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槍とカチューシャ(51~100)

第95話『大事なもの』

 心が通じ合った今、抱き締められていることに違和感は感じない。セクハラ親父だとも思えない。

 だとしても、かなり照れる。周りに人がいないわけでもないし、ちらほら、視線を感じる。わたしは急に顔を出した恥ずかしさにいたたまれなくなって、団長さんの胸板をやんわり押した。思ったより簡単に腕から解放されてホッとする。

 団長さんから注がれる視線は本当にはちみつを温めたように熱っぽく甘い。どうにかこれ以上、甘い雰囲気に浸からないように話題を変えようと思った。

「それにしても、団長さんが来てくれて本当に助かりました。まさか、犯人まで捕まえちゃうなんて思いませんでしたけど」

「たまたまだ。それに火事のなかで言っただろう。土産物を渡しそびれたと」

「犯人が土産物だったんですね」

 「そうだ」とうなずく団長さんにわたしは納得した。不思議だった。久しぶりにこうして話してみても、長い間、離れていたのが嘘のようだ。

 たわいないガレーナの話をして、お城の近況に驚きながら、そろそろお別れの時が来たと、団長さんの眉間のしわで気づいた。

「また、お別れですね」

「これが嫌だから、さっさとガレーナを去ろうと思った。アイミに会えば、去るのが辛くなるのはわかっていたからな」

「もう少し、いてくれたり……」

「アイミ」

「わかってますよ」

 団長さんにも仕事がある。わたしのわがままなんて邪魔になるだけだ。たとえ、そうだとしてもわがままを言ってみたかった。団長さんを困らせたかった。

 視線を団長さんのお腹辺りにそらしていると、大きな手がわたしの頬を包みこんだ。耳から首を撫でられてくすぐったい。やめてほしいとわたしが顔を上げたとき、額にあたたかいものが降ってきた。やさしく落とされた唇。一瞬だけだったのに、頭のなかが真っ白になるくらい驚いてしまう。

「アイミ?」

 ずるすぎる。負けた。もう何にも言えない。脱力したわたしは団長さんの胸にもたれかかった。心臓の音が速まっている気がする。団長さんも緊張している? そう考えたら、負けた気持ちが晴れる気がした。

 団長さんの胸に耳を当てたままでいたら、「あ、アイミ、あれだ。もしよければ、それをもらえないか?」と声が降ってきた。

 「それ」と指されたのは団長さんからもらったリボンだった。髪の毛を1つにまとめていたのだけれど。

「これですか?」

「ああ」

 団長さんから贈ってもらったネイビーのリボン。火事のせいでところどころ焦げてしまっている。「これでいいんですか?」と何度も確かめても、団長さんは「これがいいんだ」と言い切った。新しいものを買わないとなあと思いながら、団長さんに差し出した。彼はリボンを受け取り、嬉しそうに笑う。

「大事にする」

「わたしも何かもらえませんか?」

 図々しいお願いだとは思う。でも、何か団長さんのものを身につけていたい。答えはなく、団長さんは馬にくくりつけてあった布袋から箱を取り出してきた。

 小さな四角い箱だ。団長さんの大きな手に似合わず、可愛らしいピンクのラッピングで包まれている。その箱を受け取ったとき、わたしは懐かしいと思った。以前、箱の中身を「爆発したりしないよね」と疑ったことがある気がした。

 手渡された箱は軽く掲げてみても重さはない。耳を近づけて音を確かめても異常はない。団長さんの小さな笑い声が聞こえたけれど、とりあえず、無視をする。爆発物ではなさそうだ。リボンを引き抜く。ラッピングを解くと白い箱が現れた。

「箱です」

「そうだな」

 蓋を取り外してみると、今度は白い箱にぴったりと収まったピンク色の箱だった。金具がついていて、コンパクトみたいに開けられるやつだ。もう疑いようがない。

 蓋を開けたら、そこにあったのはただの箱ではなかった。わたしは思わず見なかったことにして蓋を閉じる。

「なぜ、閉じる?」

 あの時は怒り狂って団長室に突撃した。でも、今は指輪と対面して、怒りよりも嬉しさがこみ上げてきた。小さくて眩しい輝きを見ていたら、不覚にも泣いてしまいそうだった。

「ずっと、持っていたんですか?」

「ああ、いつか、渡したいと思ってな。あと謝りたいと思っていた」

「謝る?」

「あの時、俺はお前を愛していないと言ったが、本当は好きだった。でなければ、妻にしたいなどとは思わなかっただろう」

 きっと、団長さんの妻になったら幸せだろう。この大きな手に守られて。

「もし、わたしが団長さんの妻になるときに、はめてもらえますか?」

 まだ、はめる勇気はない。でもきっと、そう遠くない未来に団長さんの隣に立てるような気がする。ガレーナでお嬢様が独り立ちされるまで見守ってから、団長さんの元へ行きたい。それを伝えたら、団長さんは「ああ、わかった」と快くうなずいてくれた。また距離を詰めて抱きしめてくれた。

 団長さんは最後まで名残惜しそうにしていたけれど、やっぱりガレーナを去っていった。
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Clap