すべての元凶はあなた
第28話『大事な記憶』
景色が光から水のなかへと変わる。これは夢の中だと思った。
小さな手でかきわけて水面から顔を出せば、白んだ空とゴツゴツとした岩場があった。なかでも大きな岩に子どもたちがよじ上り、その場所から水面に向かって落ちていく。ようは子供たちによる度胸試しだ。
「絵茉、危ないからやめなよ」
「平気、平気」
かたわらにいるお兄ちゃんは心配性で、わたしが失敗しないように、いつも先回りして助けてくれるような人だった。でも、わたしは忠告を真面目に聞くような妹じゃなかった。お兄ちゃんの予想通りに、まんまと失敗した。泣いて悔しがるわたしを慰めるのも、お兄ちゃんの役目だった。
しっかり者の兄とおバカな妹。今回も同じだ。お兄ちゃんが止めるのも聞かずに、わたしは岩によじ登った。恐怖なんてなかった。恐怖を感じる前に、岩から落ちた。体が水しぶきを上げて落ちる寸前に場面は切り替わった。
――あの後、どうなったのかわからない。心配性なお兄ちゃんをひやひやさせたのかもしれないし、水が鼻のなかに入って「もう二度とやりたくない」と思ったのかもしれない。
この記憶も母の記憶と同じくらい取るに足らない気もする。でも、大好きだったお兄ちゃんのことが思い出せた。それを考えれば、わたしにとっては大事な記憶なのかもしれない。
大事な記憶を胸にしまってから、わたしは目を開けた。いきなりの光に目がくらむ。眩しくて周りが見えなくても、頭から背中にかけて、何かに、もたれかかっているのはわかる。人間にしては固くて大きいような気がする。
光に慣れてきた目で背中を確かめてみると、白い腹が見えた。びっしりとうろこに覆われた背、大きな頭、牙まで視線を移したところで、その正体がわかった。
「ドラゴン?」
しかも、羽をたたんで横たわっている。目をつむって呼吸を続けている分には食べられる心配は無さそうだ。頭のなかを整理してみると、わたしはドラゴンの腹にもたれて寝ていたらしい。
黒いドラゴンのほうではなく白いドラゴンということは、助かったのだろうか。記憶をたどろうとしたとき、横から誰かの足音が聞こえてきた。
「起きたか?」
「ウィル」
あのウィルが不機嫌そうに眉根を寄せて、森の向こうから歩いてきた。ここは神殿でもなく、風の吹く丘だった。普段はウィルを見かけたところで嬉しさを一ミリも感じないのに、知り合いに会えて安心できた。
わざわざドラゴンの胴体から回りこんで、彼に駆け寄った。
「ウィル、ウィル」
わたしは言葉を覚えたての子供のように何度も繰り返す。目の前にウィルがいる。嬉しさのあまり背伸びをして、ウィルの首に腕を回す。ウィルも嫌がればいいのにそのままにするから、わたしは調子に乗って腕の力を強めた。必然とウィルの胸にわたしの頬がくっつく。その間、ウィルはただ何もしなかった。ただただたたずんでいた。
――わたし、何をやっているんだろう?
寝起きの頭がはっきりしてきて我に返った。慌ててウィルから距離を取る。
「こ、これは、そ、その」
どもりまくっても相手に伝わるはずがないのに。ウィル相手に動揺するなんて、一生の不覚、本当に恥。少し前のわたしはおかしかった。ウィルがいて嬉しいなんてありえない。
「救い主」
「な、何」やっぱり嫌味でも言われるのか。しかし、身構えた意味はなく、ウィルの指がわたしの頬に伸ばされる。後退りすると、手は下りた。
「怪我は無いようだな」
意識を失う前の記憶が今まさによみがえった。この男、人質になったわたしを助けずに(結果的には助かったけど)、敵を攻撃したのだ。へたをしたら、怪我をするどころでは済まなかった。本当に運が良かっただけだ。
にらみつける。やっぱり効果はなかったけれど、そうしないと気が済まなかった。
「おい、ミア、起きろ」
ウィルは白いドラゴンのところまで近寄って、変なことを言った。ミアさんなんてどこにいるのだろう。
ウィルの視界に映っているのは、白いドラゴンしかいない。つまり、白いドラゴンは、優しくて親切なミアさん? まさか。
景色が光から水のなかへと変わる。これは夢の中だと思った。
小さな手でかきわけて水面から顔を出せば、白んだ空とゴツゴツとした岩場があった。なかでも大きな岩に子どもたちがよじ上り、その場所から水面に向かって落ちていく。ようは子供たちによる度胸試しだ。
「絵茉、危ないからやめなよ」
「平気、平気」
かたわらにいるお兄ちゃんは心配性で、わたしが失敗しないように、いつも先回りして助けてくれるような人だった。でも、わたしは忠告を真面目に聞くような妹じゃなかった。お兄ちゃんの予想通りに、まんまと失敗した。泣いて悔しがるわたしを慰めるのも、お兄ちゃんの役目だった。
しっかり者の兄とおバカな妹。今回も同じだ。お兄ちゃんが止めるのも聞かずに、わたしは岩によじ登った。恐怖なんてなかった。恐怖を感じる前に、岩から落ちた。体が水しぶきを上げて落ちる寸前に場面は切り替わった。
――あの後、どうなったのかわからない。心配性なお兄ちゃんをひやひやさせたのかもしれないし、水が鼻のなかに入って「もう二度とやりたくない」と思ったのかもしれない。
この記憶も母の記憶と同じくらい取るに足らない気もする。でも、大好きだったお兄ちゃんのことが思い出せた。それを考えれば、わたしにとっては大事な記憶なのかもしれない。
大事な記憶を胸にしまってから、わたしは目を開けた。いきなりの光に目がくらむ。眩しくて周りが見えなくても、頭から背中にかけて、何かに、もたれかかっているのはわかる。人間にしては固くて大きいような気がする。
光に慣れてきた目で背中を確かめてみると、白い腹が見えた。びっしりとうろこに覆われた背、大きな頭、牙まで視線を移したところで、その正体がわかった。
「ドラゴン?」
しかも、羽をたたんで横たわっている。目をつむって呼吸を続けている分には食べられる心配は無さそうだ。頭のなかを整理してみると、わたしはドラゴンの腹にもたれて寝ていたらしい。
黒いドラゴンのほうではなく白いドラゴンということは、助かったのだろうか。記憶をたどろうとしたとき、横から誰かの足音が聞こえてきた。
「起きたか?」
「ウィル」
あのウィルが不機嫌そうに眉根を寄せて、森の向こうから歩いてきた。ここは神殿でもなく、風の吹く丘だった。普段はウィルを見かけたところで嬉しさを一ミリも感じないのに、知り合いに会えて安心できた。
わざわざドラゴンの胴体から回りこんで、彼に駆け寄った。
「ウィル、ウィル」
わたしは言葉を覚えたての子供のように何度も繰り返す。目の前にウィルがいる。嬉しさのあまり背伸びをして、ウィルの首に腕を回す。ウィルも嫌がればいいのにそのままにするから、わたしは調子に乗って腕の力を強めた。必然とウィルの胸にわたしの頬がくっつく。その間、ウィルはただ何もしなかった。ただただたたずんでいた。
――わたし、何をやっているんだろう?
寝起きの頭がはっきりしてきて我に返った。慌ててウィルから距離を取る。
「こ、これは、そ、その」
どもりまくっても相手に伝わるはずがないのに。ウィル相手に動揺するなんて、一生の不覚、本当に恥。少し前のわたしはおかしかった。ウィルがいて嬉しいなんてありえない。
「救い主」
「な、何」やっぱり嫌味でも言われるのか。しかし、身構えた意味はなく、ウィルの指がわたしの頬に伸ばされる。後退りすると、手は下りた。
「怪我は無いようだな」
意識を失う前の記憶が今まさによみがえった。この男、人質になったわたしを助けずに(結果的には助かったけど)、敵を攻撃したのだ。へたをしたら、怪我をするどころでは済まなかった。本当に運が良かっただけだ。
にらみつける。やっぱり効果はなかったけれど、そうしないと気が済まなかった。
「おい、ミア、起きろ」
ウィルは白いドラゴンのところまで近寄って、変なことを言った。ミアさんなんてどこにいるのだろう。
ウィルの視界に映っているのは、白いドラゴンしかいない。つまり、白いドラゴンは、優しくて親切なミアさん? まさか。