魔王の妻は服が脱げない
第1話
『魔王の妻は服が脱げない』
わたしが魔王さまの妻になるなんて、誰が予想しただろう。少なくともわたし自身は、まったく予想していなかった。
幼い頃から、未来の旦那さまの理想は特になかった。白馬にまたがった王子とは行かなくても、そこそこの容姿と甲斐性があればいいと思っていた。
わたしは第4王女という、どうでもいい立場であったし、他の姉さまたちと比べても、見映えが良くなかった。「醜い姫」とは言われなくても、他の人たちの態度はあからさまだった。綺麗な姉や妹と接するときと、わたしとではまるで違う。きちんと視線を合わせてくれないのだ。
このままでは、いい縁談もなかなか来ないだろう。最悪、嫁がなくても自力で生きていけるようにと、勉強はしていた。
それなのに、突然、縁談――人質というべきかもしれない。国王(わたしの父上)は魔王さまに向けて、姫(わたし)をやるから人間の世界に手を出すな、なんて言い出した。わたしは知らなかったが、魔族はいつの間にやら、人間世界を支配しようとしていたらしい。支配して何の意味があるのか、わたしの頭ではわからなかった。人間世界なんて面白みもないのに。
しかも、そんな取引に使われるとは、わたしの人生って何なんだろう? 妻のひとりで取引をのんだ魔王さまって、かなりいい人なのでは?
魔王さまの見た目は、確かに恐ろしい。顔は年中、紫色で、上半身は裸(筋肉はすごい)、下半身は二股に別れた衣をはいているが、尻尾が出てしまっている。背中からは黒い翼がはみ出ていたし、頭にある角は鋭くとがっていた。
どの角度から見ても、人間じゃない、化け物だ。王子や勇者に倒される敵側の方だった。どう見ても、わたしはさらわれた姫みたいな位置に置かれている。
でもこの魔王さま、見た目とは裏腹に、優しかった。寝室を別にしてくれ、食事も別々にしてくれた。特に魔族の食事は、人間の食事とは違った。とかげやこうもり、ねずみ、何でもありな食事だ。そして、臭いもきつく、人間の鼻では耐えきれなかった。
一度、わたしが倒れた時から、魔王さまは食事を別々にしてくれた。人間が食べられる野菜や肉で作った料理はとても美味しかった。
それは、助かったと同時に、ひとりで長机に着くのは淋しさもあった。不思議だが、禍々しい魔王さまでもいないと淋しいのだ。
最近では、魔王さまの白銀の髪の毛が綺麗に見えてきている。顔色の悪さだけをとれば、容姿だって美形だと言われる人間におとらない。声だって地をはうように低いが、ふふと笑うときは優しい。もしかしたら、わたしは魔王さまとなら……なんて思う、今日この頃だ。
ある日、散歩から帰ると、侍女が消えていた。待ち構えているはずの侍女がいない。彼女は連れてきた侍女の最後のひとりだった。
他の侍女たちは、すでにこの城にはいない。魔王城の禍々しさに耐えきれぬもの、魔物との折り合いが悪くいたずらするもの、魔王さまに嫌悪を抱くものたちは、すべて帰ってもらった。
魔王さまが禍々しいとか、悪魔(魔王相手に悪魔と言うのもおかしい)だとか、わたしが思うならまだしも、外野が言うことじゃない。引き止めたりもしなかった。まさか、それがアダになるなんて。
――この服……どうやって、脱いだらいいのだろう?
背中に手を伸ばしてみても、留め具が衣服の奥に沈んでいて、届かない。もともとひとりで脱ぎ着できるようにできていないのだろう。薄青い服は、腰はぴったりしていて窮屈にできている。尻から足にかけて、軽やかな裾が広がっている。
布靴を吐き捨てて、わたしは寝台に腰かけた。
いっそのこと、衣服を切り刻むかと考えた。でも、それはさすがにやり過ぎな気がする。しかし、このままでは過ごせない。
――魔王さまに助けを求めるしかないのかもしれない。後ろの留め具を外していただけますか? と。
すごく恥ずかしいが、頼れる人が魔王さましかいないのだ。
魔王城には魔族の使用人がいるが、皆、言葉を話さない。わたしがたずねてみても、首(あるんだか、わからないものもいるが)を傾げるだけだ。そんなんだから、人間の侍女にバカにされていたのだが。わたしはこのものを言わない、働き者の魔族のみんなが好きだった。
ぎょろっとした目玉も、崩れた唇も、人を騙したりしない。あざけ笑ったりしない。誰に対しての態度も同じ。相手によって態度を変える人間のなかでいるより、落ち着くなんて、不思議なものだ。
――考えても仕方ない。わたしは布靴をはき直して、自室を後にした。
魔王城の明かりは壁に設けられた松明しかない。通路に窓はない。魔族のなかには、日差しが苦手なものがいる。以前いた侍女の何人かは、このものたちにわざわざ日差しを浴びさせ、苦しむ様を見て笑っていた。わたしはその侍女を叱りつけ、城から追い出した。魔王さまの話では、あと少し日差しを浴びていれば、溶けて消えてしまっていたらしい。
そのナメクジお化けが、通路をゆっくりはっていた。その速度では、とても時間がかかりそうだが、目的地はどこなのだろう?
「どこか行くの?」
そう思って聞いてみても、触角がうねうね動くだけだ。きっと、彼(彼女)にも思うところがあるのだろう。わたしはそう納得した。
前から転がってくるのは、黒い岩石のお化け。赤い目がわたしを見て、通路の端っこに避けてくれる。
「ありがとう」
体は石炭でできているのかとか、気になっているのだが、触るのも申し訳なくて考えるだけにしている。岩石のお化けは、その場でちょっと跳ねた。返事をしてくれたみたいで、嬉しかった。
通路の中頃にある大きな扉の前で、足を止めた。扉には取っ手もなければ、手をかけるくぼみもない。このままでは開けられないのだ。
だが、扉に手を当てると、固い側面に目玉が浮かび上がってくる。血走った瞳がわたしを見つめると、扉は重い引きずる音を立てながら、後ろに退いていく。これは、普通の扉ではなく、魔物だ。番人を立てるよりよっぽど信頼できる。安全に守られたその先に魔王さまはいた。
魔王さまは、よくこの玉座に座っている。ひじ掛けに頬杖をついて、瞼を伏せて、寝ているみたいに考え事をしている。今日は上着を羽織っていらした。でもその下は着ておられず、たくましい胸と腹部がのぞいている。
わたしはこの姿をかたわらで見るのが好きだ。隣に置かれたわたし用の椅子から、魔王さまに気づかれるまで見ていたい。「どうされた?」と聞かれるまで見つめていたいのだ。
「姫、どうされた?」
今日は早かった。
「魔王さま」
瞼が開かれて、人間とは程遠い赤い瞳がわたしを見つめてくる。こっちが見つめる分にはいいのだが、向こうから見つめられると、どうしたらいいのかわからなくなる。
「もっと近くへ」
歩み出して、ようやく魔王さまの前へ。
「あの、魔王さま。お頼みしたいことがあります」
「聞こう」
わたしは不躾ながらも魔王さまに背中を向けてしゃがみこんだ。そして、首だけで後ろを振り向き、留め具を指し示した。
「後ろの留め具を外していただけませんか?」
魔王さまの反応はない。瞳はまったく揺れず、わたしを見たままだった。
「姫。ひとつ聞いてもよいか?」
「は、はい」
「それは、我に衣服を脱がして欲しいということか?」
「い、いえ、そ、そこまでは。侍女がひとり残らずいなくなってしまい。この服はわたしひとりでは脱ぎ着できないのです。あの、本当に申し訳ながら、魔王さまに留め具を下ろしていただけないかと」
「ふむ」
魔王さまは黙りこんでしまう。さすがにやはり、魔王さまに頼むのは無礼だったかもしれない。いたたまれなくて、頬が熱くなるのがわかる。
「やはり、魔王さまにお頼みすることではないですね」
「いや、我以外に妻の服を脱がさせたくはない」
「え?」
「こちらの話だ。うむ。留め具を外すだけだな」
「はい。下衣はどうにか、自分で脱ぎますので」
「わかった」
まとめていない髪の毛を肩に流すと、魔王さまは玉座から腰を上げた。そして、わたしに近づき、しゃがみこむ。留め具をひとつひとつ外してくれている間、わたしは息をとめていた。すぐそこに魔王さまがいる。その緊張感で息を吐くことすら、忘れていた。
留め具が外されると、背中が外気に触れて、少し肌寒くなる。無防備な部分を見られている気がして、恥ずかしくなった。
「ありがとうございます」
「いや、すぐにひとりで脱ぎ着できる服を用意させよう」
「本当ですか?」
それはありがたい話だった。脱げたとはいえ、明日も服は着ないといけない。
「ああ、それと今はこれを着るといい」
魔王さまはわたしに裾の長い肩かけをくれた。この肩かけは魔王さまが羽織っていたものだ。魔王さまの匂いは残念ながら、感じとれなかったが。
この時は嬉しくて、「はい!」なんて明るく返事した。
翌日、魔王さまが用意した服は、何とも生地の少ない服だった。肩は出ているし、膝上までの裾しかない。首や胸元も生地が少なく、前屈みになると、胸がこぼれそうになる。どうも魔族の服らしい。似合うかどうか怪しい。
朝一番に、わたしの姿を見た魔王さまは、何やら長く考えこんだ。「目に毒だな」なんてこぼして、肩かけを着るようにと言ってきた。おそらく、見るに耐えなかったのだろう。
「変でしょうか?」
「いや、変ではない。ただ」
「ただ?」
「あまりに綺麗で見とれてしまいそうだ」
しばし、わたしは意味がわからず魔王さまの顔を見るだけだった。1つずつ言葉を噛み締めていき、ようやく意味を知ると、全身が熱くなってきた。
「ま、魔王さま。お世辞が過ぎます」
「お世辞ではないが」
今までの自分からすると、良い言葉をそのまま受け取ることが難しい。それでも、嘘はおっしゃらない方だ。魔王さまの目には少しでも綺麗に映って見えるのだとしたら、嬉しいことだ。
「ありがとうございます、魔王さま」
人間世界とは遠く離れた地で、魔王さまのかたわらで、わたしは今日も幸せを感じている。
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