すべての元凶はあなた
第15話『ふたりの空気』
「何をしている?」
まさかのウィルの登場で、ローラントの動きが凍りついた。ウィルはいつの間にか、通路の壁にもたれかかって、腕組みをしていた。顔色まではわからないものの、どうせ眉を寄せて不機嫌な顔をしているだろう。視線だけは強く感じた。
息が触れ合えるほど近かったローラントの顔が離れていく。押さえつけられていた両肩も解放された。ようやく落ち着いて深呼吸ができる体勢になった。
「何も。エマ様に髪の毛がついていただけです。ほら」
もっと動揺するかと思っていたのに、ローラントは案外、落ち着き払っていた。摘まんだ髪の毛を燭台の明かりに照らして見せる。
ローラントはただ、わたしの肩についた髪の毛を取ろうとしたらしい。だけど、本当にそうだったのか。両手が肩に置かれたとき、重くのしかかった。その間、まったく動けなかった。
勘違いにも、ローラントとキスするかしれないと思った。頭にはそれだけしかなかった。顔を覆いたくなるほど恥ずかしい。
まさか、ローラントがそんなことをするわけがないのに。わたしが救い主だと思っているから、丁寧に接してくれているだけなのに。
わたしの心を見透かしたかのように、ウィルは鼻で笑う。
「護衛が救い主に手を出すなど、絶対にあってはならぬことだ。わかっているな、ローラント」
「ええ、心得ていますよ」
ほら、ローラントは、ちゃんとわきまえている。キスなんてするはずがないのだ。こうして平然と立っているのが恥ずかしい。
わたしを置いて、ふたりはにらみ合う。不穏な雰囲気にいたたまれなくなって、逃げ出したくなる。けれど、わたしには助けてくれるドラゴンもない。
「救い主、明日も早い。すぐに戻れ」
逃げ場をくれたのはウィルだった。素っ気なく人を寄せ付けない態度も、今だけはありがたい。
わたしが素直に従おうとすれば、もれなくローラントもついてくる。護衛だから当然と言えば当然だ。それでも、放っておいてほしかった。どのみち気まずい中を、無心で歩くのみだった。
あれから、ローラントとどうなったかといえば、ぎこちないとしか言いようがない。挨拶程度の会話くらいは交わす。けれど、相手も空気を読んでいるのか、余計な話を振ろうともしない感じだ。
わたしはわたしで毎日が忙しくて、ローラントと話す機会は少なかった。それが救いといってもいいくらい。
早く起きて、早く寝る。小学生並みの健康的な生活である。
救い主(わたし)は朝日が出たら、ベッドから起き出す。起き抜けのアホみたいな頭を抱え、朝飯は食べずに、祈りを捧げる部屋へと直行する。部屋にいったん入ってしまえば、長い間、その部屋からは出られない。
赤じゅうたんに両膝をついて、指を組み、ただひたすら祈る。
部屋にはひとりだし、誤魔化してもいいのだけれど、わたしを頼っている人々の姿を見ていたら、自然と心から祈るようになった。その人たちの平穏が壊れることのないように。壊れてもくじけないように。悪に染まってしまわないようにと。祈りは尽きない。
扉を外側からノックされれば、祈りの時間は終わる。扉を開ければ、決まってウィルが不機嫌な顔でそこに立っていた。
別にウィルがいなくても逃げ出したりしない。祈りだってちゃんと捧げている。何でこの人は毎日、立っているのだろう。そんな疑問を飲みこみながら、今日も彼とご対面する。
「エマ様、お疲れではありませんか?」
うわ、横から久しぶりに声をかけられた。心臓が飛び上がった気がした。わたしが首を横に振ると、ローラントが笑いかけてくれる。あんなことがあっても、彼の笑顔を見れば、緊張した肩の力が抜けていく。癒しだ、ローラントは。
「ローラント、祈りなんて目をつむっているだけだ。それくらいで疲れるわけがないだろう」
ああ、祈りの時についでにウィルを恨んでおけば良かったと、本気で思う。
「お前、今、俺を呪ったか?」
そして、何でこの男には、言葉はなくともわたしの気持ちがわかるのか、毎回、謎だ。
「何をしている?」
まさかのウィルの登場で、ローラントの動きが凍りついた。ウィルはいつの間にか、通路の壁にもたれかかって、腕組みをしていた。顔色まではわからないものの、どうせ眉を寄せて不機嫌な顔をしているだろう。視線だけは強く感じた。
息が触れ合えるほど近かったローラントの顔が離れていく。押さえつけられていた両肩も解放された。ようやく落ち着いて深呼吸ができる体勢になった。
「何も。エマ様に髪の毛がついていただけです。ほら」
もっと動揺するかと思っていたのに、ローラントは案外、落ち着き払っていた。摘まんだ髪の毛を燭台の明かりに照らして見せる。
ローラントはただ、わたしの肩についた髪の毛を取ろうとしたらしい。だけど、本当にそうだったのか。両手が肩に置かれたとき、重くのしかかった。その間、まったく動けなかった。
勘違いにも、ローラントとキスするかしれないと思った。頭にはそれだけしかなかった。顔を覆いたくなるほど恥ずかしい。
まさか、ローラントがそんなことをするわけがないのに。わたしが救い主だと思っているから、丁寧に接してくれているだけなのに。
わたしの心を見透かしたかのように、ウィルは鼻で笑う。
「護衛が救い主に手を出すなど、絶対にあってはならぬことだ。わかっているな、ローラント」
「ええ、心得ていますよ」
ほら、ローラントは、ちゃんとわきまえている。キスなんてするはずがないのだ。こうして平然と立っているのが恥ずかしい。
わたしを置いて、ふたりはにらみ合う。不穏な雰囲気にいたたまれなくなって、逃げ出したくなる。けれど、わたしには助けてくれるドラゴンもない。
「救い主、明日も早い。すぐに戻れ」
逃げ場をくれたのはウィルだった。素っ気なく人を寄せ付けない態度も、今だけはありがたい。
わたしが素直に従おうとすれば、もれなくローラントもついてくる。護衛だから当然と言えば当然だ。それでも、放っておいてほしかった。どのみち気まずい中を、無心で歩くのみだった。
あれから、ローラントとどうなったかといえば、ぎこちないとしか言いようがない。挨拶程度の会話くらいは交わす。けれど、相手も空気を読んでいるのか、余計な話を振ろうともしない感じだ。
わたしはわたしで毎日が忙しくて、ローラントと話す機会は少なかった。それが救いといってもいいくらい。
早く起きて、早く寝る。小学生並みの健康的な生活である。
救い主(わたし)は朝日が出たら、ベッドから起き出す。起き抜けのアホみたいな頭を抱え、朝飯は食べずに、祈りを捧げる部屋へと直行する。部屋にいったん入ってしまえば、長い間、その部屋からは出られない。
赤じゅうたんに両膝をついて、指を組み、ただひたすら祈る。
部屋にはひとりだし、誤魔化してもいいのだけれど、わたしを頼っている人々の姿を見ていたら、自然と心から祈るようになった。その人たちの平穏が壊れることのないように。壊れてもくじけないように。悪に染まってしまわないようにと。祈りは尽きない。
扉を外側からノックされれば、祈りの時間は終わる。扉を開ければ、決まってウィルが不機嫌な顔でそこに立っていた。
別にウィルがいなくても逃げ出したりしない。祈りだってちゃんと捧げている。何でこの人は毎日、立っているのだろう。そんな疑問を飲みこみながら、今日も彼とご対面する。
「エマ様、お疲れではありませんか?」
うわ、横から久しぶりに声をかけられた。心臓が飛び上がった気がした。わたしが首を横に振ると、ローラントが笑いかけてくれる。あんなことがあっても、彼の笑顔を見れば、緊張した肩の力が抜けていく。癒しだ、ローラントは。
「ローラント、祈りなんて目をつむっているだけだ。それくらいで疲れるわけがないだろう」
ああ、祈りの時についでにウィルを恨んでおけば良かったと、本気で思う。
「お前、今、俺を呪ったか?」
そして、何でこの男には、言葉はなくともわたしの気持ちがわかるのか、毎回、謎だ。