すべての元凶はあなた
第19話『籠城がしたい』
戦がはじまってから、どのくらいの時間が流れたのだろう。この世界ではカレンダーというものが見当たらないので、自分の感覚でしかないけれど、たぶん1ヶ月くらいか。
戦の陰が神殿にも落とされて、磨かれた柱の間を重苦しい空気が漂ってきた。神殿に通う信者さんたちのお願いも、徐々に暗く変わってきている。
戦が早く終わりますようにとか、息子が無事に帰還できますようにとか。切実な願いがこめられるようになった。
今までだって何にもできなかったけれど、輪にかけて無力感が増す。聖人ですというように胸に手を当てて、話を聞くのも何度目だろう。ウィル仕込みのさもわかったというように、最もらしくうなずいてみせるのも何回目?
「早く戦が終わるように願っています」
言えるのはそのくらい。信者さんは憑き物が落ちたようにホッと息を吐いて、涙を拭った。彼らの顔を希望に変えて、今日はまあまあ良かったなと思いながら、1日を終える。
どれだけ体を清めても、心はすっきりしない。ずっしりと重いまま、歩くのも前のめりになってしまう。
ベッドの上に寝転んで、薄暗い天がいを眺めても心は休まらない。脳裏には信者さんたちの顔が浮かんでくる。彼らは「救い主様」とわたしにすがった。
瞼を閉じて、浮かんできた信者さんに、「何もできないんです」と伝えた。そう冷たくあしらっても、信者さんたちは聞こえていなかったかのように、口々に「救い主様」と呼ぶ。
「救い主じゃないんです。異世界から来た、それでも、力なんて持たない、そんな存在なんです。だから、崇めても、あなたたちを救えないんです」
そう心をこめても、信者さんたちには伝わらない。ますます声が強く聞こえてきた。顔がどんどん増殖してわたしに迫りくる。
「救い主様」
たくさんの声が一斉に聞こえる。耳がやられるほどの大音量に襲われる。でも、わたしはその声に恐れるよりも、ただ冷めた心に支配されていた。
きっと、信者さんたちもわたしに何ができるから期待しているわけではない。すがるものがないから「救い主」を求める。そうしないと、心が折れてしまうからだ。
わたしだって、元の世界に戻れるという希望で1日を過ごしている。希望が無ければ、ウィルの脅しにも耳を塞いで籠城するだろう。
異世界に来ても、人間は人間。厄介に心なんて持たなければ、こんな「救い主」も生まれなかった。痛みも知らなかった。虫の一生のように割り切って生きられたかもしれない。わたしに本当に彼らの心を救えるのだろうか。その辺りのことを考えるためにも、できるなら、しばらく籠城したい。
翌日になって、とうとう、ベッドから起き上がれなかった。力が入らない。体が熱い気がする。天がいにできたシワなんか意味もなく眺める。また目を瞑ろうとしたとき、
「救い主」
寝坊したのだろう。ウィルがわざわざ寝室まで起こしに来た。
「どうした?」
どうもこうも異世界に来てまで頭痛くなったり、だるくなったりするなんて最悪だ。
「あの」
声も酒焼けしたおばさんの声かというくらい、がさがさしている。明らかに長いため息が聞こえた。かなり呆れさせてしまったらしい。ウィルはわたしの額に手を伸ばし、また息を吐いた。冷ややかな手が離れていく。
「救い主が病にかかるなど聞いたこともない。今日は絶対に部屋から出るな」
籠城したいどころか、ウィルの命令で風邪が治るまで部屋から出られなくなってしまった。しろと命令されると、したくなくなる。そう感じるのは、わたしが面倒くさい人間のひとりだからかもしれない。
戦がはじまってから、どのくらいの時間が流れたのだろう。この世界ではカレンダーというものが見当たらないので、自分の感覚でしかないけれど、たぶん1ヶ月くらいか。
戦の陰が神殿にも落とされて、磨かれた柱の間を重苦しい空気が漂ってきた。神殿に通う信者さんたちのお願いも、徐々に暗く変わってきている。
戦が早く終わりますようにとか、息子が無事に帰還できますようにとか。切実な願いがこめられるようになった。
今までだって何にもできなかったけれど、輪にかけて無力感が増す。聖人ですというように胸に手を当てて、話を聞くのも何度目だろう。ウィル仕込みのさもわかったというように、最もらしくうなずいてみせるのも何回目?
「早く戦が終わるように願っています」
言えるのはそのくらい。信者さんは憑き物が落ちたようにホッと息を吐いて、涙を拭った。彼らの顔を希望に変えて、今日はまあまあ良かったなと思いながら、1日を終える。
どれだけ体を清めても、心はすっきりしない。ずっしりと重いまま、歩くのも前のめりになってしまう。
ベッドの上に寝転んで、薄暗い天がいを眺めても心は休まらない。脳裏には信者さんたちの顔が浮かんでくる。彼らは「救い主様」とわたしにすがった。
瞼を閉じて、浮かんできた信者さんに、「何もできないんです」と伝えた。そう冷たくあしらっても、信者さんたちは聞こえていなかったかのように、口々に「救い主様」と呼ぶ。
「救い主じゃないんです。異世界から来た、それでも、力なんて持たない、そんな存在なんです。だから、崇めても、あなたたちを救えないんです」
そう心をこめても、信者さんたちには伝わらない。ますます声が強く聞こえてきた。顔がどんどん増殖してわたしに迫りくる。
「救い主様」
たくさんの声が一斉に聞こえる。耳がやられるほどの大音量に襲われる。でも、わたしはその声に恐れるよりも、ただ冷めた心に支配されていた。
きっと、信者さんたちもわたしに何ができるから期待しているわけではない。すがるものがないから「救い主」を求める。そうしないと、心が折れてしまうからだ。
わたしだって、元の世界に戻れるという希望で1日を過ごしている。希望が無ければ、ウィルの脅しにも耳を塞いで籠城するだろう。
異世界に来ても、人間は人間。厄介に心なんて持たなければ、こんな「救い主」も生まれなかった。痛みも知らなかった。虫の一生のように割り切って生きられたかもしれない。わたしに本当に彼らの心を救えるのだろうか。その辺りのことを考えるためにも、できるなら、しばらく籠城したい。
翌日になって、とうとう、ベッドから起き上がれなかった。力が入らない。体が熱い気がする。天がいにできたシワなんか意味もなく眺める。また目を瞑ろうとしたとき、
「救い主」
寝坊したのだろう。ウィルがわざわざ寝室まで起こしに来た。
「どうした?」
どうもこうも異世界に来てまで頭痛くなったり、だるくなったりするなんて最悪だ。
「あの」
声も酒焼けしたおばさんの声かというくらい、がさがさしている。明らかに長いため息が聞こえた。かなり呆れさせてしまったらしい。ウィルはわたしの額に手を伸ばし、また息を吐いた。冷ややかな手が離れていく。
「救い主が病にかかるなど聞いたこともない。今日は絶対に部屋から出るな」
籠城したいどころか、ウィルの命令で風邪が治るまで部屋から出られなくなってしまった。しろと命令されると、したくなくなる。そう感じるのは、わたしが面倒くさい人間のひとりだからかもしれない。