すべての元凶はあなた
第52話『会いたかった人』
光の中心に人影が見えた。逆光になってしまい、誰なのかは、はっきりしない。仕方なく辺りを見渡してみると、わたしの足は陸に降りていた。
歩ける。そう解れば、一歩、一歩、光の中心へと近づくことにした。それに連れて、暗かった顔のりんかくがわかるようになってきた。目や鼻、口は形があるのに、ぼやけている。どうやっても、顔がはっきりしない人。聖霊くんだ。
「絵茉」
ふいをつかれて呼ばれる。耳を通しての声は、胸を締めつけるほどの懐かしい響きだった。どうして、名前を呼ばれただけで、こんなにも涙腺を熱くさせるのか。それは、影と改めて向き合ってみてわかる。答えはすでに出ている。目の前に存在する聖霊くんが、わたしの「お兄ちゃん」だからだ。
行方不明になったお兄ちゃん。お兄ちゃんをわたしは見つけ出せなかった。あの日を境に、ずっと、お兄ちゃんを探した。ひとりであの場所に行けるようになってからは、何度も現場に足を運んだ。水面に腕を浸しながら、お兄ちゃんの手を離したことを後悔していた。瞼の裏にしか現れてくれないお兄ちゃんに何度、謝っただろう。
「気づかなくてごめんね。見つけられなくてごめん」
いつしか、わたしはお兄ちゃんより下の目線になっていた。子どもの頃の距離だ。
「絵茉、泣かないで」お兄ちゃんがわたしの頭を優しく撫でる。その触れ方が優しすぎて、ますます泣きたくなった。
「こちらこそ、ごめん。ずっと、後悔してたんだ。絵茉の手を離しちゃったこと」
「お兄ちゃんは悪くない。悪いのはわたしだから」
お兄ちゃんの言いつけを守れなかった、幼いわたしのせいだ。だから、謝らないでほしい。
首を横に振るわたしに、「絵茉」と、優しい声が降ってくる。泣いちゃうのが嫌でうつむいていたいのに、顔を上げると、いつもの暖かい笑顔が目の前に存在していた。
どうして、笑っていられるのかよくわからない。でも、これがお兄ちゃんだった。どんなときも誰かを包みこむように、重い雰囲気を振り払う力があった。嫌なことも一時、忘れさせてくれる。お兄ちゃんの笑顔があったから、わたしたち家族は、笑っていられたのだ。
お兄ちゃんがいなくなってから、父は笑わなくなった。仕事ばかりで家族と過ごす時間がめっきり減った。母はずっと、仏壇に飾られた写真たての前で泣いていた。震える肩を横目に、わたしは申し訳なくて、お兄ちゃんの話題を避けた。
「もう、泣かないで。絵茉の笑顔が好きなんだ」
それは無理だ。お兄ちゃんがいてくれなくちゃ無理なんだ。わたしは首を横に振る。
「ここに来てからの絵茉はよく笑っていた。僕は嬉しかったよ」
「それは何にも思い出せなかったから、お兄ちゃんのこと、忘れていたから。わたしは笑っちゃいけないのに」
「笑っていいんだよ」笑っていいなんておかしい。お兄ちゃんがいないのに笑えるわけない。首を横に振る。
「お兄ちゃん、戻ってきて。そばに居てよ。それなら、ずっと、笑っていられると思う」
お兄ちゃんを困らせることはわかっていた。でも、食い下がりたかった。
「絵茉はもう大丈夫」
大丈夫じゃない! そう叫んだはずなのに、声は声にならなかった。
「大丈夫だよ。絵茉はこれから先も、生きていける。きっと、生きていけるよ」
何を根拠にそんなことが言えるのか。でも、お兄ちゃんは確信があるように強く伝えてくれた。光が強くなってきて瞼を開けているのが辛くなる。もっと、お兄ちゃんを目に焼きつけておきたかったのに、どうも無理みたいだ。暗闇に落ちる前に、「絵茉」と最後にもう一度だけ、お兄ちゃんの声を聞いた。どこまでも優しい声だった。
光の中心に人影が見えた。逆光になってしまい、誰なのかは、はっきりしない。仕方なく辺りを見渡してみると、わたしの足は陸に降りていた。
歩ける。そう解れば、一歩、一歩、光の中心へと近づくことにした。それに連れて、暗かった顔のりんかくがわかるようになってきた。目や鼻、口は形があるのに、ぼやけている。どうやっても、顔がはっきりしない人。聖霊くんだ。
「絵茉」
ふいをつかれて呼ばれる。耳を通しての声は、胸を締めつけるほどの懐かしい響きだった。どうして、名前を呼ばれただけで、こんなにも涙腺を熱くさせるのか。それは、影と改めて向き合ってみてわかる。答えはすでに出ている。目の前に存在する聖霊くんが、わたしの「お兄ちゃん」だからだ。
行方不明になったお兄ちゃん。お兄ちゃんをわたしは見つけ出せなかった。あの日を境に、ずっと、お兄ちゃんを探した。ひとりであの場所に行けるようになってからは、何度も現場に足を運んだ。水面に腕を浸しながら、お兄ちゃんの手を離したことを後悔していた。瞼の裏にしか現れてくれないお兄ちゃんに何度、謝っただろう。
「気づかなくてごめんね。見つけられなくてごめん」
いつしか、わたしはお兄ちゃんより下の目線になっていた。子どもの頃の距離だ。
「絵茉、泣かないで」お兄ちゃんがわたしの頭を優しく撫でる。その触れ方が優しすぎて、ますます泣きたくなった。
「こちらこそ、ごめん。ずっと、後悔してたんだ。絵茉の手を離しちゃったこと」
「お兄ちゃんは悪くない。悪いのはわたしだから」
お兄ちゃんの言いつけを守れなかった、幼いわたしのせいだ。だから、謝らないでほしい。
首を横に振るわたしに、「絵茉」と、優しい声が降ってくる。泣いちゃうのが嫌でうつむいていたいのに、顔を上げると、いつもの暖かい笑顔が目の前に存在していた。
どうして、笑っていられるのかよくわからない。でも、これがお兄ちゃんだった。どんなときも誰かを包みこむように、重い雰囲気を振り払う力があった。嫌なことも一時、忘れさせてくれる。お兄ちゃんの笑顔があったから、わたしたち家族は、笑っていられたのだ。
お兄ちゃんがいなくなってから、父は笑わなくなった。仕事ばかりで家族と過ごす時間がめっきり減った。母はずっと、仏壇に飾られた写真たての前で泣いていた。震える肩を横目に、わたしは申し訳なくて、お兄ちゃんの話題を避けた。
「もう、泣かないで。絵茉の笑顔が好きなんだ」
それは無理だ。お兄ちゃんがいてくれなくちゃ無理なんだ。わたしは首を横に振る。
「ここに来てからの絵茉はよく笑っていた。僕は嬉しかったよ」
「それは何にも思い出せなかったから、お兄ちゃんのこと、忘れていたから。わたしは笑っちゃいけないのに」
「笑っていいんだよ」笑っていいなんておかしい。お兄ちゃんがいないのに笑えるわけない。首を横に振る。
「お兄ちゃん、戻ってきて。そばに居てよ。それなら、ずっと、笑っていられると思う」
お兄ちゃんを困らせることはわかっていた。でも、食い下がりたかった。
「絵茉はもう大丈夫」
大丈夫じゃない! そう叫んだはずなのに、声は声にならなかった。
「大丈夫だよ。絵茉はこれから先も、生きていける。きっと、生きていけるよ」
何を根拠にそんなことが言えるのか。でも、お兄ちゃんは確信があるように強く伝えてくれた。光が強くなってきて瞼を開けているのが辛くなる。もっと、お兄ちゃんを目に焼きつけておきたかったのに、どうも無理みたいだ。暗闇に落ちる前に、「絵茉」と最後にもう一度だけ、お兄ちゃんの声を聞いた。どこまでも優しい声だった。