冤罪の宰相に救いの短剣を

第五話『親愛なる宰相様へ』


 エリミーナは日程表を前にして、考え込んでいた。自室の壁に飾られた絵画の裏に、半年の日程を書いた羊皮紙を貼り付けている。普段は絵画を表にして、誰にも見えないようにしていた。

 羊皮紙に罫線を引き、起きた事柄を箇条書きにした。日にちは正確ではないだろうが、時系列は守ったつもりだ。日程の最後にはヴァルディスの死があり、それを回避するために行動を起こさなければならない。

 婚約破棄されるのは、今から半年後である。その後、ヴァルディスは断罪されて、投獄される。

 それまでにしなければならないことを一から考えた。

 夢の中ではヴァルディスの誘いを待つばかりで、自分からは動かなかった。受け身でいたせいで、仲を深める前にあっさり婚約破棄された。

 今回は、ヴァルディスが躊躇うくらい仲を深める。愛はなくても情けだけでももらう。どうにか関係を繋ぎ止めたい。

 周りを固めるために、夜会だけではなく、茶会にも出たい。ただ、エリミーナが出てみたいという願望でもあった。

 後はヴァルディスの婚約者として、執務に関わることはできないだろうか。公文書の偽造はどうやって行われたのか、知りたい。

 夢は自分の視点からでしかなく、ヴァルディスの罪の詳細まではわからない。仕事を手伝うというかたちで、少しでも探れないだろうか。無謀だとわかっていても。

 ――まずは……

 ヴァルディスに向けて手紙を書くことにした。

 相手の心情を知るには手紙が最適だ。近況について探りを入れることもできるかもしれない。贈り物をする時の参考として、ヴァルディスの好みを知りたくもあった。

 決して恋愛小説に憧れて手紙のやり取りをしたかった、という気持ちがないわけではない。そのくらいの下心は許してほしいと、エリミーナは顔を熱くさせながら思った。

 家にある書庫から手紙の書き方の指南書を引っ張り出して、文机にかじりついた。

 大体の文言を思い浮かべた。いざ、インク瓶にペン先を落として、羊皮紙に書こうとするが、初めの一文字でためらってしまう。

 エリミーナは異性に手紙を書くのが初めてだった。形式的な御礼状は、指南書通りに書いていればよかった。

 しかし、手紙を送る相手が心を寄せている人では、勝手が違った。

 文章を求めて、何度も自室をうろうろした。良い言葉が思いつかないかと、窓の外を眺めたりした。

 何日も苦労して書いた手紙は、典型的な挨拶と締めで終わらせた。結局、自分の気持ちは一行だけに込めた。『あなたを想って日々を過ごしています』と。

 書き終えても、高鳴る心音が治まらない。長いため息を吐く。手紙を胸に押さえつけた。どうか込めた心まで届きますようにと、強く願った。

 正直、返事は期待していなかった。ヴァルディスが宰相として忙しくしているのはわかっている。手紙にも負担にならないようにと『返事のお気遣いは不要です』と書いた。

 何通か書いているうちに、指南書を開かなくても手紙の文面が浮かぶようになった。

 領内での行事の様子や、お忍びの商店巡りでヴァルディスに似合いそうな装飾品を見つけたこと。屋台で売っている、美味しいお菓子の紹介もした。

 もしこの場にヴァルディスがいたらどんな顔をするだろうかと想像する。

 甘いのや辛いのは苦手だろうか。苦手なものを食べた時、あまり態度が変わらないのだろうか。好きなものを食べた時には、顔が綻ぶのだろうか。些細な表情の変化まで、すべてを知りたい。

 書き終えると封蝋をして、いつものようにズラナに用事を言いつけて、手紙を渡した。

 ヴァルディスの返事が来たのは、手紙を送り始めて二週間後のことだった。震える手にどうにか指令を出して、封筒を開いた。

 生真面目なヴァルディスらしく、文字は乱れることなく隊列を守っていた。冒頭に『親愛なるエリミーナ殿』と書かれただけで、心音が高鳴る。『最愛』でなくても、『親愛』だけで嬉しい。

 エリミーナは顔を緩めることをやめられなかった。

『こちらは変わらず、健やかに過ごしております』

 一行の近況にもエリミーナが不満に思うことはない。手紙を胸に抱いて、喜びを噛み締めた。今回は一方的に日常を書かずに、返事を書くことができる。

『健やかにお過ごしとのことで、何よりです』

 何度も誤字脱字を確かめた後、エリミーナはようやく封蝋を押した。

 それから何度か、返事が来るようになった。最近ではヴァルディス側の一行も追加された。

 仕事が忙しく、会う時間を取れないのが心苦しいと書かれていた。エリミーナは『これだ!』と声を上げそうになったものだ。

 手紙のやり取りを続けてきて、ようやく目的を思い出した。仲を深めるためにお互いを知るだけではなく、ヴァルディスの周辺を探りたかった。それなのに、手紙のやり取りが楽しくて、当初の目的を失念していた。

『あの、もし、お邪魔でなければ、差し入れを持参してお会いしたく。どうか、ご検討いただけると幸いです』

 手紙にしたためたものの、責任感の強いヴァルディスのことだ。エリミーナをすんなりと執務室に招くとは思えない。早まったかもしれないと考えていたが、後日、返事が来た。

 ヴァルディスは丁寧に期日まで指定して『お迎えにあがります』と宣告してきた。

 そして、当日になると、本当にヴァルディスがエリミーナを馬車で迎えに来た。
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