すべての元凶はあなた
第35話『暗い部屋』
わかっていたはずなのに。わたしは案外、ウィルを信用していた。手荒だったけれど、助けてもらったし、少しは打ち解けてきたかもと思っていた。
だから、ショックが大きかった。逃げ出したところで心が晴れないのはわかっている。でも、あのまま部屋にいたくなかった。ウィルの顔なんて見たくなかった。
ああ、思い出したらまた、胸の辺りがもやもやしてきた。
足を止めて気分転換に辺りを見渡すと、本当に古い神殿だ。人がいなくなって、時だけが過ぎていったという感じがする。人が住まなくなると家がダメになるという話は、嘘ではなかったらしい。
どこかでミアさんが掃除をしていて、別の場所で無神経なふたりは会話をしているというのに、静かだ。これだけ静かだと、自分だけが取り残された気がしてくる。
救い主になってひとりになる機会があまりなかったから、それも影響しているのだろう。ひとりが一層、淋しく感じる。もう子供じゃないし、割りきりたいけれど、感じるものは感じるのだ。
元の世界では高校生だった。お兄ちゃん、お母さんの記憶は断片的に取り戻せた。でも、自分にある深い部分が思い出せない。元の世界ではどうだったんだろう。友達とかはいたのかな。思い出せないのも淋しい。
淋しさを紛らわすように先に進む。細い通路を折れた時、かすかな声が聞こえた。「絵茉」と誰かに呼ばれたような感覚がする。聖霊くんだろうか。聖霊くんは前触れもなく現れるから、また驚かせるつもりかもしれない。
声が聞こえてきた方向にちょうどあった扉を開けてみることにした。ウィルからは、別に「部屋に入るな」とは言われていないし、大丈夫だろう。
わたしはあの仏頂面を頭から追い出して、扉のノブを回した。
部屋のなかは窓の明かりが差しこんでいるだけで、薄暗かった。どこもかしこも白い布がかけられて、その上には落とされることなく、埃が浮いている。
何より目を引いたのが、布に覆われたわたしの背くらいの縦長のものだ。厚みもないし、布をめくってみれば、意外でも何でもない鏡だった。中央だけが磨かれていて、他は曇っていた。
ちょっと覗いてみただけなのに、鏡に吸いこまれるような感覚が襲う。わたしの姿がくすんだ鏡にぼんやり映る。幽霊を見たかのように青白い。血の気が感じられない。
鏡に指で触れたとき、青白い顔は変化した。黒髪が赤い髪に染まり、毛先が緩やかに巻く。わたしではない別人の顔だった。ドレスに身を包んだ女性はまったく見覚えがない。
「誰?」
鏡に映った彼女は腕に赤ちゃんを抱えていた。白いおくるみに包まれた赤ちゃんの髪の毛は赤い。ぷくっと膨れた頬を彼女の指が愛おしそうにつっつく。幸せな光景が鏡のなかで映し出される。
「ウィル」
赤ちゃんがウィルだと思った。赤ちゃんを抱く彼女の顔は微笑んでいたけれど、ウィルにそっくりだった。
幸せな光景に影が差す。彼女の背後に黒装束の男たちが現れ、赤ちゃんを奪った。彼女は赤ちゃんを奪い返そうと腕を伸ばす。腕は男たちに阻まれ、赤ちゃんは連れていかれてしまう。
彼女の腹部を長い剣先が貫く。力なく崩れ落ちた後、彼女は目を見開き、鏡の前で息絶えた。男は最後に彼女の背を踏むと、その場から去っていった。
肩を掴まれて、鏡から現実へと戻された。いつからそこにいたのか、右隣にウィルがいた。
記憶を奪われた怒りはすっかり消えてしまい、むしろ、勝手に見てしまったという罪悪感が襲う。どうしたらいいのか迷っていると、「見たのか?」とたずねられた。嫌味でも言われるだろうか。でも、今さら嘘をつくのは無理だった。見てしまいましたと素直にうなずいた。
ウィルはさらっと目線を流しただけで、鏡にかかっていた布を戻した。
「母の鏡だ。死んでもなお、道具に未練を残すとはな」
やっぱり、赤ちゃんはウィルで、ウィルのお母さんは殺されたんだ。
わかっていたはずなのに。わたしは案外、ウィルを信用していた。手荒だったけれど、助けてもらったし、少しは打ち解けてきたかもと思っていた。
だから、ショックが大きかった。逃げ出したところで心が晴れないのはわかっている。でも、あのまま部屋にいたくなかった。ウィルの顔なんて見たくなかった。
ああ、思い出したらまた、胸の辺りがもやもやしてきた。
足を止めて気分転換に辺りを見渡すと、本当に古い神殿だ。人がいなくなって、時だけが過ぎていったという感じがする。人が住まなくなると家がダメになるという話は、嘘ではなかったらしい。
どこかでミアさんが掃除をしていて、別の場所で無神経なふたりは会話をしているというのに、静かだ。これだけ静かだと、自分だけが取り残された気がしてくる。
救い主になってひとりになる機会があまりなかったから、それも影響しているのだろう。ひとりが一層、淋しく感じる。もう子供じゃないし、割りきりたいけれど、感じるものは感じるのだ。
元の世界では高校生だった。お兄ちゃん、お母さんの記憶は断片的に取り戻せた。でも、自分にある深い部分が思い出せない。元の世界ではどうだったんだろう。友達とかはいたのかな。思い出せないのも淋しい。
淋しさを紛らわすように先に進む。細い通路を折れた時、かすかな声が聞こえた。「絵茉」と誰かに呼ばれたような感覚がする。聖霊くんだろうか。聖霊くんは前触れもなく現れるから、また驚かせるつもりかもしれない。
声が聞こえてきた方向にちょうどあった扉を開けてみることにした。ウィルからは、別に「部屋に入るな」とは言われていないし、大丈夫だろう。
わたしはあの仏頂面を頭から追い出して、扉のノブを回した。
部屋のなかは窓の明かりが差しこんでいるだけで、薄暗かった。どこもかしこも白い布がかけられて、その上には落とされることなく、埃が浮いている。
何より目を引いたのが、布に覆われたわたしの背くらいの縦長のものだ。厚みもないし、布をめくってみれば、意外でも何でもない鏡だった。中央だけが磨かれていて、他は曇っていた。
ちょっと覗いてみただけなのに、鏡に吸いこまれるような感覚が襲う。わたしの姿がくすんだ鏡にぼんやり映る。幽霊を見たかのように青白い。血の気が感じられない。
鏡に指で触れたとき、青白い顔は変化した。黒髪が赤い髪に染まり、毛先が緩やかに巻く。わたしではない別人の顔だった。ドレスに身を包んだ女性はまったく見覚えがない。
「誰?」
鏡に映った彼女は腕に赤ちゃんを抱えていた。白いおくるみに包まれた赤ちゃんの髪の毛は赤い。ぷくっと膨れた頬を彼女の指が愛おしそうにつっつく。幸せな光景が鏡のなかで映し出される。
「ウィル」
赤ちゃんがウィルだと思った。赤ちゃんを抱く彼女の顔は微笑んでいたけれど、ウィルにそっくりだった。
幸せな光景に影が差す。彼女の背後に黒装束の男たちが現れ、赤ちゃんを奪った。彼女は赤ちゃんを奪い返そうと腕を伸ばす。腕は男たちに阻まれ、赤ちゃんは連れていかれてしまう。
彼女の腹部を長い剣先が貫く。力なく崩れ落ちた後、彼女は目を見開き、鏡の前で息絶えた。男は最後に彼女の背を踏むと、その場から去っていった。
肩を掴まれて、鏡から現実へと戻された。いつからそこにいたのか、右隣にウィルがいた。
記憶を奪われた怒りはすっかり消えてしまい、むしろ、勝手に見てしまったという罪悪感が襲う。どうしたらいいのか迷っていると、「見たのか?」とたずねられた。嫌味でも言われるだろうか。でも、今さら嘘をつくのは無理だった。見てしまいましたと素直にうなずいた。
ウィルはさらっと目線を流しただけで、鏡にかかっていた布を戻した。
「母の鏡だ。死んでもなお、道具に未練を残すとはな」
やっぱり、赤ちゃんはウィルで、ウィルのお母さんは殺されたんだ。