すべての元凶はあなた
第59話『夢の終わり』
瞼を開けると、目の前はぼんやりと白かった。見覚えのない風景に戸惑いながらも、徐々に意識がはっきりしてくる。
「絵茉!」
お母さんの声が懐かしく聞こえる。
「絵茉、本当に良かった」
涙を流す母に応えたくて声を出そうとすると、口には呼吸器がついていて、言葉にならない。
そっか。わたし、溺れて死にかけたんだ。お兄ちゃんに会いたくて、ひとりであの場所に行った。きっと、ここは病院なのだろう。
でも、どうやって助かったのか覚えていない。というか、目を覚ます瞬間まで何か夢を見ていたような気がする。それが何なのか、まったく覚えていないのだけれど。周りは慌ただしくなって、入れ替わり立ち替わりに人の顔が見えた。わたしはひとりひとりの顔を確かめながら、また少しずつ意識が遠退いていった。
数日が経った。呼吸器も外れたし、体も起こせるくらいに体調も回復した。ベッドの上で過ごすのはかなりの暇で、備え付けのテレビと買ってもらった単行本を読む日々である。今日もそんな感じかなと思っていたら、珍しいお客さんが来た。果物の入ったバスケットは気分が上がる。
「絵茉、この方がお前を助けてくださったのよ」
バスケットから母の隣に立っていた男性に視線を移した。窓からの光で髪の毛が赤みがかって見える。端正な顔立ち。でも、わたしを見つめる瞳の奥はどこか陰っているように思えた。どこかで会ったことがあるような、なんて不確かな記憶に笑ってしまう。
「ほら、お礼」笑っている場合じゃなかった。偶然通りかかって助けられたことは、恩を感じずにはいられない。
「あ、ありがとうございます」
「いえ」
応急措置も完璧だったらしく、本当にこの人に命を助けられたと言っていいと思う。
「ちょっと売店で飲み物を買ってくるから、ゆっくりしていってくださいね」
相手が格好いいからって、母のテンションは高い。病室でゆっくりなんてできないと思うけれど、とにかく丸椅子をすすめた。母がいなくなってしまえば、何か話題を探さなくてはならない。思いついたことといえば、
「あの、本当にありがとうございます。こうして、お見舞いまで」
「いえ、そんなお礼を言っていただくことではありません。ただ気になっただけですから」
礼儀も正しくて、こちらも背筋を伸ばしたくなってしまう。
「まさか、偶然通りかかって助けられたなんて、運が良かったなあって、自分のことながら思います」
親にも告げずにあの場所に行ったし、溺れる前は誰もいなかったはずだ。
「実は偶然ではないです」
「えっ?」
「変な話かと思いますが、呼ばれたんです」
「呼ばれた?」何を言い出すんだ、この人。
「はい。夢の中で声が聞こえてきたんです。声の方向に進めば、今まさに水中で沈む人を見ました。それがあなたでした。僕は手を伸ばしてあなたの腕を掴んだ。意識を失ったあなたを泳いで岩場に引き上げたんです」
「そんなこと」あるわけないと言おうとして、わたしの言葉は詰まった。断言できなかった。
「自分の部屋で寝ていた僕が、夢を通じてあなたの元へ行けた。瞬間移動したんです」
「信じてはもらえないでしょうが」と呟いた彼の頬は夕日色だった。きっと、子供じみた話をしたと思って恥ずかしいのだろう。わたしは笑ってしまった。
「信じます」
「えっ?」今度は彼が驚いたような声を上げた。
「実際、わたしは助けられましたし、それに……」
彼を呼んだ声の主には心当たりがあった。自分勝手でいつも上から目線で、だけど、最後はわたしのしあわせを願ってくれた。今の今まで、わたしの記憶から抜け落ちていた。でも、ようやくよみがえってくる。あちらの世界での記憶が涙ともに流れてきた。
「だ、大丈夫ですか?」
また、心配かけてしまいそうで、わたしは慌てて指で涙を拭った。
「大丈夫です、ちょっと思い出してしまって」
頭のいい人だから、わたしが元の世界に戻ったとき、溺れるだろうと気づいていた。そして、この目の前の彼を導いて、助けてくれた。ウィル。心のなかで小さく呼んだら、また涙が溢れてしかたなかった。
「あの、わたしも信じられないような夢の中の話をしていいですか?」
たぶん、あなたの話よりも馬鹿げているに違いない。でも、目の前のわたしを救ったこの人は「もちろんです」と快く受け入れてくれた。
瞼を開けると、目の前はぼんやりと白かった。見覚えのない風景に戸惑いながらも、徐々に意識がはっきりしてくる。
「絵茉!」
お母さんの声が懐かしく聞こえる。
「絵茉、本当に良かった」
涙を流す母に応えたくて声を出そうとすると、口には呼吸器がついていて、言葉にならない。
そっか。わたし、溺れて死にかけたんだ。お兄ちゃんに会いたくて、ひとりであの場所に行った。きっと、ここは病院なのだろう。
でも、どうやって助かったのか覚えていない。というか、目を覚ます瞬間まで何か夢を見ていたような気がする。それが何なのか、まったく覚えていないのだけれど。周りは慌ただしくなって、入れ替わり立ち替わりに人の顔が見えた。わたしはひとりひとりの顔を確かめながら、また少しずつ意識が遠退いていった。
数日が経った。呼吸器も外れたし、体も起こせるくらいに体調も回復した。ベッドの上で過ごすのはかなりの暇で、備え付けのテレビと買ってもらった単行本を読む日々である。今日もそんな感じかなと思っていたら、珍しいお客さんが来た。果物の入ったバスケットは気分が上がる。
「絵茉、この方がお前を助けてくださったのよ」
バスケットから母の隣に立っていた男性に視線を移した。窓からの光で髪の毛が赤みがかって見える。端正な顔立ち。でも、わたしを見つめる瞳の奥はどこか陰っているように思えた。どこかで会ったことがあるような、なんて不確かな記憶に笑ってしまう。
「ほら、お礼」笑っている場合じゃなかった。偶然通りかかって助けられたことは、恩を感じずにはいられない。
「あ、ありがとうございます」
「いえ」
応急措置も完璧だったらしく、本当にこの人に命を助けられたと言っていいと思う。
「ちょっと売店で飲み物を買ってくるから、ゆっくりしていってくださいね」
相手が格好いいからって、母のテンションは高い。病室でゆっくりなんてできないと思うけれど、とにかく丸椅子をすすめた。母がいなくなってしまえば、何か話題を探さなくてはならない。思いついたことといえば、
「あの、本当にありがとうございます。こうして、お見舞いまで」
「いえ、そんなお礼を言っていただくことではありません。ただ気になっただけですから」
礼儀も正しくて、こちらも背筋を伸ばしたくなってしまう。
「まさか、偶然通りかかって助けられたなんて、運が良かったなあって、自分のことながら思います」
親にも告げずにあの場所に行ったし、溺れる前は誰もいなかったはずだ。
「実は偶然ではないです」
「えっ?」
「変な話かと思いますが、呼ばれたんです」
「呼ばれた?」何を言い出すんだ、この人。
「はい。夢の中で声が聞こえてきたんです。声の方向に進めば、今まさに水中で沈む人を見ました。それがあなたでした。僕は手を伸ばしてあなたの腕を掴んだ。意識を失ったあなたを泳いで岩場に引き上げたんです」
「そんなこと」あるわけないと言おうとして、わたしの言葉は詰まった。断言できなかった。
「自分の部屋で寝ていた僕が、夢を通じてあなたの元へ行けた。瞬間移動したんです」
「信じてはもらえないでしょうが」と呟いた彼の頬は夕日色だった。きっと、子供じみた話をしたと思って恥ずかしいのだろう。わたしは笑ってしまった。
「信じます」
「えっ?」今度は彼が驚いたような声を上げた。
「実際、わたしは助けられましたし、それに……」
彼を呼んだ声の主には心当たりがあった。自分勝手でいつも上から目線で、だけど、最後はわたしのしあわせを願ってくれた。今の今まで、わたしの記憶から抜け落ちていた。でも、ようやくよみがえってくる。あちらの世界での記憶が涙ともに流れてきた。
「だ、大丈夫ですか?」
また、心配かけてしまいそうで、わたしは慌てて指で涙を拭った。
「大丈夫です、ちょっと思い出してしまって」
頭のいい人だから、わたしが元の世界に戻ったとき、溺れるだろうと気づいていた。そして、この目の前の彼を導いて、助けてくれた。ウィル。心のなかで小さく呼んだら、また涙が溢れてしかたなかった。
「あの、わたしも信じられないような夢の中の話をしていいですか?」
たぶん、あなたの話よりも馬鹿げているに違いない。でも、目の前のわたしを救ったこの人は「もちろんです」と快く受け入れてくれた。