すべての元凶はあなた

第56話『力ずくでも』

 空中にぶらつかせていた足を懸命に締めようとしていたら、緊張を通り越して、もう痺れていた。そろそろ目的地に着いてくれないかなあ。なんて、飽き飽きしていた頃に、背中から「やけに静かだな」と声が聞こえた。

「怖じ気づいたのか?」と続いて聞いてくる。

 一瞬、誰が? と考えてみるけれど、ウィルはどうやら、わたしに向けて言っているらしい。鼻で笑いたくなった。何を今さら、という感じだ。怖じ気づくなんてことはまったくない。この世界に来るときもどんな感じでやってきたのか、まるでわからないし。それに、ウィルなら何とかしてくれると思っているし。

 後のことだって、たとえ、わたしがいなくなったとしてもこの世界は大丈夫だろう。そう思って首を横に振ると、頭上から、ふっと小さな息が漏れた。

「だろうな」

 わかっているなら聞くなと思うけれど、まあ、心配されるのは悪くない。

「ウィル、イル、ダカラ」

「俺がいるからか?」

 素直にうなずいてみると、また、笑い声がした。今度は押し殺したものではなく、はっきりと聞こえた。

「そうだ。お前の役目は俺が引き継ぐ。だから、安心しろ」

 すでに安心している。でも、ウィルが言いたいなら言えばいいと思った。うなずいておけば、ウィルも安心するだろうし。

 それから、ふたりの間に会話らしい会話はなかった。ただただ、変化のないわたしたちを取り残して景色が変わっていくだけだ。

 ゴツゴツした岩肌へ変わっていくと、心が引き締まる思いがした。見慣れた岩肌だ。すべてはここからはじまった。

 少し離れていた間に、崩れた柱も元通りになっていた。柱の間には信者さんたちが集まってきている。お出迎えだろうか、くらいに能天気に思っていたら。

「これはどういうことだ」

 なぜか、ウィルがいぶかしげな声を上げる。ミアさんが着陸する。わたしたちが降りると、ミアさんの姿は人のかたちに戻った。血の気の少ない白い肌は、なぜか、いつもより柱のように無機質に感じられた。

「ミア、説明しろ。なぜ、こんなにも出迎えがいる?」

 ウィルが不機嫌そうに低い声を出しても、ミアさんは動じた様子もなく、微笑んだ。

「わたくしが知らせたからです。この者たちは、他の救い主様を認めません」

「何を言っている?」

「わたくしは救い主様を元の世界に戻させません! 救い主様はここにいるべきです」

 信者さんたちからも「そうだ」と同調する声が上がる。ミアさんはわたしたちの方に向き直って、対立する立場をとった。目や耳から入ってくるすべてのものが信じられなかった。ミアさんがわたしやウィルを裏切るなんて、考えてもみなかった。

「ウィル様、あなたも救い主様を手放したくはないでしょう。笑おうともされなかったあなたが、救い主様の前では笑ったのです。長くいたわたくしやローラントもできなかったことです。それが何よりあなたが救い主様に心を許している証拠です。あなたには救い主様が必要なのです」

 確かに笑うようにはなったと思うけれど。 

「だとしたら、何だ」

「お二人、手をとり合って、ここを守ることが最善であると思います」

 そんなことが可能なのか。

「勝手なことを言うな。何があろうとこいつは元の世界へ戻す」

 ウィルは頑なだった。わたしもそう思っていたけれど、心が揺れかけている。ないと思っていた心残りが胸の奥でうずくような気がした。でも、ウィルはわたしの手首を掴んで、悩みの渦から引き上げてくれた。

「お前は帰るんだ」

 そうだ。強い意志を持ったウィルの視線が決意を促す。わたしも改めて心に決めた。帰るんだ。そして、お母さん、お父さんの元に帰る。

「力ずくでもここは通しません」

 透明な衣がミアさんの身を包みこむ。綺麗だなんて見惚れている場合じゃなかった。ウィルに手を引かれ、わたしは体勢を崩す。さっきまで空中で遊んでいた足は震えていて、しっかりと陸に着いていないのだ。

「走るぞ」そういうウィルの繋いでいない方の手に丸い光が生まれる。玉のようなそれは、投げつけると辺りを光で見えなくさせた。光のなかでウィルの手の感触だけが導いてくれた。
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Clap