつの体温が高いのか。それとも他に理由があるのか。今の俺にはわかりそうにもなかった。
おわり
――ある表情――
あの娘は何だ。こちらは言葉が通じないというのに、それを感じさせない。眉やその下の大きな瞳、口元は雄弁だ。表情だけで何が言いたいのかが伝わってくる。おそらくこの娘、人を騙す能力は皆無だろう。
しかしながら、俺を呪いたいとはいい度胸だ。言い当てた時、図星だというように口を開けた顔が間抜けで、おかしくて、笑ってしまった。笑うなんて感覚は久々だった。
このように笑ったのはどのくらい前だろうか。……あの日、以来かもしれない。
――ある食事風景――
固いパンをスープに浸し、噛み締めるように食べる娘。唇から少しはみ出たスープの汁を親指で拭う娘。
人の食事風景など面白くもなんともないが、他に見るものがないのだ。仕方あるまい。
時折、娘が俺に視線を寄越して、気にする素振りを見せる。いちいち眉根を寄せて、不機嫌な顔にしてみせる。つまりは「見るな」と言っているのだろう。
しかしながら、他に見るものがないのだ。仕方なかろう。娘の言いたいことには無視を決めて、動く頬袋をただただ眺めた。
――ある病――
起きてこない救い主に焦れて、寝室に突入したものの、バカを前にして頭を抱えたくなった。
喉をやられた救い主はしわがれた声で何か言おうとする。まさか、病にかかるとは。
どこの救い主が病にかかるというのだ。病にかかった救い主など、もはや救い主ではない。ただの人間である。
この状態で信者に会わせることはできまい。断じて、救い主の身を案じて部屋にこもれと言ったのではない。すべては信者のためだ。信者の救い主像を壊してはならない。それは神殿存続には大事なことだ。
よって、しばらくは神殿を閉じずにはいられなくなった。
――飴――
救い主は俺の名を呼び、巷の小娘が喜びそうな細工がされた器を突き出してくる。器のなかにある丸いものは飴の類いか。救い主は黒い笑みを浮かべながら、しきりに飴をすすめてくる。
何がやりたいのか、見当もつかないのだが、くれるというならもらっておくか。毒を入れるほどしたたかではないだろうし。
一粒飴をつまみ、口に入れる。
甘い。だが、甘いものは嫌いではない。むしろ、好きだ。幼い頃、神殿の神官からもらった飴はもっと甘かった。
「甘いものは嫌いではない」
なかなかの羞恥心を胸に秘めながら言ったものの、救い主からの反応はなかった。
「悪いか?」
救い主は違うというように首を横に振ってみせるが、かなり意外だったのだろう。俺もなぜ、こんな話をしたのか理解に苦しむ。これ以上の気まずさに耐えきれずに部屋を逃げ出した。
――服――
嫌な話を聞かれたと思った。救い主との謁見を願い出た連中は、救い主にとって、あまりいい連中ではない。救い主が不安げに瞳を潤ませているように見えて、咄嗟に口に出た。「お前をたやすく手放すことはしない」と。
口に出してから、よくも言ったものだと羞恥心が胸を支配した。こいつを呼び出したのは俺であり、救い主という立場を強いているのはやはり俺である。こいつにとって俺は連中よりも忌み嫌われる存在だった。それは事実である。
何を言っているのか、自分でも呆れる。今日の俺はおかしい。早めに立ち去ろうと救い主から背中を向けたのだが、服が引っ張られるような感覚に、思わず足を止める。後ろを振り向き、確かめる。腰辺りを見下ろすと白い指が服を掴んでいた。
「おい」と声をかければ、救い主の肩が飛び上がった。まさか俺が怒るとでも思っているのか。
「急に服を掴むな。驚くだろうが」
これくらい何とも思わない。しかし、直接触れているわけでもないのに、なぜ、こんなにも腰辺りがあたたかく感じるのだろうか。こいつの体温が高いのか。それとも他に理由があるのか。今の俺にはわかりそうにもなかった。
おわり
62/62ページ