冤罪の宰相に救いの短剣を

第六話『王城へ』


 ケレヴィア王国の王城はきらびやかな構えだった。王城の入り口に向けて石畳の道が一直線に伸びている。道の両脇には手入れされた生垣が連なっていた。

 貴族の屋敷も基本的には広いが、城ほどではなかった。

 エリミーナが王城の入り口を越えると、ヴァルディスが待ち構えていた。朝早くから王城で働いているのだろう。

「迎えに行けずに、すみません」
「いえ、私が勝手に参りたいと言ったのです。謝らないでください」

 わがままを言ってヴァルディスの時間を浪費させた。申し訳ない気持ちばかりが胸に押し寄せて、顔を上げられない。

「さあ、行きましょうか」

 差し出されたヴァルディスの腕に手を置いて、一緒に歩き始めた。

 妃教育を受けていたときに通い慣れた道に、もはや感動はない。

 長く歩いて足が疲れるだけだ。

 姿勢を保つために、ずっと腹に力を入れていないとならなかった。

 コルセットもドレスの中の下着も、体を圧迫してくるから嫌いだった。やはり寝間着が動きやすくて一番である。

 近場を散歩するだけで、侍女だの、護衛だの、後ろに引き連れて歩くのは、エリミーナの趣味ではなかった。

 それも婚約破棄とともに無くなって、せいせいした。縛られるものはない。どこでも自由に歩ける。

 今は隣にヴァルディスがいる。目的地まで距離があるとしても、この時間が長く続けばいいのにと願う。

 願いも虚しく執務室の前に着いてしまうと、ヴァルディスはエリミーナから体を離した。

 ヴァルディスは良くも悪くも、エリミーナを縛らなかった。王太子のように髪の長さやドレスの裾に対して、細かい注文もない。好きなようにさせてくれる。

 エリミーナとしてはもっと縛り付けてほしいが、それを口にするのは恥ずかしすぎる。どこの淑女が紳士に向かって「自分を束縛してほしい」などと懇願するのか。

 たぶん、どこを探してもいない。

 侍女に預けた差し入れを手にした。ヴァルディスに渡すと、「礼を言います」と言われて、エリミーナは「いいえ」と慌てて返した。

 ヴァルディスは扉の片側だけを開けた。中は広く、縦二列に机が並んでいた。机には巻紙が山のように積まれている。ここでは宰相補佐を務める文官たちが、事務作業をこなしている。

 宰相が座ると思われる奥の机は、一際大きかった。巻紙の量も段違いだった。

 ヴァルディスに気づいた文官たちは一斉に手を止めた。

 顔を俯かせているのは、階級制度のせいだった。身分の高い者の許しを得ない限り、顔を上げられない。見つめることも許されなかった。

「あの、顔を上げてください」

 エリミーナが許すと、文官たちは思い思いに顔を上げた。

 ――あら? と首を傾げる。

 文官たちの中には公爵家の令息もいたはずだが、見回してみても、その令息の顔がなかった。どこにも。

 動揺している間にも、ヴァルディスが文官たちの前で、エリミーナの紹介をした。

「私の婚約者です」

 そう言われると、エリミーナは喜びを隠せなかった。口元がむずむずとして、手で覆い隠した。

 ヴァルディスはエリミーナの変化に気づくことなく、受け取った差し入れを近くにいた文官に渡している。

 エリミーナを見る、文官たちの眼差しが優しい。そんなはずはなかった。

 妃だった時、文官は王太子の口利きで来たものが大半だった。名家の令息ばかりで、爵位を鼻にかけた連中しかいなかった。エリミーナを馬鹿にしたように笑っても、好意的には迎えてくれなかった。

 一人一人を見ていくが、悪意のある顔はない。見知っている顔もなかった。

 ――誰も知らない、そんなことがあるの?

 ヴァルディスが「仕事に戻ってください」と言うと、文官たちは仕事に戻った。

 机だけで仕事をするのではなく、お互いに向かい合って議論を交わしている。以前と違って活気があった。興味深く見ていると、文官の一人が近づいてきた。

 ヴァルディスに気安く声をかけてくる。こんなことは、今までなかった。

「宰相閣下、少しはお休みください」

 その声を皮切りに、他の文官たちも提案に同調する。手紙に書いてあった通り、ヴァルディスは休んでいなかったのだろう。

 気になって顔色を確かめると、眼鏡の奥の瞳がエリミーナを見ていた。

 ただ引き寄せられたように、見つめ合う。ヴァルディスの方が先に視線をそらした。

「では少しだけ」

 ヴァルディスの先導で向かったのは、王城で唯一好きな中庭だった。緑が多く、息抜きをするのに適している。

 ヴァルディスは木陰の方にエリミーナを座らせた。木漏れ日が顔をまだらに照らす。

 妃教育が嫌になったとき、ここに来て時間を潰した。心地良すぎて昼寝をしたこともある。ため息を何度吐いても自由。微笑を浮かべなくても許される。

 ただし中庭を出れば、妃候補としての周りの目があった。

 妃候補は、ため息を吐くことすら許されない。ため息を吐けば、気の病を疑われる。自死の兆候があれば、反逆罪を疑われても仕方ない。最悪、自死を選ばなくとも首をはねられる。

 王太子が触れるはずの肌に怪我があったなら、容赦なく婚約破棄を突きつけられる。

 エリミーナの場合はこちら側に問題なかった。王太子側から一方的に婚約破棄されたのは幸いだった。

 存分に息を吸って吐いていると、心も落ち着いてきた。

 先程、文官たちを見て、気になったことをたずねる。

「文官の方たちの顔ぶれが変わっていて、驚きました」
「皆、諸事情により辞めてしまったので、新しく登用しました」
「だ、大丈夫なのですか? 以前の文官たちは、王太子の息がかかった者ばかりだったでしょう。反発があるのでは?」
「諸事情で辞めたので、反発する道理はないでしょう。それに身分よりも能力を重視したおかげで、仕事がだいぶ楽になりました」

 ヴァルディスは涼しい顔をしていた。宰相という立場は、王太子にも国王にも進言できた。傍若無人な王太子であっても、宰相の存在だけはぞんざいな扱いはできなかった。罪に陥れるまでは。

 だいぶ楽になったという言葉に、エリミーナは首を傾げた。

「十分に休みが取れていないのに?」
「今だけです。もうしばらくすれば、落ち着くでしょう」

 そうは言っても、無理をしていないかと気がかりだった。

「本当に大丈夫でしょうか?」
「心配なさらず。新しく登用した者たちは家族も王都に住まわせて、護衛もつけています。その護衛もすべて素性を知っているし、忠誠心がある者ばかりです。容易く手出しはできないでしょう」

 心配なのは新しく来た文官や護衛たちのことだけではない。エリミーナはわかってほしかった。ヴァルディスを心の底から想っていることを。

「ヴァルディス様が心配なのです」
「心配は無用です」

 ヴァルディスはエリミーナの手を取った。両の手で挟むように優しく握る。手を添えることはあっても、意思を持って握られたことはない。

 エリミーナはひえっと変な声を上げそうになったが、どうにか押し留まった。木陰にいるというのに、顔中が火照っている。呼吸が上がってきて、吐き出す息も熱い。

 よく考えれば、ヴァルディスとこんなに触れ合ったことも、長く話したこともなかった。少しだけ力を込めて握られた。

「ですが、ありがとうございます」

 そう言われて、再びエリミーナは叫び声を上げたくなった。あのヴァルディスが薄っすらと笑っていたからだ。
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